正義と悪

人にはそれぞれ異なった正義があって、異なった悪があって、異なった主張をし、異なった意見を知り、取り込み、少しずつ自分を形成していくもの…と、わたしは思っています。
そもそも論、なぜ正義と悪という概念があるのか?というところから考えると、わたしなりの考えではあるのですが、そこには「多くの人が幸せを感じるか不快感を感じるか」に収束するんじゃないかという結論に至りました。
子供の頃、男の子なんかは特にそうだと思うんですが、…あー、最近は別目的の主婦もそうかもしれないんですが、勧善懲悪の戦隊モノ番組を観ていたと思うんですね。
これって漠然と正義と悪が描かれていて、確かに一般論では悪事を働く者達とそれを懲らしめる者達という二極化した構図になっていて非常に分かりやすいんです。
でも、大人になってくると様々な事情で「悪事に手を染めなくてはならなくなってしまった」人々がいるという事も理解してくるんですね。
それをうまーく描写したのが王道のガンダムシリーズだと思っていて、戦争という行為自体は絶対悪である事は不変の事実なのですが、戦争を起こした者にも「そうせざるを得なかった事情」があるというのが見えてくるんですね。まぁ作品によってはそうならないものもあるんですが、ここでは一旦置いておきます。
この対立する構図をそのままに別事象にスライドすると、飢餓に苦しむ肉食獣と、食われまいとする草食獣の抵抗と似たものがあるんですよ。

例え話をしましょう。

経営に苦しむ動物園が運営を諦め、動物達が放置された結果、肉食獣が街に放たれ、被害者が出たとしましょう。
この時、肉食獣の正義は「生きるために食う事」であり、それに付随する「人間を襲う事」は悪になりません。
が、人間側から見たら、不条理に襲いかかってくる肉食獣は悪であり、「生き残るために肉食獣を殺す事」は正義となるわけです。

このように、立場の違い一つで正義と悪はコロコロと姿を変えるため、一概に「これが俺の正義だ」と振りかざす事が万物に対しての正解となる事は滅多にない事であって、多くの視点から物を考える事はとても重要な事だとわたしは思うんです。

さらに述べると、このご時世、誰しもが大きな発信力を持っています。あ、影響力は別の話ですよ。ここではあくまで発信力…つまり、多くの人間の目にとまる場所、明言するのであればネット上に対して、自分の意見を発信できる時代になっているわけです。
そこで、独りよがりの正義を振りかざす事の危険性を理解している人がどのくらいいるのだろうか?と考えると、残念ながら理解していない人が数多くいる、と言わざるを得ません。

自分は間違った事をしていない、だから悪と思う人間は成敗してしかるべき。
この原理で傷を負った人、命を失った人がたくさんいるという事実。
これは、軽く小突いてやろうと思ったら重症になっちゃった、死んじゃった、力加減を間違えた、そもそも力加減を知らなかった…そういった事と全く同じ構図になるんです。
殺すつもりがなかったら、相手が死んでしまっても罪に問われないのでしょうか?違いますよね。過失致死といって、うっかり殺してしまった…という重罪に問われます。

ネットワーク時代、確かに便利な時代になりましたし、一昔前に比べたらネットの力というのは比べようもないくらい大きくなりました。
ですが、その力を行使できる場所に対する法整備はお世辞にも間に合っているとは言えず、使用者のモラル向上にある程度支えられているとはいえ、モラルの低いユーザーが根絶されたわけでもなく、言わば相変わらずの無法地帯となっているのが現状です。
とはいえ、前述した通り全体的なモラル向上もあり、善悪の判断がつくユーザーもそれなりに増えているため、少なくともそういう方々は藪をつついて蛇を出すような真似はせず、安全確保を怠らずにネットワーク時代を歩んでいってほしいと思う次第なのです。

ですが、中にはプロモーション効果を得るために危険な橋を渡らなければならない方々もいらっしゃると思います。
そういった方々におかれましては、出来る限りリスクのある言動を控えて頂き、面白半分で攻撃してくるような輩は徹底してシャットアウトし自衛して頂きたいなと。

便利だからこその落とし穴。
そして便利だからこその、自分が加害者となり得るリスクについても、しっかり考えて欲しい…というわたしの願いでもあります。

そして、わたしはこれがわたしの「正義」と思って書き綴っていますが、これもまた視点を変えれば正義ではなく悪となるのかもしれません。が、現時点ではわたしはそういった視点(を持つに至るケースや背景)を想定出来ていないので、ひとまずはこれで合ってるよね…という思いを述べて締めの言葉とさせて頂きます。

といったところで、本日の考え事はこのあたりで。


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