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「『怪と鬱』日記」 2021年4月1日(木):あるファンからのメール──愚狂人レポート(6)

「オメガ」でのイベント以来、3ヶ月ぶりにライブをしました。
八丁堀の小さなイベントスペースが会場で、女性ピアニストの方と一緒に5曲ほど演奏しました。
チケットはすぐに完売していたそうで、良い雰囲気の中イベントは終わりました。
フロアがそのまま打ち上げ会場となり、お客さんたちも交えた楽しい集いとなりました。
共演したピアニストの女性の方はソロアーティストとして長年活動していて、ヨーロッパツアーなどの経験もあるその筋では有名な方でした。
私は何度か対バンとして同じイベントに出演したことがあったものの、共演するのはこの日が初めてでした。主催者の方が私と彼女のファンで、一緒に演奏したら何か生まれるのではないかと踏んで生まれた企画でした。

目についた知人友人らに挨拶をして、なんとなく椅子に座るとたまたま私、ピアニスト、知人の男性バンドマンの三人で話をすることになりました。
ここで少し興味深いことを聞けましたので、内容を説明するためにピアニストの方の仮名を「楓さん」、バンドマンを「篤郎くん」とさせていただきます。

口火を切ったのは篤郎くんでした。

「ちはるさん、オメガ店長、大変みたいっすね」

楓さんもオメガでは何度かライブをしたことがあります。
篤郎くんもそれを知っていて、共通の話題として名前を出したようでした。
私は「オメガ店長が大変」というフレーズに、まだその先の言葉を聞いていなくとも「確かに大変だ」と膝を打って反応しそうになりましたが、自分を抑えて「どうしたの?」と話を促しました。
「なんか、ヤバいおばさんに手を出したらしいんすよ。ほとんど炎上っすね」
篤郎くんは、あの暴露動画のアーカイブがしばらく残っていたこと、それがバンド界隈でクチコミを呼び相当な視聴数を稼いでいたことを、流暢に面白おかしく説明してくれました。
「そのヤバいおばさんが昔からかなりキツいらしくって、気に入ったミュージシャンにDMを送りまくってたらしいんすよね」
楓さんが眉をしかめて「うわあ」と声を漏らしました。
「そのDMが一方的に『会いたい』『一緒にご飯でも』『彼女になってもいい』とかそんなんばっかりだったらしくて、若手の中ではあのおばさん、ほとんどキチガイ扱いされてたんす」
私は、オメガでA子の周りにいたバンドマンたちが能面を決め込んでいた理由を、この時知りました。
彼らはA子の異常性をはなから知っていたのです。
楓さんはタバコに火を点けながら、「そういう人、いるいる」とウンザリしたように言いました。
「あたしも昔そういう人とちょっと絡んだことあるのよ。男の人だったんだけど。あ、ヤッたとかじゃないよ? 半分ストーカーみたいな男でさ。物販で一目見た時から、目がヤバくて」
目。
やはり目は雄弁らしい。
私はA子の目を思い出し、ぶるりと身体を震わせました。
「何回かライブに来ててね。物販で一言二言の会話をしたくらいで、調子に乗っちゃって。出待ちして私をご飯に誘ったり、『タクシーで送りますよ』とか言い出したり。勿論断ったし、あんまりしつこいから結局は今の旦那に脅してもらったのよね。あ、結婚前だったって意味。離婚歴はまだないよ」
楓さんの旦那さんもバンド上がりで、現在はほとんど知る人がいないほど有名な音楽プロデューサーです。
「そしたら、パタっとあたしのライブには来なくなったけど、結局は違うアーティストの追っかけをまた始めただけで。詳しくは知らないけど、行く先々でやらかしてやらかして、ほとんどのライブハウス出禁になったらしいよ」
「ああ。あのおばさんも、いつかそうなりそうだな」
篤郎くんはそう言いました。
「最近、店長の様子はどうなの?」
私は気になっていたことを駆け引きなしで篤郎くんに聞きました。
「いや、それが堂々としたもんで。うちらもイジりにくいから、知ってても知らないフリしてるんで。ほとんどみんな知ってるんじゃないかなあ。この前、店長から説教受けてた若い奴、一生懸命笑いを堪えてましたもん。そりゃ、そうだよ。あははは」
篤郎は屈託なく笑い、釣られて私と楓さんも笑いました。
「店長も別に悪い人じゃないんでね……俺らも世話になったことは事実だし。ただ、一発アウトってあるもんなんすね。怖い怖い」
「ああいう人らって、うちらの世界に思いっきり入ってくるのよ。その半ストーカーになった出禁のおじさんだけじゃないもん。ほんとおかしいのにはいっぱい会ってきたよ。でもたまにさ……うちらがああいうのを呼んでるんじゃないかって思っちゃうのよ」
「呼んでる?」
楓さんの言葉の真意を私は問いただしました。
