秋は嫌いで、分からなくて、楽しみな季節
エッセイを書いて収録する「声ッセイ」第2回に参加します。
今回のテーマは秋。
秋と聞いたとき、真っ先に思い浮かんだことを文章にまとめました。
「秋」と聞くとどんなイメージが思い浮かびますか?
「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」など、たくさんの秋がイメージできますね。
私にとっての秋は「成長」です。
というのも、秋が少しずつ体に馴染んできたから。
・嫌い
・分からない
・楽しみ
それぞれどんな風に感じていたのか、振り返ってみます。
秋が嫌いな少年時代
私は中学校を卒業する15歳まで、秋が嫌いでした。
なぜなら練習できなくなってしまうから。
小3から中3まで野球少年で、これでも真剣に取り組んできました。
そして私が生まれ育ったのは北海道。
雪が降ると練習ができなくなるから、私は冬の訪れる直前の秋が嫌いだったのです。
雪の積もる期間は練習できず、できるとすれば体育館で走ったり、基礎練習したりするくらいです。
体育館ですから、ボールも満足に触れません。
スポーツ経験者は「1日休めば、取り戻すのに3日かかる」と聞いたことありませんか?
北海道の冬は長く、約半年は練習できません。
それであれば私はいったい何日かけて、練習したものを取り戻せばいいのでしょう。
半年かけて上達し、半年かけて下手になっていく。
あの感覚を味わうのが嫌だから、私は冬がすぐ目の前まで来ている秋が嫌いなのです。
*
秋が分からない青年時代
秋が嫌いな少年時代も終わり、高校生になった私はバレーボールに転向しました。
室内スポーツに天気はいっさい関係ないので、3年間みっちり打ち込めましたね。
そして迎える大学生、ここから私の青年時代が始まります。
「秋服」というのがよく分かりませんでした。
北海道は夏が過ぎてから寒くなるまでが早いので、さっさと温かい格好をしなければいけません。
たしかに少しは秋を感じられる期間があるでしょう。
しかし朝と夜の冷え込みが激しく、秋服だけでは耐えられないのです。
ですから私は秋服を持たず、ほぼ夏服と冬服だけで過ごしました。
「秋服」を買うことなく20数年生きてきたので、秋を感じたことがありません。
だから私には、秋がよく分からないのです。
*
秋が楽しみになってきた壮年時代
秋が分からないまま生きてきた20数年でしたが、今は関東に住んでいます。
そこで初めて秋を感じられるようになりました。
秋になれば柿を食べて、「秋が来たんだな」と思うようになったのです。
しかしまだ分からないことがあります。
それは「香り」。
私は金木犀の香りが分かりません。
嗅ぎ分けることができないのか、金木犀の香りに気づいていないだけなのか、どちらにしろ私には分かりません。
妻と歩いていて「金木犀の香りがするよ、秋だねぇ。」と言われても、毎回分からないまま通り過ぎてしまいます。
秋服を持つようになっても、まだまだ秋が分からないものですね。
しかし今では秋が少し楽しみです。
金木犀の香りが分からないまま秋の終わりが近づくと、妻が「来年は金木犀の香りが分かるといいね」と言ってくれます。
きっと妻がいてくれれば、金木犀の香りがするときを教えてくれるでしょう。
あんなに嫌いだった秋が、分からないながらも、今から楽しみです。
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