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「『怪と鬱』日記」 2021年4月27日(火) あるファンからのメール──愚狂人レポート(19)

その言葉はずしりと私の胸にのしかかり、今にも心を突き破りそうなほどの重みを持っていました。
私の混乱の原因は、「自分」という独自の存在に都合よく「他者」の目線を散りばめて、あたかも自分は常識的な思考を持ち合わせていると錯覚させていた部分にあったのです。
相反する考え方のどちらが正しいのか決めかねて、ジレンマに陥っていたということでしょうか。
しかし、まだボンベさんの言葉に抗いたい自分が確かにいて、その自分こそがボンベさんの言葉に苦しみもがいています。
ボンベさんにとって正しいことが、私にとっても正しいと言えるのでしょうか。

『私が使った「普通」という言葉はあくまで便宜的なものですので、ああボンベさんも「普通」とか「異常」とか分け隔てるのかと思わなくていいですから。「普通」という言葉は便利なんですよ。ついつい使っちゃいます』

『「普通」なんてのは、人間がある局面で取った行動を形容するには的確に使えるかなって思えますけど、ひと一人を丸ごと「普通」と形容するのは難しいです。場面を切り取ってジュースのキャップを開けて飲んでたら「普通」。開けずに飲もうとしてたら「異常」という感じにはできるかなって思うんですけど、これも深く掘り下げたらどうなのかなあ。ジュースのキャップに関しては経験値が低い赤ちゃんとかもいますから、一概にも言えないですね。じゃあ、年齢に合った経験値ってどこなの? という話にもなりますし、世界的に見ると文化も違うし……ちょっとここを掘り下げるのは止めましょうか』

『「自分のことは知っている。自分は普通だ」っていくら主張しても、他人から見たら「普通」ではなくて、それに気がついていないだけかもしれない。「自分は普通」といくらアピールしたって、自己判断でしかありませんから。ああ。赤ちゃんは普通アピールしないから楽だな』

『もしひとまとめに判断するなら、全員が普通で、全員が異常。矛盾してますが、これが一番しっくりくる。この表現が成り立つってどういうことかというと、はっきり言って、どうでもいいっていう証ですよ。本当にどうだっていいこと。自分や他人を普通とか異常とか判断するのはナンセンス。ましてや、それで悩むなら底無し沼。だって、答えなんかないんだから。それらの言葉を便宜的に使う分には有効だけど、実体としてあると思わなくて良い。さっきも言いましたけど、人がそれぞれの局面で何かして、それに他者が対応する。それだけでいい。目に見えるのはそれだけですからね。だから、俺がA子を「キチガイ」っていう時もあくまで便宜的なものですよ。だって、わかりやすいでしょ。なんか面白いし。本質的にA子はもっと複雑で、何か違う言葉を与えた方がいい気がしている。その言葉がないから、「キチガイ」って呼んでるけど。「キチガイ」は好きな言葉です』

『そういうわけで、俺は基本的に二元論で考えないんです。でも、一つだけはっきりとした二元論が俺の中にあるんですね。もう生きる指針にしているとさえ言ってもいいことが。それが、「面白いか、面白くないか」です。これが俺のしっかりした物差し。誰に何を言われようと揺るがない物差しです。ずっとこれで世の中を測って生きています』

『俺は面白いものを求めている。前にも言ったけど、もしそれが他人の道徳観に合っていなくとも、それを追う覚悟ができている。俺は他人の道徳感に強さを感じていないんですよ。脅威に思えない。もし俺のやってることを非難する奴がいたとしたら、そいつに「じゃあ、あなたの一点の曇りもない人生をお聞かせ願えますか」って言ってやりますよ。正義の押し売りしてくる奴に限って、面倒くさい人格してますよ、ほんと。それでね。そいつのくだらない御託を聞き終わった俺は「そうですか。別にあなたのつまらない人生みたいになりたくないんで、言うことは聞けませんね」って言ってやるんです。まあ、実際にはそんな厄介に厄介を上塗りするようなことは、余程じゃないとしませんが。それ、もろに喧嘩ですからね』

『今、ちはるさんは生き方の選択の迫られてます。あははは。ああ、ごめんなさい。笑っちゃった。いや、正直どっちでもいいんですよ。気になるならA子を追う必要はないし。追ったところでねえ……。まあ、意味はないというか……しんどい思いをしてまで追うには、俺とか玲香ちゃんくらいの無駄なことにかける情熱がないと……。あくまで俺らにとって楽しいってだけですから、他人に強要できるわけもないし、理解されたいとも思ってない。映画を見る価値、本を読む価値って絶対的なものでもないでしょう。俺のやってることってそれと同義ですから』

「ボンベさん、あの……すいませんね。色々話してもらって、あたしは今頭の中がごちゃごちゃです。でも、すごく簡単に言うと、自分らしく生きろってことですか?」
私はもっとシンプルな言葉を求めてそう訊きました。ボンベさんの多角的な意見は、まだ私自身をあっちこっちへ連れ回します。
ボンベさんの物言いからは、不思議と眉を顰めるような尊大さを感じません。むしろ、一歩下がった謙虚さが言葉の端々からのぞいています。ボンベさんは自分を尊重しつつ、自分とは違う他者の存在も認め、もし他者が自分の邪魔をするようでも理論武装はできている。私はボンベさんから悩んでいるばかりの私とはまったく違う強さを感じていました。

『いやいやいや。ごめんなさい! まったく自分らしく生きろなんて言ってません! 参ったな……誤解です! 実は私、自分らしさって言葉が嫌いなんですよ。他人が「ボンベさんらしいね」って言う分には嬉しいんですけど、自分で自分のらしさを設定するのって、だいたいおかしくなりますから。あんなもん他者が決めるもんでしょう』

『自分らしさ、って言葉をポジティブに使える時って、何かを成し遂げた時だけじゃないかなあ。ああ。今思いついた。A子ってかなり自分らしく生きてますねぇ。あれはA子らしいなあ。うん……ユニークだ……。あれ? 何の話でしたっけ? ああ、そうそう。自分らしさってねえ。ううん。これ、急にあくまで俺の浅はかな印象論になっちゃうんですけど、なんか自分らしさとか自分探しとか言ってる人って、つまんない人多くないですか? そんなんで騒いでいる人に限って、まったくもって、よくある人になっていくっていうか。型にハマっていくっていうか。お前の自分らしさってその程度で良かったの? って疑問に思っちゃうんですよ。ごめんなさいね。こんなこと言ってたら、また混乱しちゃいます? あははは』

自分で決定しなくてはいけない。でも、「自分らしさ」を拠り所に決定してはいけない。これではまるで禅問答のようです。

『よし、ちはるさん。一回、今まで俺が喋ったこと全部忘れましょう』
「え?」
『ちはるさん、いいですか? 頭を真っ白にして、目を瞑って俺の質問に答えてくださいね──』

私は言われるままに瞼を閉じ、全ての考えを捨ててボンベさんの質問を待ちました。

『──ちはるさん、A子は面白いですか?』

「……はい」

その回答は間違いなく私の口から漏れていました。

『ようこそ』

ボンベさんの屈託ない笑い声がその言葉に続きました。
そして、電源の落ちたMacBookのディスプレイに映った私の顔は、今まで見たことのない笑みを浮かべていました。

(つづく)

(19)エンディングテーマ David Bowie"Changes"


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