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男女差について思うこと

はじめに

男女差。

文字通り、男と女の差について、日々思うことを今回は書きたいと思います。

男性と女性。肉体的特徴の差は生物として当然あるわけですが、今回書きたいのは、社会における男女差です。

もっと踏み込むと、日本における女性蔑視・差別についても、自分の実体験も交えて触れたいと思います。

きっかけ

まずは、プロフィールにも少し書いていますが、改めての自己紹介も兼ねて・・・。

僕が男女差に関心を持つようになった最初のきっかけは、2016年に結婚し、妻の姓に変えたことです。

妻の姓に変えた理由や、それに関連して子供が生まれたときに抱いた気持ちは、Twitterでも投稿しました。

婚姻届を提出してからの手続きは、それはもうとても面倒くさくて、ダンジョン感覚で楽しむ姿勢がないとやってられませんでした。

「世の中の多くの女性は、こんな面倒な手続きをしているんだな・・・」

そう思ったことが、男女差に関心を持ち、さらには、選択的夫婦別姓に賛同する考えを持つに至った最初のきっかけでした。

結婚における男女差

調べてみると、日本では、結婚に際して、女性が改姓する夫婦が96%なんだそうです。

日本においては、強制的夫婦同姓のルールが、民法750条において以下のとおり定められています。

(夫婦の氏)
第七百五十条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

この規定では、「夫又は妻の氏を称する」とされているだけで、どちらの氏=姓にするかは選べますが、どちらか一方は必ず姓を変える必要があります。

それにもかかわらず、96%の夫婦が、女性が夫の姓に変えているという現状は、ルールはもちろん、根付いた価値観の問題だとも思うのです。

それは、「家」という概念のもと、結婚=妻が夫の家に嫁ぎ、家同士が結びつく、という価値観です。

ちなみに、自分の妻のことを「嫁(よめ)」と呼ぶ男性が多いですが、これは、主に夫の両親側≒家に嫁いだ女性の呼称のため、使い方としては間違いです。(結婚当初は、僕も誤って使っていた時期がありました・・・。)

明治時代の旧民法で「家」の制度が始まり、その一時期の価値観が未だに根付いているということかと思いますが、現代では「家」という制度はありません。

現代においては、「結婚」は、あくまで個人同士の婚姻となるので、もっと色んな価値観があって良いはずです。

旧来の「”家”同士が結びつく」というのも一つの価値観でしかありませんが、その価値観を持っている人が圧倒的多数派ではないかと感じるところです。

僕の場合は、妻の家に婿入りする形での結婚をしたため、まさに旧来の「”家”同士が結びつく」結婚をしました。

婿入りに当たっては、妻との婚姻だけでなく、妻の両親との養子縁組もして、戸籍上も、妻の家の人間となりました。

ここでもさらに疑問を持ちました。

「夫の家に嫁いだ女性で、夫の両親との養子縁組までしている家庭は少ないのでは?」

96%の夫婦の内、妻が夫の姓に変えることをもって「夫の家に嫁いだ」とされた女性がどれくらいいるのかは分かりませんが、

少なくとも、僕の母はそうでしたし、親戚や従兄弟と結婚した女性も皆、「夫の家に嫁いだ」という扱いをされていました。

このように、夫の家≒両親側からそのような扱いをされている女性は多いように思うところで、

少なくとも、「夫の家に嫁いだ」のであれば、私と同じように、夫の両親と養子縁組して然るべきでは、と考えます。

少し話は逸れますが、”夫の両親を介護するのは夫の妻”みたいな考えもどこか根付いているように思いますし、養子縁組されない夫の妻は、どれだけ献身的に介護をしたとしても相続権はなく、それで揉める家庭もあるとよく聞きますが、”夫の家に嫁いだ”女性を養子縁組すればそんな問題も生じないのではないかと思います。

「妻の家に入った婿」=男性は、養子縁組して迎えるけど、

「夫の家に嫁いだ嫁」=女性は、ただ夫と婚姻させるだけ。

(「嫁ぐ」という言葉はあるのに、男性が婿として家に入ることを表現する言葉はない・・・!)

これだけでも、根付いた価値観の中に、女性を蔑視する考えが無意識的に潜んでいるように思うのです。

その他の男女差

結婚以外の一般社会のあらゆる場面においても、意識的・無意識的に、男性よりも女性を蔑視する価値観はあるように思います。

まず僕の話を例にすると、一人目の子供が生まれたとき、産後1ヶ月は妻は実家に帰っていたのですが、週末は実家に行くようにしていました。

初めての子供が可愛くて仕方なかったのですが、当然、僕も子供のオムツを替えたりミルクをあげたりしていました。

そんなある日、妻の実家で子供のオムツを替えているとき、妻の母から言われました。

「ちゃんとオムツを替えて偉いね〜」

・・・妻は毎日やってくれてますけど??

