《和歌日記》2021年1月8日
いやさむっ!!!寒いわ、あほかっ!!冬あほーーー!!
手がアカギレしまくるこんな日に、三学期が始まりましたわけですけども。立っても寒い歩いても寒い、チョークを握る手が寒い。窓の外みりゃ南国鹿児島に雪が散らついてます。
何にもなきゃスクワットしたり叫んだりするいつもの古文をやってるはずなのに、新型コロナがいつまでもコロナコロナしてるもんだから、こんな寒い日にしんと静まり返って身動き一つしない授業しかできやしない。身も心も寒い。
それでも2週間ぶりに教壇に立つとテンションが上がります。テンションが上がるのが嬉しい。2週間の冬休み、正直短すぎるぜと思ったけれど、それなりに心身が回復したと分かるから。年末はくたびれ果ててたんだ、ほんとに。
こんな日は寒さ対決をしてみましょう。まずは『古今和歌集』の寒い歌から。
み吉野の 山の白雪 積もるらし 故郷寒く なりまさるなり
(325 坂上是則)
麗しい 吉野に雪が 降るらしい ここ旧都・奈良が 冷え込んだから
めっちゃ寒いんで、ぼちぼち桜島も冠雪してんじゃね?といった風情です。
冷え込みの指摘より吉野山の白化粧を先に歌うのが良いですね。「寒くなりまさるなり」というギュッとした冷え込みの指摘も、先に描かれた吉野の美的風景に取り込まれて、冷えへの愚痴という感じにはならず雅やかです。
続いて『新古今和歌集』の寒い歌です。
さえわびて さむる枕に 影見れば 霜深き夜の 有明の月
(六〇八 皇太后宮大夫俊成女)
冷たさに 目覚めて見ると 枕には 深く置く霜に 映る月影
むっず!俊成女(「女」はむすめってよみます)の歌むっず!
状況が幻想的過ぎてもう寒さから引っ剥がされそうなんですが、始まりは確かに寒さです。しんしんと冷える夜の寒さに目が覚める。どうもその寒さは、夜風とかじゃなくて枕の冷たさのようなんですね。
枕が冷たい。なんで?そりゃ冬だからです。何ですが、今日特別に冷たいとなれば、そこに何かを感じたくなります。その冷たさ、涙が冷えたせいじゃありません?
ところがその冷たい枕、見てみると光っている。「影」ってのは光のことを言います。星影、夕影、火影。それらは星の瞬き、夕べの陽光、灯火の揺めきです。もちろん子どものおもちゃみたいにピカピカひかってるわけじゃないです。闇の中に白さが滲む、かそけき光。
なんで?
霜です。霜柱です。枕に氷の柱が出来ちゃってるんです。そら寒いわ。
でもおかしいですよね、霜柱が自ずから光る、なんてありえない。
種明かしするように、五句。その光は月光でした。ただし天上からの光を直接みているわけではありません。下弦の月がもたらすあえかな光を、微かにかすかに湛えた霜柱。なんという幻想。
この霜柱は枕に滴った涙が凍りついたもの、とみたいんですよね。
眠っている間に流した涙が冬の寒さで凍てついて霜柱となり、月の光を湛えて主をめざめさせる。そんな幻想的な物語を読んじゃいます。
さて、今夜はあまりに寒いので、『古今和歌集』と『新古今和歌集』の寒い歌を並べてみました。皆さんの好みに会う「寒い歌」はどちらでしょうか?
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