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マルグレーテ

 周囲を包むのは静寂。
 気が遠くなるほど長い時間、彼女はそこにいた。
 周囲の星系に住む者たちから「工業惑星」と呼ばれる惑星マトゥラーの四番目に大きな衛星。特に名前はない。採掘するべき鉱脈も資源もない、一般にはただの質量のカタマリとしか認識されていない無人衛星。
「システム定期チェック終了。索敵モードに移行します」
 少女は、いつものように神経を研ぎ澄まし、敵襲にそなえる。
 たとえ何千年、何万年の間、その場所を誰も訪れなかったとしても、与えられたプログラムを忠実に実行することが、彼女の使命だった。
「!」
 少女のセンサーが、おびただしい数の接近者を察知する。こんなことは、彼女が「研究所」と呼んでいる建造物の警備を開始して以来、初のことだった。
 彼女は、命令を忠実に遂行するために、人工知能を索敵モードから戦闘モードに切り替える。
 彼女に与えられた命令はただひとつ、研究所に接近する生命体の殲滅。
 何も難しいことではない。今まで通りやればいいのだから。
 皆殺しにしてやる。

 暗闇。
「見てみなさい、ツィスカ。すばらしい機構だとは思わないか?」
「危険じゃないんですか? 彼女を捕獲した調査隊の半数以上が重傷を負ったと聞いています」
 遠くで誰かが話す声が聞こえる。
「死人は出なかったのだろう?」
「でも……」
「大丈夫、戦闘プログラムの解除には成功した。システムにセキュリティはかかっていなかったよ」
 何の話をしているのだろう。
 自分のことを話しているのだろうか? そういえば、他人の会話を聞くのは久しぶりだ。
 彼女は、まどろみの中から自分の意識が急激に覚醒していくのを感じていた。
「あう……」
 目を開くと、そこには彼女の見知らぬ風景があった。
 明るい感じの、どことなく生活感がただよう広い部屋。その部屋のベッドに彼女は寝かされていた。
「おお、気がついたね?」
 彼女が目を覚ましたことに気付いた白衣姿の初老の男が、駆け寄ってくる。初老の男の後ろで、若い女性が心配そうに彼女の方を見ていた。
「おじちゃん、誰?」
「僕かい? 僕の名前はアルトゥーアって言うんだ。アルトゥーア・ケルナー。みんなからは『博士』って呼ばれてるけどね」
 そう言って初老の男は笑った。優しい感じのする人だな、と彼女は感じた。
「名前は何ていうんだい?」
「名前?」
「そう、名前。君の名前だよ」
「あたちの名前…………………」
 彼女は困惑する。もちろん「名前」という言葉の意味は知っていた。しかし、長い間、彼女はずっと一人だったのだ。「自分の名前」という概念は持っていなかった。
「ないの?」
「うん」
「そっか、ないのか」
 アルトゥーアは、ふむ、と鼻を鳴らすと、頭をぼりぼりと掻いた。
「じゃあ、僕が君に名前をつけてあげよう。そうだな……」
 彼は、芝居じみた仕草で腕を組んで考え込む。
 そして、「そうだ」と叫び、ポンと手を叩いて彼は、ニカっと笑った。
「今日から君の名前はマルグレーテだ。よろしく、マルグレーテ」
 そう言ってアルトゥーアは彼女に右手を差し出す。彼女がおそるおそる彼の右手を握ると、男はもう一度、ニカっと笑った。

