ボーイミーツガールから結婚まで(超速) 伊勢物語23ー①
1,「たけくらべ」って、自慢の竹を比べ合う雅な爺ちゃんの話だと思ってた頃がありました。
さて第二十三段です。つついつのいづつに、のあれです。早口言葉ですね、すでに。長い章段なので、三つに分けて紹介します。
まずは第一部、幼なじみとして出会った男女がアオハルを経てプロポーズし、結婚するまでです。超速展開に振り落とされないようお気を付けてお楽しみください。
むかし、ゐなかわたらひしける人の子ども、井のもとにいでて遊びけるを、おとなになりにければ、男も女もはぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ、女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありける。さて、このとなりの男のもとより、かくなむ、
筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
女、返し、
くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき
などいひいひて、つひに本意のごとくあひにけり。
さて、どこがアオハルか分かりましたか?
おとなになりにければ、男も女もはぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ、女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありける。
ここ。特に「親のあはすれども聞かでなむありける」、コレです。
それでは訳です。今回は、わずかな言葉からドラマを汲み取る俵万智氏の訳を示しましょう。
むかし、たいそう仲のよい男の子と女の子がいた。ふたりとも親はいなかにつとめる地方官で、家がとなりどうしだった。「筒井」といって、筒状にほった井戸があり、ふたりはよくその周囲であそんだ。井戸には「井筒」とよばれるかこいがしてあり、おとなの胸ぐらいの高さがある。井筒に印をつけて、おたがいの背をくらべっこしたりもした。
「ぼくの背が、この井筒より高くなったら、きっときみをお嫁さんにするからね。」
「じゃあわたしは、その日までうんと髪を長くして、まっているわ。」
幼いうちは無邪気にそんなことをいいあうことができた。が、だんだん年ごろになってくると、おたがいにはじらう気持ちがでてくる。無意識だった好意が、そのうちにはっきりした恋にかわった。
男は、自分の妻になる人は彼女しかいない、と思うようになった。女のほうも、もちろんそう思っている。が、幼なじみであるがゆえに。かえって自分の気持ちを、相手に伝えられないのだった。
そろそろ適齢期だというので、女の親のほうは、あれこれと縁談をもってくる。が、もちろん娘は、がんとして受けつけない。
「じつは、わたしには、お約束した人がいるのです・・・・・・。」
「ええっ。おまえ、親にないしょでなんということを!」
腰をぬかさんばかりにおどろいた両親も、筒井のほとりでかわされた幼いことばがその約束だときいて、おもわずわらいだす。
「そんな子どもじみた約束をあてにしていては、おまえ、結婚しそびれるだけですよ。もっと現実を見つめなくっちゃ。両方がおぼえていてはじめて、約束っていうのはなりたつんだから。」
そういわれると彼女にも自信がない。
「いいえ、でも、きっと・・・・・・。」
さて、そうこうしているうちに、ある日となりの家の男から、歌がとどけられた。
筒井にて井筒とくらべた我の背はすぎてしまった君を見ぬまに
一人前の男から一人前の女へ歌をおくるということは、求愛を意味している。しかも内容には、ちゃんと遠い日の約束のことが示されているのだ。胸いっぱいにひろがる幸せをかみしめて、女のほうも一首、返歌をおくった。
あの日からのばした髪も肩をすぎあなたのためにあげる日をまつ
髪をあげるというのは、女性の成人を意味する。子どものうちは「振り分け髪」といって、左右にわけてたらすスタイルである。
この贈答歌によって、ふたりはめでたくむすばれ、幸せな夫婦となった。
「そういわれると彼女にも自信がない」。
自信、無かったんですね。
2、現代翻案、してみましょうか
今回のストーリーは、先ほど述べたように
①幼くして出会う
②アオハル
③プロポーズ
④結婚
という、現代人感覚でもオーソドックスに思える展開です。言ってみれば平凡な今段を、変な言い方ですが「古文らしく/伊勢物語らしく」しているのは、出会いの場所(井戸)とプロポーズの方法(和歌の贈答)でしょう。
ということで、今回のLessonです。
Lesson26 出会いの場について現代版に変更した上で、現代翻案しなさい。
まずは、出会いの場を現代風にしてみましょう。
出会いの場:井戸端→( )
お好きな設定でよろしいですが、例えば近所の公園としてみましょう。
土台として、新編全集の訳を示しておきます。
昔、田舎暮しの境遇にあった人の子供たちが、井のところに出て遊んでいたのだが、
それでは「井のところ」を変更してみましょう。文も切ります。
昔、田舎暮しの境遇にあった人の子供たちが、自宅近くの公園でいっしょに遊んでいた。
最後に、各設定に具体性を持たせましょう。場所や人物設定も、意識して特定のものを与えてみます。語り手も思いきって、話の中の女性と同一人物にしてしまいましょう。
まだ平成という年号に誰もが新鮮味を感じていたころのことだった。私は5歳か6歳で、霞ヶ関に通勤する父が浦和に建てた家に、少しの不安と強い憧れを感じていたのを覚えている。
その頃の浦和には大きなショッピングセンターすらも無く、私たちのような子どもが遊ぶ場所と言ったら、専ら近所の公園と相場が決まっていた。
私が初めてその公園を訪れた日、彼はそこにいた。その後何度が公園に行ってすぐに分かったことだったが、あの日に彼が公園にいたのは偶然ではなかった。彼はずっと、そこにいた。毎日、おそらく幼稚園だか保育園だかが終わって家に帰ってから、夕食の時間になるまで。毎日、日曜日ですら例外とせず、彼はその公園にいた。
彼は常にそこにおり、そしておそらく、その公園に君臨していたのだった。
・・・現代小説風に書き始めると、最初の一文を具体化していくだけでかなりの分量になりますね。
この後のアオハル展開、プロポーズ、結婚まで、書いてみませんか?
3、振り分け髪
さて、それでは最後に、ウンチクとして平安女性の髪型に触れておきましょう。女の歌に出てくるヤツです。
くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき
ここにある「あぐ」というのは、成人女性にふさわしい髪型(下図)にすることを言います。
こうした髪型になる前は、子どもにふさわしい髪型をしていました。その髪型を「尼削ぎ」や「振り分け髪」と言ったのです(呼び方は違いますが、どうも同じ髪型であったようです)。
この髪型をした子どものちょっとした振る舞いに愛らしさを感じたのが清少納言でした。
頭はあまそぎなる児の、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきて物など見たるもうつくし(『枕草子』より)
なお、「振り分け髪」と言ったとき、そこには男女の区別はありません。幼い頃は男女ともに髪を振り分けていた。そして今段の男女は、その長さを比べたりして遊んでいた、ということなのです。
髪というものに視点を定め、子どもから大人への変容を物語る。それは同時に「子ども」から「男女」への、性の分化を示すものでもあります。幼い頃は性の意識もなく、長さを比べて遊んでいた。しかし大人になると、女性にとって、髪は性の象徴となる。少女から大人の女への変容を、他ならぬ惚れた男の手によってなすことを求める、女の心。
そこには強烈な身体性を伴う、媚びとも言えるような性の意識を感じてしまいます。
要するに、この歌かなりエロいよ、ってことですね。
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