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表現より、創作より、アイデアより、大切なもの。


皆さんこんにちは。齊藤耕太郎です。
備忘録を兼ねるので、今日はいつもと文体が違います。
あらかじめご理解ください。

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アルバム『STELLAR』をリリースして、少し気持ちが落ち着いた。

見知らぬ方
身内の音楽仲間
友人問わず。

このアルバムで目指した「空気感の追求」に対して、核心に迫るリアクションをSNSでいただけて、今はただただ嬉しい。

これから勿論、この作品をより多くの人に知ってもらうための努力を重ねていくのは大前提。でもそれ以上に、「KOTARO SAITO」というアーティスト、人間自体が今後、社会とどう関わっていきたいのかを、じっくり考える時間が作れている。それは締切や納品に追われる毎日の中で、いつだって心の中で、じっくりと煮詰めて生きていきたいことでもある。


自分の職業は、何?

音楽プロデューサー
トラックメイカー
作曲家
アーティスト

僕のことを紹介いただくための枕詞は、実にさまざまだ。自分の理想の人生を突き詰めれば詰めるほど、乱暴で誤解を招きそうな発言であることを承知で言えば、「いつか、音楽家からの卒業を果たす自分」の存在に気づく。

それは、『STELLAR』を作ったことで明確になった。


音楽は、「日常における空気」

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今、僕が表現したい本質は、音楽、というか音ではない。
「幸せのDIY」という言葉が表す、
僕や僕の家族との「生き方」そのもの。

寝室やキッチンの壁紙を2人で貼ったこと。壁を見せられる食器棚を選び、一枚一枚想いを込めてお皿を並べたこと。アンティークショップを巡り、世界に一つしかないランプを見つけたこと。日常を彩ってくれる、植物たち。


僕にとって音楽は今、
そんな日常の一部でしかなく、
表現したいのは音楽という作品の中だけでは
収まりきらなくなっている。


僕は今、当たり前のように『STELLAR』をかけて、このnoteを書いている。でも、このアルバムに耳を傾けているかと言われれば、正直今この話を書くまで、どの曲が鳴っているのか気づいていなかった。

多分、自分の作品以外をかけたとしても、僕は今、同じように「空気」としてこの空間を豊かにしてくれる音楽しか聴かないと思う。これは、今僕が音楽というものをどう捉えているのかの、紛れもない本質だと思う。


音楽という「空気」の先にあるもの

音楽に限らず、えてしてアーティストという存在は何者にも替え難い尊さを燦々と輝かせている。表現という刹那に身を投じ、対峙するオーディエンスを、一瞬にして別世界に連れていく圧倒的な才能。ライブやギャラリーでのリアルタイム接触でそれを体感させる人もいれば、録音物にその狂気を遺し、死後もその輝きで人を勇気づける人もいる。

でも、考えてみて欲しい。彼らアーティストは何故、そこまで人を魅了できるのか。人は、何に心を奪われ、後世に至るまでその伝説を語り継ぐのか。


メッセージ。
これに尽きると、僕は思う。


形になっているもの、そうでないもの。
色々あれど、人は表現の奥底に、アーティストの強い意志 = メッセージを垣間見た瞬間に、その存在を強く脳裏に焼き付けるのだと思う。

その意志を一人一人が自身の記憶や経験と重ね合わせ、接着や融合を繰り返し、自らのものにする。作品やプロダクトの中で、語り継がれるのか、消費されて忘れ去られてしまうかの差は、「表現者のメッセージがちゃんと、受け取る人たちに届いているか」に懸かっている。僕はそう思う。


僕は、メッセンジャーでありたい

自分が、どんなときに自分らしく輝けていると実感できたかを、振り返られる機会が今日あった。そして、改めて気付かせてもらえた。

僕は、誰かの心に深く刺さる「言葉」や「テーマ」
ありきたりな表現を使えば「コンセプト」を見つけ表現できた時、
僕自身に才能を感じることができる。

あるときは音楽という作品を通じて、そのメッセージを広く世の中に伝えようとするかもしれない。でもある時は、たった1人誰かのために、その能力を全力で使って、その人がまだ言葉にできていない、モヤのかかった想いを一緒に見つけ出すのかもしれない。

僕にとって、表現のデバイスが違ったとて、実はやりたいことは全く同じ。具体的な「表現物」に縛られて自らの生き方を定義づけることが、窮屈に感じ始めているのは、これが大きな理由だと思う。


