私と落語とあかね噺

このnoteで、あかね噺という落語を題材にした漫画の感想をつらつら並べてきました。そんな私の、これまでの人生での落語とのかかわり、あかね噺にはまったきっかけを一回整理してみたいと思います。ジャンプが一週休みの間に書こうと思ったのに、もう明日出るってさ。

私と落語

 正直に申し上げます。
 今までほとんど落語に接したことはありませんでした。
 強いて言うならば、笑点だけは、日曜日、父親が競馬中継を見終わって、夕ご飯まだかな、そんな時間にやっている番組で、見れるときは見る、そんな番組でした。下ネタ(誰とは言わない)の意味が分かってきたときに成長を感じますね。吉本新喜劇と並んで、隙あらば面白いことを言いたくなるという性分を形成してくれた番組です。安定感のある笑いのなんとありがたいことか。部活や仕事で見る機会は少なくなりましたが、見るとほっとするんですよね。すごく心身疲れてるけどまだ笑える、病んではないというバロメーターみたいな役割でもありました。とはいえ、お笑い番組の一つという感覚でしたし、落語家の番組ということは、あまり気にしていませんでした。幼い頃、昇進披露? の紹介なんかはチャンネル変えてました、逆にお正月なんかで、ちゃんと落語してる風を見ると、おおっとなるというか。あかね噺にはまった今では、なぜその番組をちゃんと見てなかったのかと思いますが。

 プロの高座こそありませんが、7~8年前、一度だけ、大学の学園祭で、落研の寄席があるということで、少しだけ覗きにいったことがあります。そこでお二人の高座を観ました。お一人の演目はちりとてちん。朝ドラのタイトルになっているということで、名前だけは知っていました。名前だけは。なるほど、こういう噺か、と思った記憶があります。
 もう一方の演目の名前は憶えていないのですが、めちゃくちゃ気の長い長さんと、とんでもなく気の短い短さん?のかけあいの噺でした。(「落語 長短」で調べたらタイトルまんま長短で、短さんじゃなくて短七さんでした。)あまりこういうことは言うべきではないと思うのですが、部活疲れもあってのことですが、長さんのパートだけ、寝落ちしてしまったんですよね。長さんのパートだけ。噺の間ずっと寝るんじゃなくて、長さんの時だけっていうのが印象深くて。不思議な空間だったなぁと思いました。

 一時期、職場から数駅の距離だったので遅い時間の出勤前とか、早く終わった時に、天満天神繁盛亭に行こうかと考えたこともありましたが、結局行かずじまいでした。というか仕事関係なしに平日休みの日でええやんか。

私とあかね噺

 中学生の頃、抱いていた夢がありました。
 週刊少年ジャンプを毎週買うこと。

 お金を気にしないようになるというよりは、団地暮らしだったとかで収納場所を気にしてという思いが強かったように思います。

 大学生になり、就職し、ずっと追っていた漫画がどんどん減り、ジャンプへの熱が冷め始めた頃にある作者の新連載が始まります。松井優征先生の逃げ上手の若君です。面白くないわけがない。中学生の頃に抱いていた夢をふと思い出し、結婚して実家を出た今なら毎週買ってもいいんだ、せっかくいい機会だから買い始めようと今に至ります。色んなイベントが制限されたコロナ禍でも、毎週月曜日にお店に並ぶ。この定期的に並ぶというのが大事なことで、次の話が読みたい、また今週も頑張ろうというエネルギーになっていました。
 そうこうしていて1年くらいか、新連載の看板をひっさげてあかね噺が始まりました。第一話でビビッときたのは、逃げ若からジャンプを追っていて後にも先にもあかね噺だけでした。第一話だけを読んで、これは単行本をそろえようと思わされたんですよね。確かに落語に興味がなかったわけではなかったけど、ふかーーーーく刺さったんですよ。話の展開は早いけど、飛躍がある訳ではない。絵柄も丁寧で見やすい。コマ割りはシンプルだけど、魅せるコマはとことん魅せる。人間関係も深そうで、関係性オタクにはたまりません。
 それからは、本当に単行本を揃えるにふさわしい面白さか、吟味が始まりましたが、まぁ面白い。単行本を買って、面白いからとりあえず読め!って実家の父親に持っていきました。

 そして、あかねが前座修業を始めるか始めないかのタイミング、私にも転機が訪れました。念願であった電車の運転士になるための研修が始まったのです。研修センターに缶詰になって、3か月ほどの学科講習、それから各現場に配属になって、師匠にあたるベテランとマンツーマンで乗務することおよそ半年、そして国家試験を受けて……という研修です。(仕事の話で閲覧稼ぎたいほど承認欲求はないので、あまり表にはしてきませんでしたが)(研修センターで缶詰の間も、毎週外にジャンプを買いに行ってました。教科書を捨てると怒られるそうですが、ジャンプを捨てる分には何も言われませんでした(笑))

 自分が、運転士の見習いとして新たな環境で、師匠について手取り足取り教わり、人間関係含めて色んな課題を乗り越えようとする状況と、あかねの前座修業がダブって感じまして。運転士の見習、最初は誰それの弟子という覚え方をされますし、何かあれば師匠の顔に泥を塗ることになってしまう。そして兄弟子弟弟子がいたり、○○一派とか、○○会とかいう師匠の名前を冠した、一門みたいなのがあったり。それもあって、より一層、あかね噺にのめり込むようになりましたね。
 ストーリーが進むにつれて、たくさんの師弟関係が登場してきたのも、またアツい。ちょう朝師匠、本気で弟子入りしたい。夢弟子したい。そして泰全師匠の「師匠をクソと呼んでいいのは弟子の特権」に対しては本当に激しく頷きました。まぁクソとまでは言わないまでも、師匠disりは弟子の特権ですよね、私の師匠はええ人なんですけど、まぁ人間それだけじゃない訳でして。


 落語とあかね噺に対してはこんな感じの思い出です。だから、感想で落語の世界そのものについては触れることができません。だから皆さんの感想記事や、寄席に行ってみたとか、趣味で稽古してもらってますーとか、色んな記事で勉強させていただいています。まぁ、前座さんが面白くないという割には、ご自身の文章も「クソ」ばかりで、具体性に欠ける批判で面白くないやないか、辛口ってつけとけば何言うてもええんか、みたいな、色んな記事があるなぁとは思いましたが。
 考察も正直、する方ではなかったのです。学生の時の国語、小説なんかはパッションで読んで、ストーリーだけ追いがちな人間でしたので。けれどもあかね噺だけは、読めば読むほど色々考えさせられるから仕方ないです。

 引き続き、Xでつぶやくには持て余す、あかね噺の感想を書き連ねていきたいと思います。

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