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【知らないでしょ】モーニング娘。はマジで沼②

どうも、こてっしゅです。
そうそう。皆さん、自粛期間どうお過ごしでしょうか。

私は昨日パンツ表裏反対に履いていました。もう誰にも会わないし(あったとしても見せないけど)気付いてからもずっとそのまま履き続けていましたが、人間の尊厳を失ってはいけないと思いはじめ、夕方トイレ行ったタイミングで履き直しました。まじ偉いと思う。見習ってほしい。
ただ、もう髭とか無法地帯みたいになってるし、なんかもう既に人間の尊厳は失っているのではないかと思っています。

髪の毛とかも、なんか美容室行っていいのかわからないので頭部に鳥の巣配置されてるのかな?って感じで。朝起きて鏡見た瞬間の私じゃない感やばいんだけど、結局誰にも会わないからね。大丈夫、大丈夫。

ただ、急に「今日リモート飲みしよう!」とか誘われるとめっちゃ焦る。髭剃ったり、人に見せられる服着たりしなきゃいけないから、まじで最低5日前に言ってくれないと困る。って思ってるけど、私そんなこと言えないので、超無理して取り繕っている時が「私人間やっているなぁ」と思える時間だったりします。だからまぁ私を人間でいさせてくれてありがとう。ってもう常に感謝していくスタイルで当分生きていきます。皆さんも人間っていうこと、忘れないでくださいね。

全然関係ない話をしてしまったけれど、今回もモーニング娘。について語っていきたいと思います。
前回は“期”についてお伝えしました。今回は、その中の“カラフル期”について話していこうと思います。黄金期やプラチナ期も話したいのですが、なんせリアルタイムであんまり追えていなくて自信ないので、自分で調べてください(投げやり)

※勢いに身を任せて書いたので、色々目を瞑りながらご覧ください。

【カラフル期とは】

プラチナ期を支えた偉大なメンバーが卒業していき、2012年春、前リーダーの新垣里沙に代わり道重さゆみがリーダーとして新しいモーニング娘。を支えていくこととなりました。その道重リーダー時代こそが“カラフル期”です。

当時のメンバーは
6期 道重さゆみ 田中れいな
9期 鞘師(さやし)里保 譜久村聖(みずき) 生田衣梨奈 鈴木香音
10期  飯窪春菜 石田亜佑美 佐藤優樹(まさき) 工藤遥

平均年齢なんと15.6歳という歴代最年少グループに生まれ変わりました。
(プラチナ期終盤の平均年齢は大体21歳くらい)

ただ、当時も特に話題になることはなく。世間からしたらあまり興味のない話題として扱われていたのかもしれません。
そんなモーニング娘。に光が差したのが2012年に発表された「One・Two・Theree」というEDM路線楽曲。
今までのモーニング娘。になかったゴリッゴリのEDMを全面に押し出してきたこの楽曲は、モーニング娘。に惚れたというよりかは、楽曲に惚れた方も多かったのではないかと思います。(私もその1人でした)

今までのモーニング娘。のイメージを覆した「One・Two・Theree」は約10年ぶりに10万枚セールスを超え、再びメディアからも注目されるようになりました。
その後もシングルもEDM路線でファン以外の層も取り込み、51枚目のシングル「ワクテカ Take a chance」ではオリコンウィークリーチャート3位、更に52枚目のシングル「Help me」では念願のオリコンウィークリーチャート1位を獲得します。

さて、ここで一旦メンバーの説明をしたいと思います。

【道重さゆみ 前編】

“カラフル期”の代名詞。道重さゆみ。愛称は“ちゃゆ”や“さゆみん”など。イメージカラーはピンク。
道重、また後から説明する田中に関してはご存知の方もいらっしゃるかと思います。ですが、重めに説明します⭐︎
道重は6期メンバーの1人として活動してきましたが、はっきり言ってあまり良いイメージを持っている方はいなかったと思います。

道重は、モーニング娘。が少し低迷していた時代でもピンでバラエティに出演し、毒舌ナルシストキャラとして地位を確立していましたが、嫌いな女性タレントにもランクインするなど、世間からの目は厳しく見られがちでした。まぁでも本人はそこまで気にしていなかったらしく、自分のキャラが確立して嬉しかったとも語っています。

というのも、道重はモーニング娘。でも全然目立たない存在だったのです。
歌の上手い高橋、同期の田中などに歌割はほぼ持っていかれ、割り当てられる部分はほぼセリフパートという扱いでした。


オーディションを振り返ってみると、道重の歌の下手さはある意味ピカイチで、音程という存在を知らないままオーディションを受けていました。それもすごい根性だけど。
6期オーディションの課題曲はメロン記念日の「赤いフリージア」という楽曲だったのですが、あまりにも下手で話題となり「さゆーじあ」として動画サイトで盛りあがりました。

当時合宿審査で歌のレッスンをしていた菅井先生にコテンパンにされながらも、先生に聞かれた「なぜなりたいの?」という問い。道重は「好きだから」と。この“モーニング娘。が好きだ”という気持ちでオーディションもその後も乗り切ってきたのだと思います。

その好きという気持ちはありながらも在籍中は中々前に繰り出せないことが多かった道重。
7期として入ってきた久住小春の教育係を任命された時も上手く指導ができなかったりと(ストレスで自分の眉毛を抜きまくっていたらしい)、道重自身はモーニング娘。という場所に居場所がなかったように思えます。

そこで見つけたバラエティという道。自分がかわいいと言い続け、バラエティタレントとして地位を築いていくのでした。道重という存在が世に知れて、自分を認識してくれる人が増えたことは、居場所やキャラがなかった道重にとっては大きな意味合いを持っていたと思います。

ただ、ここで道重の意識は変わります。
「自分を知ってほしい」よりも「モーニング娘。を知ってほしい」

これはモーニング娘。が好き。という気持ちが揺るがなかったから。
個人の知名度が上がったけれど、モーニング娘。自体の再認知にはあまり繋がらず、道重はモーニング娘。のためにテレビ出演をする、という意識へと変わっていきます。

象徴的なのは「いきなり!黄金伝説。」にて道重が挑戦した1ヶ月1万円生活。
最終日前日、本当に辛かったことを吐露しながらも、頑張れたのは「モーニング娘。の存在を知ってもらいたいという気持ちがあったから」と告白しています。
そんな「好きだから」という真っすぐな気持ちがあったからこそ、メンバーやファンに愛され、いまでも伝説のリーダーとして語り継がれているのです。

やべぇ私長くない?これまだ道重なんだけど。どうしよう。まぁいいや。

よし、とりあえず道重前編はこのぐらいにして、次回は道重後篇。
語れたら同期の田中についてもいっちゃおうかと思います。
まじカラフル期だけで50記事くらいかける。どうしよう私仕事見つけないといけないのに。ていうか地味にやばくない?私いつまでニートしてんの?

まぁいっか⭐︎
ということでまた次回お会いしましょう⭐︎

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