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【日本をもう一度洗濯しよう】

日本は今一度、洗濯されねばならないのではないか。

危機感が募る。

こんなことを書いてもウザがられるだけかもしれないが、とりあえず書く。
なぜウザがられると思っているのか、その理由は後述する。

今、岐阜県の平湯温泉でリゾートバイト中だ。
数日前、周辺を車で走る機会があった。

周辺の集落を通過する時、結構な数の住民を目にしたが、そのほとんどが70歳をゆうに超えていそうな方々だった。
2040年に日本の地方自治体の半分が消滅するという見立てが腑に落ちる。

ここで私の中に、ある言葉が浮かぶ。

「最悪の事態が到来するまで何もしない、というのが日本人の性質である」
この言葉は、複数の本で度々目にしてきた。

わかりやすいのは第二次世界大戦の終わり方。
明らかに負けが見えているにも関わらず、特攻などという無茶苦茶な戦い方をしてまでも無理矢理に引き延ばす。
完膚なきまでに叩きのめされるまで。

今ここで負けを認めてしまえば上層部が責任を取らされる。
それならもうめちゃくちゃにしてあやふやにしてしまおう。
そういう思考なのだと読んだ。

別の本だが、以下そのような日本人の姿勢について書かれた節を引用する。

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事故を起こした原発でも、コンプライアンス違反や法令違反を犯した企業でも、「こんなことを続けていると、いつか大変なことになる」ということを現場の人間は知っていたはずである。

自分達がやるべき手順を抜かし、守るべきルールを守らず、定められた仕様に違反していたことは現場にいる人間は知っている。

でも、それを上司に伝えても、嫌な顔をされるだけだった。
ここでそれを指摘すれば、経営陣はこれまでそれを放置してきた責任を問われる。
壊れたシステムの補正のためにはそれなりのリソースを割かねばならない。
仕事が増えるし、利益が減るし、外に漏れれば会社の評判に傷がつく。

だったら「見なかったこと」にして、先送りにした方がいい。
人々はそう考えた。
いずれ「大変なこと」が起きるだろうが、そのときには自分はもう満額の退職金を手に退職した後である。

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内田樹さんが書かれた「生きづらさについて考える」という本の一節。
皆さんもこんな風景、どこかで見た覚えはないだろうか。
恥ずかしいが私自身、この感覚に共感できてしまう。
私が書いているこの文章も、人によっては「嫌なことを考えさせるな」と負の感情を湧き立たせるかもしれない。

このような性質の組織や社会では、諫言する人たちは嫌われ、「全く問題はありません」と言い募る人が出世してしまう。
そんな人たちが長らくトップにい続けたこの国には、この姿勢が骨まで染み付いてしまっている気がする。


染み付いてしまっていることを認識するのが難しいほどに。


今ここで書く危機感は、地方の衰退と日本の未来について。

内田さんの本によると、人口減退の先には大きく二つの可能性がある。
この先日本は、人口5000万人以下にまで減る。
・明治時代の日本のように、5000万人の日本人が日本列島に広く分布し、昔のような穏やかな風景を取り戻すのか、
・それとも、残った5000万人が都市に集中し、もはや不可能な経済成長を追い続け、その外の土地には「無住の荒野」が広がるナウシカの世界のような未来か。

今の日本政府が目指すのは明らかに後者である。
国家的急務である「若者の地方移住」への後押しに熱意が見えないことや、現在起きている地方移住にほとんど注目していないのがいい証拠。
移住者の数の統計すら取られていないのだという(2018年段階)。

そして後者の未来を辿った場合どうなるか。

都市に地方の人間を移住させることで、最初は経済活動が活発になるように見える。
しかしそれは地方の高齢者を流入させるだけに過ぎないから、すぐに低迷。
そして地方都市も山村と同じように、行政サービスを行うだけの経済価値がないと判断されれば切り捨てられ、首都圏、大都市圏に人口が集中。

その結果として農地は激減、文化や伝統も消滅する。

ここからは私の妄想だが、経済が縮小し、食料もまともに時給できなくなった日本は今にも増して外国に飼い慣らされるようになるかもしれない。
その荒野となった土地のほとんどを海外に買われる未来も想像できてしまう。

食料はビルの中で水耕栽培すればなんとかはなるかもしれない。
しかしその影響が人体にどう出るかはわからない。
作物が育つという過程は、土壌の中の微生物などとの複雑な関係性の中にあるという。

土から作られた食べ物を食べられるのは、ごく一部の富裕層になるかもしれない。

なんだかこうやって書いているとSFのようで、100年後の可能性を書いているような気になってくるが、自治体が半減するのはわずか20年後の話である。

私たちには時間がない。

警察、消防、病院など、行政サービスや住むのに必要なサービスが一度停止した地域に再びそれらを戻すのは、ほとんど不可能に近いだろう。
つまり、この20年で消滅した村や町は、もう元には戻らないと思った方がいいと思う。

だからこそ、この20年、いや、伝統を引き継いだり、継続的な流入を促すにはこの数年が勝負なのではないだろうか。
間違いなく、この問題の影響は私たちの想定をはるかに超えてくると思う。

なにしろ、約900の自治体が消えるのだ。
人類が未体験のフェーズなのだ。

めちゃくちゃになった日本を老後眺めながら死んでいくのは、私は嫌だ。

これが1つの危機感。

そしてもう1つの、最大の危機感。
序盤に書いた日本人の姿勢について。

このままでは大変なことになるのはわかっている(もしくはわかっていない)が、自分一人がどうこうしても変わらないし、とりあえずお金は大事だから、大都市に出る。
これが日本の若者のデフォルトな気がする。

モルガン・スタンレーという、NYに拠点を置く世界的な金融グループの、チーフ・グローバルストラテジストという、いわば参謀が「経済成長の時代は終わった」と言っている。
そして「経済の新しい現実を認識している指導者はほとんどいない」ことを嘆いているという。

しかし、日本社会の雰囲気は未だ経済第一主義のように感じる。
政府の姿勢がそうなのだから当然なのだろう。

しかし、タイムリミットは目の前まで迫っている。
政府には期待できない。
一人一人が本当の意味で、自分の目で見て、自分の頭で考えなければならない時がきているのではないかと感じている。

このままでは、終戦の時のように最悪の結末を迎え、全員で泣くことになるかもしれない。
何かと話題のひろゆきも「日本人はみんなで少しずつ沈んでいく選択をしている」みたいなことを言っていたし、いろんなところで指摘されているが、全体の空気が変わる気配はない。

坂本龍馬の「日本を洗濯する」という言葉が、いやにしっくりきてしまう。
明治維新の時のような意識が必要だと思う。

が、あの頃の藩のような共同体がなく、個人に分断されてしまった現代であのムーブメントは難しい。
一人一人が目を覚ますしかない。
どうしたらいいのか、、、

とは言いつつも、今自分も人生を楽しむために、世界一周の船に乗るために必死に貯金している。
何も偉そうに言えた立場ではない。

でも言わねばならぬと思ったから書いた。
今の自分にできることはこのくらいしかないから。

もしかしたら考え過ぎかもしれない。
でも考えずに最悪を迎えるより、はるかにいい。

子孫に負債を溜め続けるような生き方はしたくない。
子孫に誇れる生き方がしたい。
美しい日本を残したい。

来年の春以降、自分にできることをしていきたいと強く思う。
今はとてももどかしい。

事業を起こしたり何かを引っ張ったりということはすこぶる苦手な私なので、どうしたもんかなと思っている。
誰かこの文章に共感してくれる人がいたら、ぜひお話ししたいです。


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