 フランツィスカ・ケルナーは、窓辺で紅茶を飲みながら、中庭を眺めていた。
 中庭では祖父とアンドロイドの少女が戯れている。
(あの少女がうちに来てから、どれくらいになるのかしら)
 そんなことを考えながら、自分で焼いたクッキーを二枚まとめて、口に放り込む。
 ロボット工学の権威であり、彼女の祖父であるアルトゥーア・ケルナー博士が、マルグレーテという名前のアンドロイドを自宅に連れてきてから、この惑星の公転周期でいうところのまる二年が過ぎようとしていた。
 既存技術に限界を感じていたアルトゥーア博士が、この惑星に伝わるちょっとした噂話に目をつけたのは五年ほど前のことだ。
 つい最近のことのような気もするし、遠い昔のことだったような気もする。
 あの頃は私もまだ学生だったなぁ、そう呟いてフランツィスカは紅茶をすすった。
 彼女たちの祖先にあたる人類が惑星マトゥラーに移民してくるよりもずっと前、この惑星には高度な文明があったらしい、ということはここの住人にとってすでに常識である。ただ、その文明の技術のほとんどは完全に失われていて、それを復元することは不可能だと言われていた。
 その前文明が、現在の文明より優れていた、というわけではない。
 ただ、現在の文明とは着眼点が違うとでも言えば良いのだろうか。発想そのものが違ったのだ。だから、発掘された遺物から、科学者たちの常識を覆すような、新たな発見がなされることがしばしばあった。
 ふたつの文化の融合。それが、この惑星の技術力を飛躍的に向上させている理由のひとつでもあった。
 そんなこともあったから、アルトゥーア博士は、第四衛星にかつての文明の科学者の研究所があるという噂を信じ、私財をなげうって調査隊を送ることにしたのだ。
 そして幾度もの調査と失敗を経て彼の派遣した調査隊は、衛星上の研究施設だったらしい遺跡で、幼い少女の姿をした戦闘アンドロイドと邂逅した。
 聞くところによると、彼女──マルグレーテ──は、二万年近い長い時間、その誰もいない研究所を守り続けていたらしい。
「気が遠くなりそうな話ね……」
 発見された古代の研究所の遺跡には、多くの発見が眠っていたが、アルトゥーアにとっては、マルグレーテそのものが大発見だったようだ。
 フランツィスカは、中庭を走り回る少女を目で追う。
 少女は元気良く庭をかけまわり、やがて派手に転んだ。しかし、祖父が優しく抱き起こすと、また笑いながら走り始める。
 マルグレーテを発見してから、祖父は変わった。
 性格が柔らかくなったとでも言えばいいのだろうか。いや、祖父の性格は元々温和なものであったから、柔らかくなったという表現は間違っているのかもしれない。しかし、フランツィスカには、祖父が変わったように見えた。
 もちろん、自分の主張が正しかったことが証明され、研究が上手くいったこともあるのだろうが、それよりなによりマルグレーテというパーソナリティとの出会いが祖父を変えたのだろうと、彼女は分析する。
「実際、まるくなったもんねぇ。お祖父ちゃん」
 この二年間、祖父はマルグレーテの構造の解析を進める一方で、彼女とのコミュニケーションを最重要事項としていた。
アルトゥーアは、まるで実の孫娘に接するようにマルグレーテに接した。
「これじゃ、誰が本当の孫娘なのか、わからないなぁ……」
 フランツィスカは苦笑する。まあ、でも、それは彼女にとってはどうでもいいことだった。祖父の真意など知ったことではなかったし、彼女には彼女の大事なことがたくさんあるのだから。
 すでに、フランツィスカの祖父はマルグレーテの解析を終了しており、彼の発見はロボット工学界に大きな波紋を呼んでいるし、オメガファクトリーから、マルグレーテのレプリカが、召し使い型アンドロイドとして発売されたばかりだ。売れ行きは好調だという話だから、当分、食べるには困らないだろう。
 しかし、それも最初だけの話だ。その新発見もやがて既存技術の一部となり、新しい技術への踏み台となっていく。
 フランツィスカ自身の頭の中にも、マルグレーテに使われている動力と、既存技術を融合した、新たな動力部の構想が数パターン浮かんでいた。もちろん、実用化できるものなのかどうかは、実際にモデルを構築してみないとまだわからない。
 のんびりしてる場合じゃなかった。
 フランツィスカは、残りのクッキーをたいらげると、急いで自分の研究室へ戻った。

