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資本主義国家で働くZ世代のジレンマ

新卒として働いて早くも2ヶ月が過ぎました。
学生時代も、3年間以上のインターン経験だったり、会社を経営したりと普通の学生よりは働くことに慣れていたつもりでしたが、そんな自分が思っていることをつらつら書いていこうと思います。

一番自分が社会人になったんだと実感したのは、「足並みを揃える」ということです。組織の一員として働くため、みんなと同じ目的に向かって中長期的に走っていくことが、こんなにも当たり前のように起こっているのこの知的労働という仕組みがIT系の社会人なんだなと感じたと同時に、この仕組みを作った資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一はやはりすごいなと思いました。

現代の社会というのは「やったもん勝ち」です。
会社の36協定や労働基準法が適用されていても、それをくぐり抜けて成果を出した人間ことが、正義になるのです。
悲しい現実かもしれませんが、あの人は自分より労働時間が長いだけで、同じ労働時間だったら自分の方が生産性が高い。というのは全くを持って意味がないのです。(成果を出す確率は質<量である。この関係は本来トレードオフで扱われがちですが、その原則は労働においては成り立ちません。効率のいい人が24時間働いたら、誰も敵わないからです。結果的に、量をこなす人の成功確率は高くなります。)
そして、結果の出し方が違うのにもかかわらず、同じ会社の社員として扱われ、評価も会社として同じ評価基準が設けられています。一方で人事評価の分散化がもたらす経営リスクは不平等感に繋がります。つまり、中央集権としての全社評価(ヒエラルキー)と地方分散としての部署評価この二つの明確な関連性を持たせると良いと自分は思っています。
また、会社としての優秀な社員を再定義することも求められていると思います。これまでは、「結果論でも成果を出した者」が優秀な社員と定義されていましたが、これからは「それぞれの自己実現と会社の成長のシナジー度」が前提としてあり、その上で成果を出した者が優秀な社員と言われるべきなのではないかと思います。
具体的に述べると、広告の営業として成果を残したとしても、本人の自己実現が本当はスポーツ選手だったらシナジーがないために、優秀な社員ではないということです。
当然若手の中には、自分の自己実現が定まっていない人が多いかもしれません。その時点でライスワークであり、時代に則した働き方ではありません。

人の数だけ存在する自己実現と、労働は偏にN:1の関係で、シナジーが起こらない人はライスワークになりがちですが、
その会社のビジョンの解釈がN通り存在し、浸透してるカルチャーがある会社程N:Nの関係のため、人生と労働にシナジーが生まれライフワークになると思います。
サイバーエージェントは「21世紀を代表する会社」というN通りの解釈を可能にしているビジョンを掲げているため、他社の知り合いと話している中で、ライフワークを実現している人が多いように感じます。
とはいえ、それがアセスメントには反映さえていません。

ライフワークであることが、結果的にモチベーションの維持・向上を促し、オーナーシップを持つことができるため、生産性が上がることは周知の事実だと思うので、それを会社という経済システムの中の潤滑油として取り入れることも実現したいことです。

これを実現するためには、見えないものを見える化する技術が必要です。現代は無形資産に注目が集まり、また仮想通貨のように新たな経済圏を構成することも民間ができるようになりました。つまり、条件は揃っているので実現のアイデアはあるのですが、それは長くなるのでまた今度気が向いたら書きます。興味がある方はご連絡いただけると嬉しいです。



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