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ゼロになれば、人は深くなる。

人生をやり直したい時ってない?

あの時に戻りたいなっていう時。僕はたまにある。あの時持っていたもう一つの選択肢をとっていたら、違う結果になってただろうな。とかね。

それは成長したから思うことだろうし、その反面、その瞬間を生きてこなかった証なのかなと思う。どの選択肢を選んだとしても、その時の僕に先のことなんか分からない。今の自分だって、あの時の自分が違う選択肢を選んで、良い結果になったかなんて分からない。

結果は結果。
あくまで結果。
それまでに何をしたか。
それこそが本質につながる部分だ。

やり直したいと思っても、やり直すことはできない。

でもちょっと待てよ?


それ本当にやり直したい?


僕は違う気がしている。
何かをやって、後悔をする。これは必然。後悔しないことなんてありえない。だって僕らには選択肢が無数にあるから。どの選択肢が正解なんて分からない。だから、選んだ選択肢を正解にしていくしかない。

でも、その後悔に苛まれる時だってある。
そういう時は、その選択をやり直したいんじゃない。

「すべてをゼロにしたい」

これだと思う。

僕らは、ゼロになる瞬間がある。
そのタイミングは人それぞれだけど、大抵は何か大きいことに挑戦する直前だと思う。もっというと、挑戦することを決める直前だと思う。

僕の場合で言えば、オーストラリアワーホリを決めた時がゼロだった。

もちろん、今までの仕事の経験、人間関係、友達、家族…それらは変わらずあった。だけど、海外に挑戦する自分は、真っ白のゼロだった。

ワーホリを最初からやり直したいと思った日もある。それはワーホリを通して、たくさんの事を知って、たくさんの人と出会って、色々な人生を見たからだと思う。だから、やり直したいという感情自体を否定することは無かった。

でも、やり直したいというのは違うと感じた。ほとんど直感だった。

ワーホリをやり直したい…

心に違和感があった。
ワーホリを仮にやり直せたとしよう。俺はどうする?何をする?何をしたら、次はやり直したいと思わないのだろう?答えなど出るはずもない。

その時に、頭に浮かんできたのが、ゼロだった自分だった。その瞬間に、心にストンと落ちた。

「ワーホリ」をやり直したいわけじゃない。
あの時の、「ゼロの自分」に戻りたいんだ。

ワーホリをやり直すことは出来ないけど、あの時のゼロの自分に「戻る」ことはできないけど、今の自分で、ゼロの「なる」ことは出来る。

ゼロに戻りたいのは、積み重ねたものがあるから。
その積み重ねたものは、ワーホリで感じた心でもあり、知識として頭の中に入ってきたものでもある。

だったら、その積み重ねの中に無い事にチャレンジしたら、また新しいゼロになる。

オーストラリアに来る事を決断したあの日のように、新しい事にチャレンジする事を決めたらいい。

そんな事を思っていた時、いや、思っていたからこそ気づけたかもしれない。

新しい挑戦が目の前に降ってきた。

僕はゼロになれた。

ワーホリをやり直したいって思わなくなった。
新しい道が見えてきた。今まで思っていたやりたい事をやめるつもりもない。それも含めて、ゼロの自分で挑戦できると思った。

ゼロになった瞬間ほど、心が軽いことはない。

こんなにもワクワクすることがあるだろうか。

僕らは、やり直すことは出来ないけど、ゼロの自分になることはいつだってできる。ゼロの自分に将来の保証はないけれど、だからこそ、ゼロの自分は最高に幸せを感じる。

積み重ねたものを崩すことなく、新しい自分をまた積み重ねていく。その積み重ねの数を増やしていくことが、深く生きることなんじゃないかと思う。

表面の自分から、どんどん地下に積み重ねていく。
どんどんと掘り下げていく。その深さが、人としての魅力になって、空に光がさしていくのかな。

なんて。

こーた

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