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【宣誓】

とあるカフェでこれを書いている。

丸太の椅子に腰掛け、竹でできた簡素な机に肘をあずける。
外にあるこの席の目の前には、少しずつ稲の背が伸びてきた田んぼが広がっている。
自然のことわりの中で生きる人間の営みは、とても美しい。

梅雨の隙間の爽やかな快晴。
まだ午前中だが、昼には少し汗ばみそう。

頭上の木が、日差しから守ってくれている。
風が優しい。
夏の匂いが、し始めている。

耳を澄ますと、店内BGMの美しいピアノの旋律。
風が木の葉をこすらせる。
あんなに小さな小鳥の声が、こんなにも人の心をほぐすのはなぜなのだろうか。

この土地に帰ってきてまだ2日。
1週間前にあれほど苦しんでいたのが嘘のように、満たされて幸せな気持ちでいっぱい。
まさに、梅雨時期に降り続いた後の晴天が、昨日までの雨など覚えていないように。

人間にとってかけがえのない美しいときは、いつだってこんなにもシンプルだ。
そのことを忘れないように人間ができていれば、こんなにも苦しみに満ちた世界にはなっていないだろう。

しかしきっと思い出せる。
この美しい時間にまだ触れたことのない人もたくさんいると思う。

閉塞感と生きづらさに押しつぶされそうな現代人の多くが、この安らかな時間に救われるとぼくは確信している。

守り、繋ぎ、伝えていかなくてはならない。
だから、人がこの安らぎに触れられる場所を作りたいと思っている。

蜂が机の上の木の実をかじっている。
数種類の蝶々が周りを飛び回っている。
今、目の前の草の隙間を細い蛇が降りていった。

全て繋がっている。
私たちが吐いた二酸化炭素が植物の糧となり、植物が虫を育み、虫が鳥や小動物を育み、それらがさらに大きな動物を育み、全てのサイクルを微生物が支えている。

全て繋がっているという実感を得たとき、この世界はひとつである。

「いちは全、全はいち」

大学の授業で教わったことはほとんど忘れてしまったが、多分一生忘れないことのひとつ。
それは、「地球の生物多様性は、これからどう足掻いても回復不可能なほどのダメージを受けている。」ということ。
すでにそれだけ多くの生物が絶滅してしまったのだ。

200年前〜300年前にかけての絶滅スピードは4年で1種ほどだったものが、現在では1年で4万種もの生き物が絶滅していると言われている。

生き物はそれぞれ相互に繋がりあって生きている。
イメージしにくいが、その繋がりはぼくらが思っているよりも切実なものだ。
この絶滅スピードの加速はドミノ倒しのように連鎖を続けるだろう。
だからこそ、「どう足掻いても回復不可能なほどのダメージ」であるのだ。

この世界はひとつであるという視点に立つと、これはすなわち、「自分の体がボロボロと崩れていっている」のとほぼ同義じゃないだろうか。

人間の心から、自然がどんどん離れていく。
当事者意識を失っていく。

まだそれぞれの自治領地で自給自足をし、災害や天候などで生活にもろに影響が出ていた江戸時代は、人間の心はまだ自然と密接に繋がっていただろう。

しかし明治維新以降、人々の生活は自然からどんどん切り離されていった。
今、都市で育つ子供が、自分の生活が自然に支えられている実感を得るのは実質的に不可能なのではないだろうか。

スーパーに並ぶ豚肉から、生きている豚をイメージできない子供が東京にはたくさんいると聞いたことがある。
ダイレクトに私たちを支えている食べ物が、自分と同じような命であるという認識すらできていないのだ。

彼らが「ごちそうさま」を唱えたとしても、もうそこに意味は乗っかっていないだろう。
空虚な言葉が増えていく。

現代では、受験戦争に勝ち残ることが我が子が生き残るために必須であるという、一種の信仰が、広く深く行き渡っている。
小中高と価値観の形成に大きく関わる段階で、青春のほとんどを塾に捧げた子供たちが都市の外のことに触れる機会も極端に少ない。

子供の通塾率と農業従事者の割合に負の相関関係があるというのだから、これまた面白い。
そうやって育った人間が国を動かす側になるのだから、環境が蔑ろにされることは必然ではある。

「生きる」ことの本質からかけ離れて加速を続ける、意思決定者である都市部。

私たちにとって本当に必要な足元の命を踏みつけにして、見ないようにして、そんなに急いでどこに行こうというのか。
その先に一体何が待っているというのか。

この流れに乗っていても、この閉塞感と生きづらさは決して拭えない。
いくらお金を稼いでも、人間が本当の意味で満たされることがないように。
いくら時間術を極めても、人が焦りを捨てられないように。

本当に大切なことは、そんなところに転がっていない。

これは何も、社会全体としてだけの話ではないように思う。
個人の人生選択の集合が、この社会の大きな流れを形作っているのだから。

「生きる」ってなにで、
自分の「生きる」をなにが支えていて、
自分の「生きる」を今なにに捧げていて、
自分の「生きる」をこれからなにに捧げていきたくて、
孫子の代の「生きる」がどうしたらより良いものになるか、
私たち個人はもっともっと、というよりゼロから目を向けて考え始めなければいけないのではないか。

私が100歳まで生きるとしたら、あとの74年間、必死に向き合い続けたいと思い、これを書きました。
軽い気持ちで感じていることを書き始めたのに、思ったより重たくなってしまった笑
最後まで読んでくれた人がいたなら嬉しい限りです。

例えでもお世辞でもなく、今日もぼくの「生きる」は皆さんに支えられています。
ありがとうございます。


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