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死なない子育て

線がくっきりと見える妊娠検査キットを妻が見せた。
僕は嬉しくて泣き、娘は悲しくて泣いた。

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3人家族が続くものだと思っていた。妊娠が発覚したときの僕は31歳で、妻は30歳だ。今年8歳になる娘と多くの時間を過ごした20代は、苦労が続いた。

苦労については、withnewsの連載『発達障害とパパになる〜子育て苦闘の7年間』で詳しく記した。

発達障害の特性や鬱の影響もあり、行き止まりに向かって全力で走ってしまった。

「(自分が)死ぬ」と言って近しい人を脅迫する人がいる、と最近、誰かのツイートで目にした。僕は死にたかったが、「死ぬ」と口に出せば脅迫になってしまうことは知っていた。だからなけなしの配慮をして、「死にたい(ぐらい辛い)」と妻に言えなかった。他にSOSを出せる人もいなかった。ひとりで静かに、この世からいなくなろうとしていた。20代中盤の話だ。2,3年にわたって試行錯誤したが、どこに行っても行き止まりに見えてしまった。そり立つ壁に囲まれ、どうあがいても越えられないように思えてしまった。

30代なんて、生きて迎えられるとは想像できていなかった。

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最近、「死」を扱った書籍の制作を手伝っていた。同じ時期に「生」と「死」についてよく考えている、不思議な年だ。

未来へのスコープが伸びていく。1989年生まれの僕はおそらく21世紀のうちに死ぬだろうが、これから生まれる我が子は、きっと22世紀まで生きるだろう。

世界中がいま大騒ぎしている「SDGs」のターゲットは2030年。日本がカーボンニュートラルを実現しようとしているのは2050年。まだ見ぬ我が子は、国内人口が6000万人に半減するとも言われている、もっと先の未来を生きる。

数年先さえ見通せなかった自分が22世紀のことを真剣に考えているのは、馬鹿らしいことにも思える。自分の小ささを感じる。自分の意志なんて、簡単に変わってしまう。

小さい存在なりに、“子どもたち”のためにも、妻のためにも、自分のためにも、長生きしたいと思っている。サステナブルであることは何よりも大切だ。

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第1子の妊娠時は嬉しかった反面、強い不安を覆い隠そうとしているきらいがあった。何が何だかわからないまま親になっていた。いまは、不安なく喜べる。喜べる自分を、嬉しく思う。

娘は8年近く、両親を独り占めしてきたから、かねてから「(弟か妹ができたら)絶対いやだ」と言っていた。だから泣いた。しかし実感が湧いてくると、楽しみで仕方がない様子だ。よかった。

後が大変だった(いまも大変だ)。
第1子のときにはほとんどなかったつわりが今回はひどく、妻は仕事に行けなくなった。そして2ヶ月ほど、ほとんど何もできなくなっている。とにかく今は、家族の健康第一。

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死なないで、長生きできるように。そして、遠い未来に自分の命が絶えたとき、“子どもたち”のなかで子ども時代の時間が死なないように。

8年ぶりだ。慌てず、気負わず、スコープを長く。死なない子育てをしよう。

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