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わたしがいても、いなくても

朝、目が覚めて、連絡が読まれていないことを確認した。何だかほっとしたような気持ちになった。まだ読まれていないから、連絡が無いんだ。


昼前にまた確認した。
既読になっていた。


あぁ、とうとう私の気持ちを知られてしまった。もう後戻りはできない。とはいえ、後戻りしたいわけではなかった。それならば、朝の時点で送信取り消しをしていたと思う。自分自身の気持ちが、ここまで来てしまったから、苦しくて辛かったんだから。



もちろん、これを書いている今、何の連絡も無い。何も思うところが無いのならば、連絡はしなくて良いよと言ったのは私だ。彼はおそらく、私に対して何の感情も抱いていなかったのだと思う。だから、それを改めて聞かれても困るだろう。そして、何より、考える時間も余裕もないはずだ。



そこまで見越して送った文章だった。
あなたのことが好きです、と伝えると同時に
さようなら、と伝えた文章。



さっき、車で1時間半ほど走った。
外は蒸し暑く、例年に比べれば少ないとはいえ、たくさんの車が走っている。私は窓から見える景色を見て、あぁ、あの人とこういうものを共有したかった、と思った。青い空や夏の緑、この蒸し暑さでさえ、共有したかった。


時間や感情、見るもの、口にするもの、そんなものを共有したい。それが私の好きという気持ちだ。一緒にいられなくても、それを共有する方法なんていっぱいある。それで十分。忙しさとか、会えないことが辛いのではない。

彼にもう少し余裕があれば、とか、私がもう少し耐えれば、というどうしようもないことを一瞬、考えた。ほんの一瞬。でも、そこまで夢が見られるような関係性が、私達の間には存在しなかった。ただの知り合い。



彼はこの数ヶ月の出来事をどう捉えているだろうか。たった数ヶ月。でも、私にとっては数ヶ月で十分だった。いきなり距離を詰めたいとかそういうことではなくて、もう耐えられなかったのだから、仕方がない。彼とのやり取りの中に、私という存在がいないことが耐えられなかった。そう思う自分が嫌だった。だから、私はあなたのことが好きだ!あなたはどういう気持ちなのか教えてほしい。まだ何でもない、こういうことは困る、面倒をかけてくれるな、そんなネガティブなことでも良いから、私に対する気持ちが知りたかった。

今でも気持ちを伝えたことを後悔はしてない。



全然関係ないところで、ある人が、自分の評価を他者に委ねてはいけない、というようなことを言ったいた。自分が自分を評価して、他人がどう言おうと自分が幸せな人生を生きるべきだ、と。一時期、もてはやされ、今でも人気のある考え方ですよね。それができるなら、負の感情を持ったり、イライラすることもないのかもしれない。


でも、私は自分のことが気に入っている。
もちろん、とてもネガティブになる時期がある。
何なら心が折れまくる時だってある。
2度と戻りたくないなという過去もいくつかあるけど、それでも私は私が好きだ。


何度、誰かを好きになって、
そして、傷ついても、
すぐ好きになる。


もしかしたら、嫌な過去を少しでも早く上書きしたくて、焦っているだけかもしれない。でも、それで慎重になったからって、私の何かが救われるとも特に思えない。それなら、誰かをひどく傷つけたりしない限り、別に良いかと思うことにしている。思うことにしているだけだから、後悔することもあるけれど。



どうやら、予想に反せず、
私はいてもいなくても、どちらでも良かったようだ。彼からしたら、結論を急ぎ過ぎたのかもしれない。でも、私が疑問に思った時点で、ハッキリして良かったのじゃないかなと思う。彼の軸ではなく、私の軸で物事を進めることができたのだから。誰のせいでもなく、自分が決めたタイミングだ。


私が一番、嫌なのは、
いてもいなくても、どちらでも良い存在だ。


私は恋愛についてはかなりのポンコツだけれども、そう思っている人に、私の気持ちや時間を割くなんて、バカげていると思う。今の段階で無償の愛をあげられるほど、私は慈愛に満ちていない。



それでも、彼が穏やかな気持ちで、仕事をこなし、少しの趣味を楽しみ、おいしいものを食べ、よく眠ることができれば良いのになと思う。
私がいれば、きっともっと充実できたのに、という皮肉も込めて。



何も始まっていないから、私の心も少し穏やかでいられるのかもしれないなぁ。


穏やかな休暇を過ごせそうです。


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