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1月20日 肉塊への敬意と後鳥羽院の空

 俵万智『考える短歌』で一首の内に動詞が多いととっちらかるという趣旨の教えがあった。

一首のなかに、あまりたくさん動詞が入っていると、「朝起きて歯を磨いてごはんを食べて・・・・・・」という小学生の作文の悪い見本のような印象になる。一般的には、三つが限度ではないかと思う。

 昨日の短歌は「立つ」「泳ぐ」「ある」の三つ。限度だ。加えて名詞化されている「頷き」もあるから、ほとんど四つといって良いだろう。
 俵万智の教えに従い、昨日の短歌を添削してみよう。

教壇に立つ鉄面の裏で泳ぐ目の隅君の頷きがある

教壇の上の鉄面皮の裏で泳ぐ目の端頷く君よ

 「立つ」「ある」を削った。また、動揺を隠せない作中主体が「頷く君」に救いを見出している感じが出したくて、「君よ」と呼びかけの形にした。

 良くなったのかどうかは、分からない…。



 今日は自作ベーコンに使うバラ肉ブロックを買った。肉屋で800gを切り出してもらった。
 思ったより大きかった800gに、僕は少しだけ緊張した。

 『考える短歌』第四講「数字を効果的に使おう」を参照しつつ。

厳かな800gの肉塊を目線の高さに掲げて見合う




 今夜は『後鳥羽院御集』の春の歌を読む。

吉野山雲にうつろふ花の色をみどりの空に春風ぞ吹く(四一四)

 『考える短歌』第七講「色彩をとりいれてみよう」を読んだ後だから、色鮮やかな「吉野山」歌が目に止まった。

 「うつろふ」は「散っていく」位の意味だが、直前の「吉野山」「雲に」があるおかげで、吉野山から雲に向けた花弁の白の奔流が幻視される。

 上句だけでもスケール感のある歌だが、四句でその花弁の奔流すら一部に収めるエメラルド色の空が広がる。

 二つの色は、最後に春風で混じり合い、一体化する。詠者が後鳥羽院であるだけに、「王者らしい」などと語りたくなる巨視と調和の歌だ。

 吉野山から怒涛のごとく桜の花が吹き流れて行き
 高く舞い上がり雲の高さにまで至る
 その、花の白を
 見やれば遥か碧の空に
 緩やかな春の風が溶け込ませてゆく

 俵万智なら何て評価するんだろう。


 


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