【短歌と和歌と、時々俳句】3 花橘
ゴールデンウィークの後半にだらだらする一日を設けました。すると子どもたちは一日中テレビを見ています。あまりにも不健康すぎる姿に業を煮やしてテレビ禁止にし、庭の手入れを一緒にしたり近所の公園で遊んだりしました。それで一日は回るのだけれど、振り返ると僕自身はあまりだらだらできなかった気がします。
子ども達がもうちょっと生産的で溌剌としただらだらを自発的にしてくれたら助かるのですけれど。
さて、今日の鹿児島も未だ梅雨を迎えていません。強い日射しに照らされた住宅街のあちこちから、庭の芝を刈る音が聞こえてきました。汗のにじむこんな日には橘のさわやかな香りを主題にしてみましょう。橘はミカンのことです。普段僕たちが食べている温州ミカンじゃないですけど。
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まずはこれ。
『古典文学植物誌』によれば橘は「霊力のある樹木として市に植えられた」り、「市の橘の樹下は恋に関わる空間として詠まれた」りしていたようです。特に『古事記』などに描かれている「ときじく の 香の菓」は垂仁天皇が多遅摩毛理に求めさせた果実でしたが、これが橘のことだとされていたのは強い印象を与えます。
このほかにもいくつかのイメージを背負わされていた橘ですが、上に掲げた「五月待つ」歌の登場により、平安時代には橘の香りと言えば追憶、というほどイメージが定着してしまいました。花橘の香りが、かつての恋人が袖にたきしめた香りを思い出させるのです。「五月待つ」歌は『伊勢物語』の60段にも登場しました。
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平安時代の花橘の歌はほとんどが香りから追憶を詠む歌となっています。そのためそれらは全て「五月待つ」歌の影響下にあると言えてしまうのですが、その中でも明確に「五月待つ」歌を本歌取りしたのが上記の藤原俊成女の歌です。
橘が導く現と夢の越境。作中主体の振る舞いが何とも言えず艶やかで、現実詠なのか題詠的に創作しているのか分からなくなります。俊成女はそのあたりをいつも揺蕩っている。現代なら2.5次元系歌人なんて言われそう。
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こちらは本歌取りというよりは花橘の追憶機能を利用した歌というべきでしょう。歌うのは亀山院。大覚寺統の皇統をひらき、持明院統との対立の原因を作った天皇です。
一工夫あるのは、橘の香りで過去を呼び起こしているのは自分ではないというところ。自分はそもそも忘れていないというかつての治天の君。自分に仕えた右のつかさ=右近衛の武官たちは、巡ってきた橘の香りただようこの初夏の季節にあの頃を思い出しているだろうか、と問いかけます。なかなか政治的な匂いを感じさせる一首なのではないでしょうか。
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時代は下って元禄年間。ここに至っても花橘は「昔」のイメージを抱かされています。一方の茶は「新」茶。花橘と茶とは時間軸で対照させられています。
そんな花橘と新茶とは、茶の名所である駿河の地では茶に軍配が上がります。しかしそれは土地柄の問題なのでしょうか。駿河の地の茶と橘の対比だけでなく、不易流行を唱える芭蕉が追憶と展望を対比させて後者に心を傾けている句だと受け取るのはうがちすぎでしょうか。
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最後は令和の歌詞より。花橘とは関係ないですが、香りと過去と恋の絡みが伊勢物語を彷彿とさせる流行歌です。
伊勢物語60段を掲げてみましょう。
他の男と駆け落ちした元妻の家で歓待される男。しかし元妻は気付いていません。元妻を呼び出す男。呼びだされ求められるままに給仕する元妻。両者の身分の隔たりは大きく、きっと目線は合っていないのでしょう。そこで男が橘を手に取って歌います。別に君を求めてないけど、隣に居られると思い出す、と。
「君」を求めてませんよね、これ。だって、元妻は今の夫と住んでいて、その家に男はお邪魔しているんです。このシチュエーションで元妻に再度の駆け落ちを求めるはずないでしょう?
かくして元妻は男のことを思い出し、出家して山に行ってしまいます。超展開がすごい。祇承の官人さんが哀れでならない。現代人からするともう少しヘイトを稼いでからざまあをお願いしたい。『落窪物語』を見習って欲しい。
瑛人さんの「君」はどうだったのでしょうか。スターとなった瑛人さんと再会したりしたのかな。
まあ歌詞にリアルの過去を見るのは野暮ってもんでしょうけれど。
今回は以上です。最後までお読み下さりありがとうございました。
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