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答えは、出すもの。

延べ1年半に及ぶ、
誰から求められたわけでもない、自分の進化への死闘が終わった。


シンガーleift(レフト)としての
初めてのアルバム『Beige』が完成した。


気持ちが冷め止まぬうちに、今の気持ちを書いておこうと思う。

少し前の気持ちを前回のnoteに書いたので、より深く意味を理解してくれようとするならまず、『佳境の味わい』を読んでほしい。


『佳境の味わい』から完成に向かい感じたこと

最後の方は、もはや自己否定とネガティブチェックの毎日だった。

何せ、歌が気になって仕方がない。言葉一つ一つの発音が本当にこれでいいのか、この表現はヨレていないかなど、全曲を本当に細かく聴いては直しの繰り返しだった。音楽をやっていると言うより文字校正をしている気分になって、それが自分の声だからこそ、苛立ち、深く落ち込んだ。

あー、俺ってこんなに頑張っても、こんなもんなのね。
結局、こんなに本気でも、ここから先詰められないんだ。

って、毎日思っていた。

正直もう、自分の心にも体力にも期限にも、必然的に資金にも余裕がなくなってきていた。今掘り下げ磨ける自分の限界を、とっくに突破している状況。よく言えばそこまで掘れたということだけど、僕にとっては「所詮自分の音楽力ってまだ、ここか」と思っていた。


ミキシングの大事さ

寝ても覚めてもアルバムのことしか考えられない毎日。仕上げの日々は毎日、どこかしら何かしら身体に異常が出ていた。毎朝、鍼灸接骨院に通っては治療してもらっていた。毎回言われるのは「首から上が固まりすぎです。どれだけ頭使ってるんですか」という言葉。

そりゃ、必死にもなる。苦しんだ分、
完成する作品には自分が期待する以上のクオリティを求めて当然だ。


ただ、残念ながら僕の歌の成長速度には限界があった。
決して妥協しているわけではない。
どれだけ頑張っても、今自分の歌声だけで
自分が感動するレベルに達することはできないと思った。


・・・って思いながら、一方で僕はこんなふうにも思った。


いやいや待てよ。
プロデューサー視点で音楽を考えた時、俺いつも
歌だけで音楽聴いてないじゃん。

そう、そこ。
僕は音楽を聴く時、総合的な仕上がりの良さを前提に聴く。
もしかしたら、アレンジやミキシングの方向にまだ、
アルバムは進化の矛先を向けられるんじゃないか。

そう思えたのが、マスタリング2日前。自分の音楽はまだ、なんとかなるんじゃないか。そう思い、仕上がっていない曲だけでなく、既にリリースしている曲やリリース間近な曲にもメスを入れ始めた。

僕の楽曲制作の心臓とも言えるアウトボードたち。彼らが質感を決めてくれる。

文字通りの怒涛の毎日。夢にまで、Pro Toolsの画面が出てくる始末。

心を毎日ペラペラになるまで擦り減らしながら、2月に入ってようやく、「うん、これでいこう」というレベルにまで全曲が仕上がった。マスタリングに提出する、30分前まで詰めに詰めて作業をしていたほどだった。

アルバム制作を通じて、
僕は歌声だけでなくトラックやミキシング、マスタリングが
如何に僕の音楽らしさを規定しているのか、すごく強く理解した。

僕はシンガーとして活動する以前から、
プロデューサーとして
自分のサウンドに誇りを持って活動してきたんだ。
歌へのコンプレックスを抱えるがあまり、そのスキルやプライドを
つい否定しがちになっていた自分を、今は恥じている。

世界中のポップミュージックを手がけている、イギリスのMetropolis Studiosのマスタリングエンジニア・Stuart Hawkes氏の魔法が掛け算され、僕がleiftとして望んだ初めてのアルバム制作は、僕が「これが自分だ」と納得できる作品に無事に仕上がった。もっと感情的に正しい言い方をすれば、

首の皮一枚で、ギリギリなんとか仕上がった。

という表現が最も的確だ。

今回のアルバムは、歌だけでなくトラックのアレンジ、ミキシングに至るまでも、自分が作曲家としてアーティスト活動してきた頃とは考え方をガラッと変えて臨んでいる。音作りにも今までのマイルールが通用しないことが多々あって、そういう意味で今回のアルバムは「ギリギリOKな範囲にどうにか留められた」くらい、際どい音作りを意図して沢山やった。

