見出し画像

22年目、そして終止符。

応援してくださった全ての方へ。


今本康太は2024年度の前期シーズンをもって、サッカー選手を引退することにしました。




2022年の6月。大学を卒業してから約2ヶ月後。

ウクライナとロシアの戦争が始まっているのに、なんでこんな状況で隣国のポーランドに行くんだ!なんてことをたくさんの人に言われました。
ほんとにその通りだよなとか思いつつ、でも僕の頭の中は夢に向かって挑戦する期待とワクワクしかなかったので、皆さんの指摘を右から左に聞き流して日本を発ちました。

合流した1チーム目で契約が決まって迎えたシーズン前半。
シーズン序盤は出場時間の短い時期が続きましたが、徐々に日本で培ったサッカーの感覚と現地の感覚の違いを理解しはじめて、自分なりの闘い方を必死に模索。
その結果、少しづつ成績を残してシーズン半ばからスタメンを勝ち取ることができました。
シーズン後半も勢いそのまま、前半のシーズンで掴んだ感覚を活かしてそこそこ成績を残して、結果は10ゴール7アシスト。

この結果であれば個人で昇格を狙えるかなあって思っていましたが、しかし現実はそんなに甘くなく、オファーはもらえずチームに残ることが決まりました。

来る次のシーズン。安定して試合に出場はできたもののチーム個人共に結果が伴わず、悩みに悩んだ挙句、自分から申し出て引退することを決めました。



引退を決断した理由は、目標に設定していた期限に対して、結果を伴わせられなかった実力を認めたからです。

期待と夢は一丁前に大きかったものの、実力主義の社会を勝ち上がっていく力が僕にはなく、理想と突きつけられた現実はかけ離れたものでした。


もしかしたら、もう1~2年やっていたら見えた景色は違うかもしれない。
諦めなければいつか…。


そんな淡い期待とは毎日のように葛藤していました。

現状に納得なんて全くしていなかったし、まだまだ夢は追いかけていたかった。

でもその思考の根底には、サッカーを失う怖さに目を背けようとする自分の弱さがあることに気づき、残された可能性ではなく、目の前の現実を飲み込むことにしました。


そして2024年、サッカーを引退することにしました。


こうして1年半の時間を文章にしてみると、意外と短くまとまってしまうけど、内容は全然そんなことありません。

日本という島を飛び出して海外に来たことで、

サッカーを仕事にして、
自分が点を取ると喜び狂ってる観客がいて、
自分のサインを欲しがるちびっ子ファンがいて、
勝利後にロッカールームで食べるピザとビールがめちゃくちゃうまいことを知って、

日本にいたら出会わなかったであろう景色がたくさんありました。


しかし一方で、サッカーをやめるかどうかを考えていたときは、

サッカーという情熱を捧げる矛先を失う怖さ。
サッカーほど熱狂できるものがわからない怖さ。
考えても答えが出るわけないのに、考えずにはいられなくて不安でたまらない。

そんな状態が何日も続いて、徐々に飯が喉を通らなくなり、体重もだいぶ落ちてました。

間違いなく、精神状態は今まで一番しんどかった。

それほどサッカーという競技が人生に与えたインパクトは大きく、
サッカーを手放そうとする僕にとって、22年間という時間はあまりにも長すぎました。


全部をうまく言葉にできませんが、サッカーをして生きていくと決めた1年半は、感情が上にも下にも揺さぶられまくった1年半でした。



今後のことはまだ何も決まっていないので、この経験の活かし方は今はまだよくわかっていません。
今回の挑戦は成功していないので、いまの時点で海外挑戦の経験を肯定するつもりはないし、自分を労う気もありません。


それでも、

今までサッカー通して得た価値観や考え方、仲間。
これらは紛れもなく、自分の力で勝ち取ってきたもので、かけがえのない財産です。
結果がついてくるときもついてこないときもありましたが、全ての行動は自分の決断であり、自分の責任です。
やれることは全部やり切りました。

そして最後は儚く散って終わったサッカー人生でしたが、今まで歩いてきた道のりとその道の歩き方には自信があります。

これからはサッカーで得た”何か”を、今後の人生にフルベットして生きていこうと思います。


「サッカーをやっていてよかった。」


いつか胸を張ってこの言葉を言えるように。



最後に、応援してくださった全ての方へ。
僕のサッカー人生を支えてくださり、本当にありがとうございました。
今後も後悔なく人生を生きていきますので、引き続き応援よろしくお願いいたします。


今本康太








この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?