「そう。呼んでる。分からないけどね? 音楽、アートでもなんでも良いんだけど、ああいう人たちって、ずっとマトモに生きてないから、マトモじゃなさそうに見える世界が好きなんだよ。ここなら、自分を認めてくれるはずって勘違いするわけ。でも、うちらの商売って、努力とか常識が物を言う部分も少なからずあるじゃん? なのに、そこが見えてないんだよね。想像できないんだと思う……もちろん、そんな人たちばっかりじゃないけど」
「分かる」と篤郎が相槌を打ちました。
篤郎くんのバンドは今年アメリカツアーをしたばかりで、海外のコーディネーターを相手どった資金繰りにかなりの苦労をしたと聞きます。結果はCDの売り上げで黒字の凱旋を果たしたのですが、こういった結果を出せるのも「努力と常識」の力があってのことです。とはいえ、篤郎くんのバンドの出す音の荒々しさからその辺りのシビアさを感じ取るのは難しいかもしれません。裏側を想像する能力がない人たちには、到底無理なことに思えます。
「ちょっと話がズレるかもしれないけど……あたし、譜面を書いてたら急に『これ音符じゃなくて絵で書いたらどうなるんだろう』って思っちゃったときがあって。結局は試しに絵を描きながら作曲したのよ。でも、これって普通ならヤバいでしょ。もし、これをそのヤバい人の誰かがやってたら、みんなは『やっぱり頭おかしいな』って評価すると思うのよ」
もしA子が絵を見せてきて「新曲」と宣ったら、確かに恐ろしかろうと私は思いました。
「……何が言いたいかっていうと、私とあっち側を分け隔てるものって、結果を出しているかどうかだと思うのね。だからある種紙一重なんだけど、この紙が分厚いのよ。この紙こそが努力と常識。努力と常識しか、結果に結びつかないじゃん? でもあっち側の人はそれを知らないから、ずっとあっち側で想像もできないまま」
「……んなわきゃないのに」
「あのおじさんだって、もしちゃんとした人なら、ご飯だっていくよ。でも、やっぱりおかしかった。最初に感じた異様な雰囲気は間違ってなかった。もし私に警戒心がなかったら、どんなことになってたかって思わない?」
篤郎くんが低い声で相槌を打ちました。
「楓さん、ああいう人って何が原因でそうなっちゃうんだと思います?」
私は楓さんの人間観にすっかり魅せられ、前のめりになってそう質問しました。
「それは分からないわね。親の教育のせいにしちゃうと、それもおかしい。どんなダメな親を持っていようと立派に育つ人をたくさん知ってるもん。環境のせいにして良い場合と悪い場合があると思う。何もかもを環境のせいにしてたら、それこそ努力する人減るんじゃない? 私のせいじゃないからぁってさ──」
私はそこまで聞いて玲香のことを思い出しました。
地方の典型的なヤンキーからトップアーティストに転身した彼女は、まさに環境に打ち勝った人に思えます。
「──じゃあ、先天的な脳機能のせいにしてみると、今度はもう病院に行くしかないって話に変わるんだけど、もし現状病院で治療しているなら、その人はちっともヤバい人じゃないのよ。むしろ病気と戦うファイターだからね。それは応援したいよ。こっちもファイターだと思って寄り添いたいし……こうやって考えると、あっち側の人らの根本を決定付ける言葉が見つからないもんでさ。自堕落、って言葉もなんか違う。自堕落でもちゃんとチャーミングな人もいるじゃん。うちの旦那とかさ。非道徳? 非常識? いや、うちらも非道徳で非常識じゃんね。こんな商売してんだから、まあ真っ当とは言えないよ。だから、結論、ああいう人が生まれる原因は分からない。謎だよ」
「うーん。深い」
篤郎くんが感心したようにそう言いました。
私たちはめいめいが何事かを考え込んでしまい、しばらくの沈黙がありました。

「あ、あのー。ちはるさん……」

若い男性スタッフが私に声をかけてきました。

「今、受付にちはるさんの友達を名乗る女性の方が来てるんですけど……」

彼は随分と動揺しているようでした。

「その方があのえーと、ぽちゃっとした体型で緑のジャージを着た方なんですが、っていうか……オメガの店長さんとあの……あの動画の方で! あの動画、ちはるさん知ってますよね……あの……どうしましょう? 今、外で待たせてます。一応、ちはるさんがもう帰ったかもしれないとは言っておきましたが……『ライブ見たかったけど用事があったから来れなくて、せめて打ち上げで挨拶したい』って言うんです。ちょっとどうしたら良いのか分からなくて……」

言葉を失ったまま、視線を楓さんと篤郎に戻しました。
楓さんは目を大きく見開き、篤郎くんは首を激しく左右に振っていました。

「あたしはもう帰った……ってことにしてもらえます?」

スタッフにそう告げると、篤郎くんは激しく首を上下に振りました。
「……なんか……凄いね。そういう人って」
再びタバコを咥えた楓さんが、ライターの横車をチッチッと回転させました。

チッ チッ チッ チッ

火は一向に点きませんでした。

(つづく)

(6)エンディングテーマ Cecil Taylor"Rick Kick Shaw"



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