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4月11日 息子の陰性と慈円の初夏

 息子がPCR検査を受けた。陰性だった。

 結局僕も息子たちも、職場や学校を2日休むことになった。できることは待つことだけだった。公園にも行かないから体力は使わないが、ニキビが複数個できた。

 陽性反応を示してしまった子やその保護者の方々はどれだけの心労だろうか。隔離され、世の中において行かれるような二週間。特に自宅にいることが多い方、近所の人と交渉が多い方は、世間の目を気にしながら過ごすストレスが桁違いだろう。

昼飯は毎日ほか弁夕飯はパスタで回そう だから笑って

☆ ☆ ☆

 2日ぶりに歩いた外は、春が終わっていた。花の白さは景色に溶け込み、新緑のみずみずしさが目立つ。初夏がやってきた。

散り果てて花の陰なき木の本にたつことやすき夏衣かな
                 (新古今・夏・慈円)

 なぜ「たつことやすき」、つまりその場に立つ際に心が穏やかであることをわざわざ言うのだろうか。

 穏やかで無い時があったからだ。
 春の桜の咲き始め。満開の時期。落花の時期。それぞれ待ち遠しく、短さが心細く、落花が惜しまれた。落ち着いて味わい尽くすことは難しい(というより、味わいつくすことは歌にしづらい)。

 慈円の歌は、穏やかだ。花の時期が終わり、揺り動かされなくなった初夏の心だ。
 「たつ」には「裁つ」の意味もかかり、「衣」との言葉の響き合いで「衣を裁つ」イメージを形成している。夏衣は裏地のない単なので、裁断も楽だろう。スパッと切られるイメージで、季節の移り変わりが完了したことを言外に思わせる。

 水無月祓や大晦日にみるように、日本文化には過去のあれこれを水に流し、心機一転新たな時間を迎えるクセがある。狭い地域で定住していることなどが関係していそうだ。
 現代でもそうできれば良いのだけれど。

すっかり散ってしまって
花の作った陰なんて一つもない
そんな木の下で
立っていることは実に気楽なものだ
すっかり季節は変わってしまって、私の着ているのは裏地も無い夏の衣なのだから


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