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2月15日 春の日射しと中学生、そして良経

 今日も暖かな春の日射しだ。教室では段々と上着を脱ぐ生徒が増えてきた。体育の授業前のテンションが格段に上がっている。

椅子の背に脱げや学ラン冬籠り今は春べと脱げや学ラン

☆   ☆   ☆

 春の日射しを歌う和歌は、多くは無いと思う。春の代表的な歌材は霞であり鶯であり梅であり桜だ。

 日射しを歌う歌を探して『六家抄』内の「秋篠月清抄」(藤原良経)を開いた。「集」の方が見たいけど、持ってないから仕方がない。

長閑なる春の光に松嶋や雄島の海人も袖や干すらん

 「雄島の海人」は松島の漁師だ。源重之という男が

松島や雄島の磯にあさりせし海人の袖こそかくは濡れしか(『後拾遺集』 827)
松島の
雄島の磯で
漁をした
海人の袖こそは
この私の袖のようにびしょびしょに濡れたものである

と詠んでから、平安貴族たちにとって雄島の海人は袖がビッショビショになった人の代名詞的存在となった。多分海人たちは知らないだろうが。

 良経の歌は、その袖がビッショビショの海人たちでさえ袖を干すだろう、というのだ。海人たちのアイデンティティの喪失だ。平安貴族の脳内で妄想されている雄島海人アイデンティティだけど。
 ともあれ春の光ののどかさは、本分(?)を忘れさせるくらいに人の頭をボケさせるのだ。

このうららかな
春の光には
あの松島の、
濡れた袖で知られた雄島の海人さえも
袖を干すのだろうか


 中学生だって、そんな春の日射しに温められては、そりゃ学ランなど椅子の背にかけっぱなしで遊びに行くだろう。そのうちの何人かは、きっと着て帰るのも忘れたはずだ。

 行け行け。シャツのまま走って帰れ。中学生なんてそんなもんで良い。

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