後ほど詳しく書くけど、僕はシンガーとして始まった自分のキャリアの熱量に、トラックメイカーとしての自分が負けたくないと強く思った。


リスナーとして自分のアルバムを聴くまでのバイアス

マスタリングが仕上がってきて2日ほど、僕はひたすらアルバムを細かく、3〜4つの再生デバイスで聴き続けた。マスタリングのリテイクを依頼すべきか否か、依頼するとしたら今のいい所を活かしながら、どうリテイクしてもらうべきなのか、とか。


それは試聴というより、もはや「検品」に近い作業だった。


KOTARO SAITOとしてトラックを作っていた頃と比べると、leiftの音楽はかなり細かく音圧のコントロールをして作っている。

オーガニックで空間の余裕を感じられる「CHILL」と呼ばれたKOTARO SAITOのトラックと比較すると、leiftはかなりムキムキの1音1音を、パワフルに鳴らす作り方だ。ストリーミング、しかもロスレスやHi-Fiなど、高音質に向かうマーケットの構造も熟考して、音のパワーを最大化するためだ。

グローバルに活躍されているマスタリングエンジニアの方に自分の楽曲を依頼したとしても、僕が気に入る「音の余白」と「押し出しのパワー」のバランスが納得いく形で完成しているかどうかは、僕にしか分からない。

だからこそ、とにかく色んなデバイスで聴いた。散歩しながら、料理しながら、勿論スタジオのスピーカーでも、iPhoneでも。Air Pods Proでわざわざ試聴しに行ったし、結局購入した。

ストリーミング市場で際立つ音楽かを判断すべく、今作からリファレンス用に使うことに。

おかげで、すごく細かい調整を依頼できた。頭で良いと思えるだけじゃ僕は聴かなくなってしまうから、僕が直感と本能で聴きたくなる音をただただ追求していただいた。この作業を重ねていくことで、

Before
「はぁ・・・・何でこここんなに微妙なんだろう自分」
After
「あれ、ここってミスってなかったっけ?全然気にならないじゃん」

に変化していった。それくらい、僕が落胆していた僕の嫌なところは、1mm仕上がりのクオリティが向上するごとに気にならないものへと変化した。それくらい、「"検品視点の自分だけ"が気にしていた」だけだった。作り手としてはどちらも大事な視点だと思うからこそ、今回の仕上げは今までのアルバムとは比にならないほど、自分の限界に挑んだ作品だった。


仕上がった11曲を改めて振り返る

本当に長い戦いだった。

作品自体が「経過」の塊

今回のアルバムは、テーマ的にも延べ1年半に及ぶ僕のライフログでもある。曲によって録音した時期が異なり、その度に僕の表現アプローチが技術的にも思考的にも違う。って書くとなんか狙ったようだけど、つまるところ、

歌の熟し具合が曲によって違う

というのが本音だ。今思えば探り探り歌っているなと思う曲は、僕も自覚しているし聴いてくれる方々にも伝わるように思う。当初はミキシングだけでなく、歌も今の自分らしさに合わせて全て録音しなおそうかとも考えた。

でもそれは、今回のアルバムコンセプトと合わないな、と思った。今回のアルバムは、「僕が歌を歌うと決めてから今に至るまでの過程」を描いた作品だからだ。歌をアップデートしてしまったら、それは嘘になる。


成果の保証がないことに、1年半全振りで挑戦した日々

これまで、たとえばKOTARO SAITO黎明期のアルバム2作品(『INVITATION』と『BRAINSTORM』)のように、仕事の傍らで長く時間をかけて仕上げた個人作品は作ったことがあった。

しかし、今回は生半可な気持ち(当時も当時の事情の中で本気だったのは言うまでもなく)じゃ生み出せないと当初から分かり、僕は本当に、全振りで歌のアルバム制作に挑んだ。今振り返っても、なんて命知らずでクレイジーなことをしたんだろうと思う。

正直言うと、制作を決意した2021年の8月ごろは、半年で仕上げる!と意気込んでいた。でも実際に歌を始めてみて、まずソングライティングの時点でそんな短期間では完成し得ないと気がついた。絶望した。

しかも、途中で作曲家の自分名義とどうしても歌名義が棲み分けできないことに気がつき、今までのストリーミング実績を全く使わない覚悟で名義を分けた。SNSこそ両名義を並べているけど、楽曲配信面ではゼロからの再スタート。腹は括っていたけど、実際に過去の実績が使えないのは辛かった。


それでも信じて歌い続けるしかなかったし、
曲を作り続けるしかなかった。
のちに馬鹿な考えだと気づけたけど、当時は
「もう作曲家としての顔を捨てる」と、退路を断った気持ちでいた。


