3月12日 息子の褒め言葉と藤原雅経の花と月

 朝、自作のベーコンを切ってキッチンペーパーでくるみ、電子レンジであたためた。ネットの情報通り、カリカリベーコンが完成した。

 興味がありそうな息子に食わせた。いいね、と言っていた。塩が効いていていいね。
 七歳児のほめ方は、やたらと具体的なのである。

 ともあれようやく、息子に褒められるベーコンにたどり着けた。ベーコンそのものの問題というより、調理法の問題だったようにも思う。カリカリに仕上げるのが正解だったらしい、今後に生かそう。

塩味が良いねと君が言ったから弥生の12はベーコン記念日

 まあ、こうなります。我ながら「弥生の12」のわざとらしさが凄い。

 それにしても、わが子の「うまい!」の威力は強烈だ。一発で中毒になってしまう。
 しかし現実に、子どもが毎日「うまい!」を連発するわけがない。ほとんどが空振りだ。「うまい!」の一日は記憶に残るだろうけど、その何十倍も「うまいと言ってもらえなかった日」がある。

 食事の作り手には、毎日でも賞賛と感謝の思いを伝えるべきだな、と思う。

☆ ☆ ☆

 ぼちぼちソメイヨシノも咲き始めた。

 ソメイヨシノは色が良いと思う。あの色でなければ、清楚でド派手という矛盾に満ちた美景を獲得することはできなかったろう。

尋ね来て花に暮らせる木の間より待つとしもなき山の端の月
            (『新古今和歌集』94 藤原雅経)

 「待つとしもなき」が良い。花を愛でていたら月も現れ、興趣を添えたと歌う。景気が良い。 

 『万葉集』の額田王の歌、

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

を思い出す。額田王の歌は月→潮で、雅経の歌は花→月だからモノは異なるが、目的のものに意識を向けている間に思わぬ喜びが訪れた、という展開は似る。

 人の営みに自然の興趣が寄り添う。一種の調和だろう。

探し求めてやってきて
花の元で一日、過ごした
その桜の枝と枝の間から
思いもかけず
山の稜線に出た月が見える


 頑張って花を愛した作中主体。
 ご褒美感のある月の姿見せである。


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