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建築学を修めた大学時代と、ものを書く仕事

建築家になりたかったのか、怪しいところがある。

高校3年生だった時分に「建築家になりたい」と考えた。大学に進み、そして建築学を修めてから、精神を病んだり、結婚して子育てを始めたりしたいまの僕は、建築に直接的には関係しない分野でものを書く仕事をしている。しかし「建築家になりたい」と考えた18歳のあの好奇心はいま、ものを書く仕事を通して成就されているのではないかと感じ始めた。

僕はとにかく、さまざまな領域にまたがって動的にうごめく分散と統合に関心があった。建築や人の営みを成り立たせる歴史や背景、政治、釣り合い、かたち、構造、体験とそれらの結びつきに惹かれていた。建築学は実際に範囲が広く、僕の好奇心は、授業で、夜の大学の図書館で、デザイン演習で大いに発散され、糧となっていった。

微積分や線形代数の問題を嫌というほど解いた。専門の施設で震度7を体感し、身体に責任を染み込ませた。環境工学を学び、熱力学を用いて室内外の気温差を算出した。構造力学でモーメントの概念を知り、荷重をモデル化して理解した。都市計画やまちづくりを学び、割れ窓理論やスプロール現象を知った。法規を学んで耐震基準やセットバックの意味を知った。材料化学もやった。コンクリートを圧縮して潰し、記録した。建築計画では、nLDKの起こりを学んだ。人間工学も学んだ。ユニバーサルデザインの7原則を知った。建築史でパルテノン神殿、あるいはもっと前の石器時代から、現代に至るまでの流れを知った。インテリアもランドスケープもデザインした。スケッチをした。建築を五感で受け止めに行った。実測した。第一線で活躍する建築家たちと接した。設計の演習ではエスキースを繰り返し、コンセプトを書き、徹夜で模型を作った。平面図を、立面図を、断面図を徹底的に引いた。

ものごとを“建築的に”掴む訓練をしていたのだと思う。多様で複雑なファクターを知覚し、統合し、立体的に表現する作業は、建築と原稿とで似ていると感じる。原稿は線形であるようにも見えるが、実はとても立体的なものだ。それらの本質は三次元の空間(ヴォイド:何もないところ)にあると僕は理解している。それらはあくまでも道具であり、人間の存在する物理空間で、奥行きを作ったり、遮ったり、つないだり、守ったり、危害を加えたりすることによって、人間に影響を与える媒介となる。

建築学を修めたあの頃と同じように、できる限りさまざまな領域にまたがって見聞を広げ、歴史や背景を押さえ、政治、釣り合い、かたち、体験とそれらの結びつきを咀嚼し、理想論に止まらず現実との折り合いをつけ、大地に根ざした立体的な何かをーー今の自分にとっては原稿をーー生み出していきたい。

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