「経過」の変化度合いが高いのは、黎明期の今だけ

退路を断つ気概だったからこそ、歌がゼロベースだった僕のアルバムは結果的に、挑戦から1年半という「短期間」で形になったのかもしれない。

仕上げの工程で、最終的に僕は何度も「培ってきた作曲家・プロデューサーの自分」に助けてもらった。今回は絶対にマスタリング以外の工程を僕1人で作り切ると決めていたから、頼れるのは「もう1人の自分」だけだった。

このアルバムはまるで、
新しく生み出した自分と成熟した自分が1チームとなって、
2人で議論しながら生まれた試行錯誤の塊だ。

何事にも思うけど、「型」を作る時が一番手探りで、余裕がなかったりする。「型」さえ完成すれば、それを土台にさまざまな応用ができる「。これが歌の自分だ」を決め込むことが、とにかく本当に難しかった。だからこそ、本当に色んな曲と歌を試してみたし、パフォーマンス的にもミックス的にも挑戦と失敗も繰り返していった。

それが残せるアルバムってきっと、後にも先にも「初めての時」だけなんじゃないかな。少なくとも僕の場合、次にアルバムを作るときはその経過を「エラー」だと認識しそうな気がしてならない。

そういう意味で、このアルバムには本当に嘘がないし、最後の最後まで自分の気持ちと自分の歴史に、とことん向き合えたという自負はある。


自分にとっての「非BGM性」

これはインスト音楽を中心に活動してきた、作曲家としての僕ならではの思考かもしれない。僕は自分が音楽を作るときの根本思想として

自分が聴いて心地のいいもの
自分が飽きないもの

を目指してきた。「自分の音楽の1番のファンは、自分」といった感情だ。これは特に、2021年にリリースした『STELLAR』というアルバムが顕著。僕はこのアルバムに、極めて個人的な感情と空気を詰め込んだ。

一方で、今回僕が作ったleiftのアルバムは、決してBGMではない。

BGMとして機能するようにも仕上げられていると思うけど、歌詞の言語が日本語ということもあり、聴いている自分には書いた当時の心情が「言葉ではっきりと」伝わってくる。

自分自身の内面をえぐって生まれた題材だから、
聴いている自分は、それなりに構えてしまうのかもしれない。

ここに至るまでに、「チル」に飽きていた自分の心情も大きい。

より、自分のメッセージが中心に来る「歌」という音楽は、正直それなりに重たい。なるべく軽やかに聴こえるようにアレンジもミックスもしたけど、根本的なメッセージが、軽くない。それは、自分が聴いていて思う。

だからこそだ。

とある日の深夜

ベッドに入ったはいいものの、アルバムや今後のプラン、先行きへの不安を思い、全く寝付けないときがあった。その日、外は大寒波。散歩に行こうにもマイナス3度じゃ歩く気にもなれない。もやもやしながら過ごしていた。

急に僕は、そのとき感じた気持ちを携帯にメモしたくなった。


その時に書いたメモ

この日眠れずに感じた気持ちを、僕は歌詞に詰め込んだ。その曲は、今の自分を僕自身がどう捉えているかを司る作品になり、アルバムの冒頭曲を任せることになった。「夜明けは来た」と。

こうして仕上がった曲を聴くたびに、過去のリアルな感情に背中を叩かれる。不思議なもので、今となってはBGMではないものの、曲を歌う自分や歌詞を紡いだ自分は、今の自分とは別の自分な感覚がある。だからこそ精神のダウンタイムが再び訪れた時に、僕は過去の自分に励まされる。


言葉を持つ音楽は偉大だと思う。
だから歌声とは特別な存在で、たくさんの苦しみを感じてでも
僕にとって価値ある挑戦だったんだなと思う。

リリース日は

3月29日(水)で決定した。おそらくちょうど、桜の季節。長く土の中でもがいていた自分は、leiftとしてのデビューで芽を出し、シングルリリースごとに少しずつ少しずつ枝を伸ばし、アルバムリリースでようやく花を咲かす。

アルバムが完成したらしたで、結局制作以外のプロジェクトを動かしていかねばならず、全く心が休まったりはしない。でも少なくとも、僕はひとつ、新しい自分を形に仕切ることができた。

自分に「ふざけんな」って思うことばかりだったけど、完成させると「まぁ、いっか。」とか「ここ、いいじゃん。」って思える曲や箇所もちらほらある。完成させたとて想像ほど気持ちはスッキリしなかったのは、僕がアルバム単位でなくプロジェクト単位(控えるライブや下半期のリリースなど)でleiftを考えているからだろうと、今は前向きに思えてる。

前向きでいられてる。
これだけで、僕は充分だと思う。

リリースまで、あと2ヶ月弱。
僕のnoteや楽曲に興味を持ってくれた方には是非、
このアルバムの登場を楽しみに待っていてもらえたら嬉しいです。


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