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“photography”という言葉から紐解く、写真とは。

最近いろいろな本を読んでいたり、Youtubeを見たり、とにかく写真に関してのインプット量を増やしています。

日々写真を撮る中で、自分の引き出しの少なさを痛感しているからです。もっとこういう表現をしたい!と朧げながらイメージがあっても、それが具体化できずに現実の世界まで引っ張り出すことが出来ないんです。

これは写真だけじゃなくて、もしかするとあらゆるクリエイターにとって大きな問題かもしれません。それはまた別のお話かもしれませんが・・・。

たくさんの情報に触れる中で面白い情報に触れたので、今日はその話をしたいと思います。

結論からお話しすると、「写真は真実を写さないし、写真は真実を写す」ということです。

写真という言葉から読み解く違い

「写真は真実を写さないし、写真は真実を写す」について話す前に、”写真”という言葉を考えていきたいと思います。

この前提がなければ、というかこの話が今日のサビです。

「写真」は文字通りの意味を考えてみると、「真を写す」「真に写る」といった意味になるかと思います。

これは言い得て妙です。

絵画が全盛だった時代に写真が現れた時、それは大層驚いたと思います。
目の前の景色がそのまま絵のようになっているのですから。

そしてその絵は甚だしくリアルなのです。
目の前の景色がそのまま絵のようになっているんですよ?
”真が写る”とはいったものです。

たくさんの本を読んでいると気が付くのですが、
毎度昔の人の言葉のセンスには驚かされます。

真を写す・・・写真ですね。
想像しやすいと思います。

ある時、写真の歴史について調べた事があったんです。
だって不思議じゃないですか。なんで写真ってものが生まれたのか。

なんで?どうして?目の前の景色を切り撮って残せるのか。

思いませんか?

技術的な事ではなくて、どうしてそういう思考に至ったのかが気になりました。凡人には思い浮かびませんよ、そんな事。

詳しくは割愛しますが、太古の昔から壁にある小さい穴を通して、部屋の壁に外の景色が写される、という事は分かっていたようです。これで、外の様子を探り敵から身を守っていたのでしょうか。

こういった前提があり、この現象を応用して生まれたのが写真です。

つまり光をレンズから集めて、像を描くようなイメージです。

ポイントは「外から光が入ってきていた」という点です。

当たり前ですが、「光」が重要なんですね。
当然、光が無ければ何も見えず、何も写りません。

そこで昔の人は「photography」と名付けたわけです。

言葉を生み出している人ってすごい。

「photography」を分解する

“photograhy”は日本語で「写真」という意味ですが、分解してみると少し意味合いが変わってくるように思います。

photographyは「photo」と「graphy」という2つの単語に分けられます。

それぞれは下記の意味です。

photo=光
graphy=描く

となります。ちなみにphotoの語源は、ギリシャ語で光子を意味する「photon」からきています。もっと深ぼると、光の性質という科学的な話になるので、割愛します。光は粒子でもあり、波動でもあるというアインシュタインの話です。

話を元に戻します。

日本語で「写真」というと、目の前の景色をそのままの状態で切り撮る、というようなイメージを持ちます。少なくとも僕はそういったイメージを写真に持っていました。

しかし語源を辿ってみると「光で描く」もしくは「光を描く」んです。

“目の前の景色をそのまま切り撮る”という「写真」とは、少しだけニュアンスが変わったように思いませんか?

写真は真実を写さないし、写真は真実を写す

では、最初に触れた話に戻します。

「光で描くもの」が「写真」だとするならば、必ずしも目の前の景色をそのまま残さなくても良いという事になります。

つまり、我々が見ている真実ではなくても、良いのではないでしょうか。

言わずもがな、写真を撮影する事において「光」は欠かせないものです。わずかな光さえも無ければ成立しないので、大事なものうんぬんでは語れません。

光がある上で、光が反射しているから我々は物体を認識できるわけです。太陽とは偉大ですね。

各神話で太陽神が、最高神になっているのもうなずけます。(ちなみに神話や宗教史好きです。)

そして写真を死ぬほど撮りまくっていると、
写真には自分が投影される事に気が付きます。

それは自分の生き方であったり、見たもの、経験や感情、性癖でさえも写ると思っています。

意識していなくても、ふと写真を見返した時に、よく見る写真家さんの作品に似ているなぁと思ったこともあります。

それらは目には見えない事も多いですが、撮り手にとっては真実であるかと思います。また被写体が人である場合、その方の生き方や感情が、表情や身体の動き、表現に出てくると思います。

これは「どのように世界を見ているか」という、主観的な視点から生まれるものじゃないでしょうか。

つまり、その人にとっての世界の真実が写真には写るのです

話を整理してみよう

話を整理してみると、目に写る物体(光が反射しているもの)は如何様にも変化させる事ができます。光を強くしたり、弱くしたり、色を変えてみたり、時には影を使って見たり。

これは目の前の真実の景色以上の事象を写す事ができる、という事です。

反対に、

目には写らないその人の感情や経験、世界の見方などは真実として色濃く写るような気がする

のです。不思議というか、皮肉というか。

言葉を読み解く事で、写真に対する向き合い方が変わったような気がします。

そしてひとつ、改めて強く感じた事は「写真は自由」という点です。

photoでgraphするなら、自由でいいじゃないですか。
1枚の完成までのアプローチも、結果である1枚にも正解はない。

綺麗な写真を撮るセオリーは存在するけれど、
セオリーが正解とは限らない。

ただ、セオリーを知っている事で、自分にとっての正解を導き出す事が出来るようになると思います。セオリー(基本)って大事。

ちょっと難しい話になってしまいましたが、写真への向き合い方が変われば、自ずと写真も変わってくると思います。

こうしてまた試行錯誤の毎日が始まるわけです。

楽しんでいきましょう。

KOTA

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