妻の母は、「育児をするのは母親の役目」と、昔に押しつけらた価値観を持っている人なわけですが、それは妻の母が悪いんじゃなく、

「育児をするのは母親の役目」だという価値観を押しつけてきた社会が悪いんだと思うのです。

「育児をするのは母親の役目」だと、その夫婦がお互いの役割分担を自発的に決める家庭もあるかと思いますし、その価値観そのものを責めるつもりはありませんが、

その価値観が、あたかも世間の一般常識だから他の家庭もそうあるべきだと押しつけることはおかしいと思います。

育児や介護などのケア労働をするのは女性、みたいな価値観については、こちらの記事が分かりやすかったです。

他にも例えば、お茶出しするのは女性、みたいな考えなど、

働くうえで、女性に何かを押しつける価値観も未だに根付いているように感じます。

仮に、女性が自らの意思で自発的にそれらをやっているとしても、押しつけられた価値観を無意識に受け入れてしまっているのではないかとも思ってしまいますし、

これらの問題の本質は、女性にそれらの価値観を押しつけている、男性側の価値観の問題だということです。

今は過渡期か?

世界経済フォーラムが発表した、各国の男女格差を示したジェンダーギャップ指数では、日本は、153カ国中121位でした。

実際に、人口的には男女はほぼ半々ですが、社会を動かすような立場にいる人、企業の役員などは日本では男性がほとんどです。

そのような立場にいる人たちは、おそらくですが、年齢的には私の妻の母親と近い年代の人たちがほとんどで、

先ほど取り上げた事例で言う「育児をするのは母親の役目」などの価値観を女性に押しつけることが当たり前のなかで育ってきた人たちだと思われます。

そのような、女性に何かを押しつける価値観を当たり前としてきた人たちに育てられたのが、僕を含めた30〜40代の人たちで、

この世代は、上の世代の価値観を継承した人たちと、その価値観が全てではないと考える人たちが混在している世代で、今はまさに過渡期なのではないかと思います。

つまり、大事なのは、今の30〜40代の世代の人たちが今後の社会を担っていくときに、自分たちより上の世代が持っていた、女性に何かを押しつけることが当たり前の価値観をちゃんと否定して、多様な価値観を認めながら、次の世代を育てることだと思うのです。

そうすれば、社会における、男性からの不必要な「女性らしさ」の押しつけやバイアスもなくなり、

結果として「男性らしさ」の呪縛から男性自らも抜け出せるんじゃないかと思います。

最後に。

「男女差」をテーマに書いてきましたが、データに拠らず、僕の推測でしかないことも多々書きました。

それは、これまでに書いた、結婚=妻が夫の家に嫁ぎ、家同士が結びつくという価値観や、ケア労働は女性がするものという価値観を持っていた親に僕も育てられ、僕自身もそれを当然のように受け入れていた実感からです。

周囲の友人も結婚したり子供を持ったりしていますが、そんな同年代の男女の友人と話をしても、概ね同じ価値観を共有していることを感じてきたことも大きいです。

結婚して自分自身が改姓したことを機に、そんな当たり前だった価値観に疑念を持つようになりましたが、

知れば知るほど、ただの「差」に収まらない「女性差別」がある事実にも直面します。

つい最近も、町長からの性被害を訴えた女性町議が、議会発意のリコールの成立によって失職したというニュースがありました。

裁判で係争中で何が真実なのか明らかでないなか、「品位を貶めた」として、町唯一の女性町議が解職させられたのは、町ぐるみのセカンドレイプであり、女性の声を封殺する村八分の体質がまだ日本にも根付いていることの証左かと思いました。

このように、女性の立場は、まだまだ弱いままです。

正確には、男性によって、弱いままにされている、でしょうか。

男性である自分にできることは、この問題を問題だとちゃんと認識して、批判の声をあげること、それにより少しでも多様な価値観を認め合える社会を自分たちで作っていくことだと考えています。

最近は、Twitterで知った「私たちは性暴力に講義します」のラバーバンドを購入(トップ画)して、友人たちにこの話をしました。

僕には、娘と息子の二人の子供がいますが、

娘には性被害に遭ってほしくないですし、息子には加害者になってほしくないという思いから、このラバーバンドを購入しました。

友人たちにどこまで伝わったのかは分かりませんが、これからも、伝える努力はしていきたいと思っています。

今後の子育てに関しても、娘には、「女性らしさ」を押しつけたくないですし、

息子にも「男性らしさ」を押しつけないのは勿論、女性に「女性らしさ」を押しつけないような人になって欲しいと思っていて、

自分の価値観も押しつけないように注意しながら育てていこうと思っています。

二人が大きくなる頃には、そんなジェンダーバイアスはない、どんな性であろうと誰もが自分らしく生きられるような世の中になっていてほしいと、心から願うばかりで、

そんな世の中にしていくために、自分ができることは何かを模索しながら、できることはやっていきたいと思う今日この頃です。

子育てにおけるジェンダーバイアスについては、こちらの図書がとても参考になりました。


拙い長文・駄文となり、すみませんでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また徒然なるままに書いていきたいと思います。

こてら@旧姓

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