 マルグレーテがアルトゥーア博士に引き取られてからの二年間は、平和そのもので特に何があったというわけではなかったが、ただひたすら二万年近い間、研究所の遺跡を守り続けてきた日々と較べれば、刺激的な出来事の連続だった。
 アルトゥーア・ケルナー博士は、マルグレーテを人間の娘に対するのと同じように扱ってくれたし、何より優しかった。マルグレーテは、博士のことが大好きだった。
「いいかい? グレーテ」
 遊び疲れると、アルトゥーアはいつも彼女に語りかけた。マルグレーテは、博士と一緒に走り回る方が好きなのだが、彼は、いつだってしばらくすると肩を上下させながら「限界だから」と言って中庭のベンチにすわってしまう。
 マルグレーテは、「ゲンカイ」の意味がよくわからなかったが、博士と話をするのも嫌いではなかったので、彼の隣に腰掛ける。
「なぁに? ハカセ」
「グレーテには、やりたいことがいっぱいあるよね」
「うん! いっぱい、いっぱいあるよ」
「でも、それを邪魔する人がいるとする」
「えー、そんなのやだぁ」
「そしたら、グレーテはどうする?」
「えーとね、その人たちをぉ、………うーんと………、壊す!」
 マルグレーテが真面目に何か答えると、決まってアルトゥーアは大笑いする。
「ほえ? どうして笑うの」
「はっはっは。駄目だよ、人間を壊しちゃ」
「ダメなの?」
「ああ。駄目さ」
「どうして?」
 マルグレーテがそう聞くとき、彼は必ずニヤっと笑って「どうしてだか、自分で考えてごらん」と言う。そのときの笑い顔が、彼女はとても好きだった。
「どうしてだか、自分で考えてごらん」
 ニヤリ。ほらね。
 だから、彼女は真面目に考える。
「うーんと、うーんとね」
 わからなくても考える。それが彼女の愛情表現なのだ。
「うーんと……、あ、そか」
「お、わかったかい?」
「うん。そういえば、前にツィスカが『喧嘩をしちゃだめだ』って言ってた。人間を壊すのは喧嘩?」
「ああ、喧嘩だね」
 よくできました、と言わんばかりにアルトゥーアは頷いた。
「じゃあ、人間は壊さない!」
「よろしい。グレーテはいい子だね」
 そう言って、アルトゥーアはマルグレーテの頭をグシャグシャとなでる。ゴワゴワとした手の感じが、なんとなく心地よい。
 でも、髪の毛がクシャクシャになると、またフランツィスカに怒られてしまう。マルグレーテの髪の毛をブラッシングしてまとめてくれるのは彼女なのだ。マルグレーテは、博士の大きな手から慌てて逃げた。
「でも、それじゃ、あたちがやりたいことができなくなっちゃうよ。そんなときは、どうしたらいいの?」
「そんなときはね、考えるんだ」
「考える?」
「そ。どうすればいいのか、ひたすら考えるんだ」
「ムズかしいね」
「でも、考えることができるってのが、人間のいいところだからね」
「あたちはアンドロイドだよ」
「アンドロイドだって同じさ」
「ふ~ん」
「わかった?」
「うん!」
 マルグレーテは、元気よく頷く。アルトゥーアは、もう一度、マルグレーテの頭をグシャグシャとなでた。
「よし。じゃあ、ご褒美に、僕が考えたとっておきの駄洒落を披露しちゃおうかな!」
「わーい。あたち、ハカセの駄洒落、大好き!!」

 実際のところ、アルトゥーア博士は、マルグレーテの構造を完全には解析しきれていなかった。
 唯一、彼が解析できなかったもの、それは、彼女の頭脳、すなわち人工知能である。
 フレキシブルでいてファジーな構造。まさに、それは人間の知能そのものと言っても良かった。アルトゥーアにとって、マルグレーテの人工知能は驚異的なものだった。
 現状のアンドロイドにも、かなり高度な人工知能が搭載されている。ほぼ人間の精神構造を再現していると思っていた。しかし、マルグレーテの人工知能の構造は、それをはるかに凌駕した構造であったのだ。
 だから、市販されているマルグレーテ型アンドロイドと、オリジナルのマルグレーテとの間には歴然とした差があると言っても過言ではなかった。もちろん、素人目に区別できるような反応の差ではない。
 だが、我々が彼女の知能の構造を完全に理解するには、もっと時間が必要だろう。
 そう考えた彼は、できる限り彼女を人間として扱うことに決めた。
 一人の人間としての視点と価値観を与える。そうすることで、やがて、彼女は何かに葛藤し悩むだろう。誰かを愛することがあるかもしれない。
今、彼女は自分の考えたジョークを心の底から笑ってくれている。
 人間そのもの。
 それは、まさに彼が目指すアンドロイドの正しい姿だった。
「この娘には、もっと広い世界を見せたい」
 やがて、彼はそう強く願うようになっていった。
 私が死んだら。
 私が死んだら、私の所有物はすべて売り払ってしまうように指示しよう。
 研究所も、家具も、彼女も、すべて。
 マルグレーテを買った人間は、きっと彼女を普通のマルグレーテ型のアンドロイドだと思い込むだろう。その頃にはマルグレーテ型は旧式になっているだろうから、買った人間はあまり喜ばないかもしれない。でも、それでいい。それがいい。
 そして、新しい持ち主のところで、こことは違うまた新しい世界を彼女は見るのだ。
「ねえねえ、ハカセ」
「ん?」
 気がつくと、マルグレーテが彼の目の前に立っていた。ベンチに座る彼を、不思議そうに見上げている。
「どうしたの?」
「ああ、いや、何でもない。グレーテこそ、どうしたんだい?」
 マルグレーテは、満面の笑みで彼に答えた。
「あたちも駄洒落、考えたの。聞いて聞いて!!」


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