音楽や創作物を通じて、世界中の人たちにプラスの力を届ける事。
誰かの言葉を取捨選択して、その人のメッセージを形作る事。
たった1人に、僕が寄り添うことでその可能性を開く事。

何一つ、そこに優劣なんてないじゃん。
そう思えた時、「アーティストとして自分の言葉で世界を良くしたい」という、自分にとってエゴイスティックな考え方が、消滅した。


誰を介していようが、その規模がなんびとだろうが、
僕のメッセージングは、決して消費されるものではなく
相手の心の深くに届けることをミッションとしたいし、
それ自体が後世の「スタンダード」であって欲しい。


だから、僕のこれからの人生のクレド(信条)は、アーティストでもプロデューサーでもクリエイターでもなく、「メッセンジャー」なんだ。


『STELLAR』をリリースした今、幸せな理由

これまでの僕はどこかで、楽曲のリリースがどのような成果を出すのか、物凄くシビアに分析し、トライアンドエラーを繰り返してきた。勿論それが、今日のKOTARO SAITOという価値を作ってくれているのも、百も承知。

それを前提にして、
今回の僕は今、いい意味で一切、
アルバムの成果に焦りがない。

理由はとてもシンプルだ。


『STELLAR』のリリース自体が、「幸せのお裾分け」だからだ。

僕には今、揺るがない幸せの軸がある。

妻や愛犬に囲まれる生活。僕を慕ってくれる友人や音楽仲間。伝えたいと思う、「僕のDIYな幸せ」像。

絞り出している何かではなく、溢れ出てくるものたちばかり。

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『STELLAR』は僕や僕の家族が幸せでい続けるためのBGMとして作った音楽。そもそも完成した時点で、僕や家族はとても幸せなのだ。その「空気」のまま、世の中にリリースした時点で、「どう思われるか」なんて気にする必要がない。本当に。


だって、これを毎日流しながら、
日々とってもクリエイティブな発想をぶつけ合って成長している
僕ら家族は、毎日とっても幸せなんだもの。

そんな僕のスタイルを、「素敵だ」と
リスペクトしてくれる、僕が尊敬する仲間までいて。
この時点で、圧倒的に、『STELLAR』は満たされているんだ。


戦略の先に見つけた、純度の高いもの

勝手に名指しで書いてしまうけれども、僕がこの「思想ステージ」に上がることができたのは、この2人の影響がとても強い。

定量的な情報で言ってしまえば一回りほど歳下の音楽仲間である2人が今、妻である安奈ちゃん同様に、僕にとって、悩みを共有する仲間であり、自分の本質的な課題を相談するメンターになっている。

2人と話していると、常にトレンドや手法が変わっていく音楽発信の世界で、本質的に大切にしなければいけないことを気づかせてもらえる。彼らは世の中と彼ら自身の距離感を常に考えて生きるアーティストであり、同時にそんな世の中に対して伝えたい、明確な"言葉"を持つメッセンジャーでもある。

戦略が先行して、頭でっかちになり始めていた僕の肩の力を、
いい意味で遠慮なく、解いてくれた2人には感謝しかない。


必死なのは、みんな同じ。
変わり続けなければいけないのは、僕だけじゃない。
進化は目的ではなく、手段。
伝えるべきは、音質でも音楽でもなく、
その奥のストーリーであり「メッセージ」そのもの。


技術や実績ばかりを評価されがちな「現・社会」で、僕ら発信者が、その渦に呑まれていては、メッセージそのものを見失いがちだ。僕らが見ているのは常に「少し先の未来」で、今伝えるべきは「もう少しだけ先に人を幸せにする価値観」。消費されるものを産む気は、さらさらない。


メッセージを持ち、形にできず悩んでいる皆さんへ

どうか、流行りとか、世の中の動きとか
数秒先に変わりうる何かに、自分の本質を流されないでください。
世の中から自らを探すのと、自らと世の中の距離を保つのは
意味が大きく違ってくるからです。

時流とスピードを理解するのは、とても大切なことです。でも、そのスピード感の中で、大きく人の心に残り、永く愛されるものって、そのスピード感の中にも確かな「あなた」がいるものだと僕は思う。僕自身にも思う。

愛するものの、順番を決して間違えないでください。僕は、数年かけて気づかぬ間に、その波に溺れかけた人間の1人です。あなたがいて、あなたのメッセージがあってこその戦略であり、データであり、マーケティングです。


こんな世の中だからこそ


発信する道を選んだ僕らが、世界中に、
自ら作り上げた幸せの、お裾分けをしていこう。


KOTARO SAITO / 齊藤 耕太郎




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