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「混じぇながら話をしよう」

「知らないの?非国民でしょ!」

僕は、人生ではじめて言われた「非国民」という言葉に面食らいつつも、にこにこしながら話すナイルさんに「えー!」と返した。


10年も前の話だ。社会人になり、早起きをして会社に行き、日付の変わるころに帰宅する。不規則という名のリズムで進む生活。慣れない仕事にスーツも心もくたくたになっていた。そんな夏だった。

「お前、カレー好きか?」

セミが元気に鳴きはじめたころ。隣の部署の部長が昼に連れ出してくれたのが、銀座の老舗インド料理店「ナイルレストラン」だった。お店のインド人の方が運んでくれるスパイシーなカレー。無心でかっこむ。水をごくごく、ぷはぁー。

辛くて汗だくの僕。それを見て笑う部長も汗だくで。お店を出た後のカラッとした青空を見て、心まで晴れたことを今でも覚えている。その気持ちを胃袋で覚えてしまってから、銀座の近くに寄るたびにそのカレーを食べに行くようになった。

「常連になりたい」と心に秘めるようになった。

通いつづけている自分は常連なのである、と自分で思えばもちろんそれでいいのだけど。お店の人に「この人は常連だ」と認識してもらいたくなってしまった。そのためには「美味しかったです」以上の会話をせねばならない。

はじめてお店に行ったあの夏から10年が経つ。10年っていい区切りだ、このタイミングに勝手に運命を感じて、なかば衝動的に話し掛けてしまったんだ、あの名物オーナーに。


ナイルレストランは、11時半にオープンにする。10分前に着いたものの、すでに20人程の行列が出来ていた。令和初の猛暑日。ぽたり、大粒の汗がアスファルトを濡らす。あちい、でも暑ければ暑いほど、カレーを上手く感じるのはなんでだろう。そんなことを思いながら、一巡目でお店に入ることができた。

「いた!」

原色のシャツを着ているオーナー、ナイルさんがいた。

「ムルギランチね?」

お昼に行くと、このお店ではメニューが出てこない。不動の人気ナンバーワンの看板メニュー「ムルギランチ」を注文する前提で話が進む。地鶏のももを煮込んだスパイシーなカレーに、ジャガイモのマッシュ、キャベツのスパイス炒め、イエローライスがひと皿に盛られている。

ムルギとは、ヒンディー語で鶏肉のことを指す。フォークとナイフを器用に使い、目の前でテンポよく鶏の骨を除いてくれる。その骨を持ち去るときに、必ずひと言、こう付け加える。

「混じぇてね」

スプーンを持つ。さあ、どのタイミングで話し掛けようか。グラスも汗をかきはじめる。今にするか、でも忙しそうだ。思いにふけりながら、つい、カレーを口に運んでいた。

「ほら、混じぇて、いやになるくらい混じぇてね」

見ているつもりが見られていた。混ぜることによって野菜の甘みもカレーに加わり、いっそう豊かな味になるのだ。完食。お会計のタイミングにチャンスを託し、席を立った。僕の得意ジャンルで声を掛けるんだ。

「あのう、僕、作詞もするくらい音楽が好きなんですけど、ナイルさん、お好きな曲とかありますか?」

「んーあるよ。また今度、ゆっくりね」

ニカッと白い歯を見せて笑うナイルさん。後につづくお会計の列。迷惑な客にはなりたくない。

「また来ます」

短期間に連続して会うのが仲良くなる秘訣。翌日に行くと心に決め、ナイルさんのことをさらに調べた。

日本語がペラペラなのは、日本生まれのハーフだから。国籍はインド。しゃべりの立つナイルさんは、芸能事務所「浅井企画」に所属する。

「インド人、嘘つかない」という言葉を聞いたことはないだろうか。ナイルさんが流行らせた言葉だ。お店が歌舞伎座の楽屋向かいにあることから歌舞伎界と縁が深く、旧歌舞伎座の取り壊し前の「俳優祭」では本人ナイル役で出演、花道から登場し喝采を浴びたそうだ。芸でも人を虜にする人だ。

翌日、ランチタイムの落ち着く午後3時頃、アポなしで突撃。

いたー!ナイルさんだ!

「混じぇてね」

音から曲名を検索できるアプリ「Shazam」で店内BGMを検索する。インドのポップスであることを確認。スプーンを止め、意を決して話しかけた。

「ナイルさん、ここで流れてるインドの曲、お好きなんですか?」

「ちがうよ。何歌ってるかわからないから。好きなのは演歌とか軍歌なわけ」

「え、演歌って、氷川きよしさんとかですか?」

「そんな若い人じゃないのよ」

「誰か知りたいです!」

「きりしまのぼるって知ってる?」

「えーっと、えーっと、きりしまのぼる・・・」

スマホで「霧島昇」を発見し、白状した。

「知らないです」

そこで言われたのが冒頭の言葉だった。

戸惑いの笑顔で終わらせてなるものかと、すぐさま霧島昇のウィキペディアのページを開き、好きな曲を教えてもらった。

「この、『旅の夜風』がいいわけ。ふんふ〜んふんふ〜んふん」

イントロから鼻歌をはじめるナイルさん。どうよ、という顔で見てくる。

「あ、あの!今度、聴いてまた来ます」

人と違うことをするのが顔を覚えてもらう秘訣。店頭に並べてあった本「銀座ナイルレストラン物語」(著:水野仁輔)を買いたいとレジで伝えた。

「僕の言ったことがじぇんぶその通りに書いてあるから」

ナイルさんはうれしそうに微笑んだ。

帰り道、さっそくネットを駆使して情報を集めた。

霧島昇は、戦前から戦後にかけて活躍した国民的歌手。中学に通いながらボクサーを目指すが断念。世界的オペラ歌手の藤原義江のレコードを聴き、日本の曲を歌いたい思いに目覚める。

現在の東京音楽大学を卒業し、浅草の帝京座の幕間に歌い、その日暮らしの貧しい生活を続ける。合間を縫って吹き込んだテープが、レコード会社のコロムビアの耳にとまり、1937年にデビュー。

翌年、松竹映画「愛染かつら」の主題歌『旅の夜風』を、当時大スターだったミス・コロムビアと歌い、80万枚を超す驚異的なヒットを飛ばす。1943年、召集令状を受け、大日本帝国海軍横須賀海兵団に入隊。戦後は外国の曲を歌うことにも挑戦した。

「自分は不器用だから人の何倍もの努力が必要です」

舞台のない日も、朝起きてから深夜まで練習に励んだという逸話が残っていた。

そして、本だ。さっきまで会話していた人について書かれている。面白くない訳がない。

ナイルさんの父は、革命家だった。活動の度が過ぎて、留学という名目で家族が逃したのが日本。インド独立のために日本でも奔走する。戦後、家族がメシを食っていくために、インド人の父と日本人の母が苦肉の策ではじめたのが「ナイルレストラン」だった。

インドにはカースト制度がある。当時は生まれつき職業がある程度決められていた。ルーツのある南インドにおいて、ナイル家はカーストで上位に位置することでその名が知られている存在だった。料理を職業にするというのは、思ってもみない選択肢だっただろう。それでも「日印親善は台所から」の思いを胸に、年中無休で営業を続けたそうだ。ナイルさんが、父の背中から、国を思う気持ちに影響を受けなかったはずがない。

霧島昇の大ヒット曲『旅の夜風』。

花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 独り行く

霧島昇とナイルさん。この歌詞にふたりの生き様が重なる気がした。

少しだけ話が逸れる。

「自身のアイデンティティについてどうお考えですか?」

テニスの大坂なおみ選手は、記者の質問に対してこう答えた。

「私にとって、私は私です」

日本人史上初となるNBAドラフト一巡目指名を受けた八村塁選手は、自らのアイデンティティに対してこう話す。

「僕はアフリカ人のハーフで、日本人のハーフであることを誇りに思っている。それは稀有なことで、こうなれたことが嬉しい」

外国人とは何だろうか。それと等しく、日本人とは何だろうかと思う。

「僕は心の中は日本人なの」

ナイルさんはインタビューでそう答えていた。

僕は今、日本の行き先について不安な気持ちが混ざることがある。ただ憂いていても仕方がない、だからどう生きるかを考える。

その国を思う気持ちがあれば、その国の人間である。ナイルさんのこと、ナイルさんの好きな歌について思いを馳せながらそう思った。

この文章を書き上げた8月に、ナイルさんは75歳の誕生日を迎えた。またカレーを食べに行こう。そしてナイルさんに話そう。混じぇながら話をしよう。

「僕、もう非国民じゃないですよ」って笑いながら。

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