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こたの物語①
みなさん、はじめまして!
こたです。
普段あまり自分のことを話さない僕。
言語化するのが苦手なのと誰かに自分を全面的に出すのがちょっぴり不安...。
そんなことから今まで避けてきました。
でも、実はもっともっと自分のことを知って欲しいなって気持ちは僕の中であって。
なので、思い切って僕のこれまでをnoteを書いてみようと思いました。
長くなると思いますが、
「こたの物語」是非読んでみてください。
幼少時代
1999年8月16日、奈良県で生まれました。
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おそらく人生で1番モテた保育園時代。
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記憶はあまり残ってませんが、苦手なチョコレートを沢山もらって母とお返しを買いにいったのをうっすら覚えてます。
父が和太鼓奏者や先生をしていることもあり、
スタジオに連れて行ってもらって、ドラムをバンバン叩いていたのが超楽しかったことを今でも覚えてます。
この頃僕は、保育園児なのにこの子は天才なんじゃないかってくらいドラムが叩けました。
(自分で言うな。笑)
この時からずっと音楽が大好きで、今でも1人でいる時はほぼイヤホンをつけてるくらい音楽は僕の人生において欠かせないものです。
小学校時代
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小学生の頃、友達を作るのがピカイチに得意だった僕は毎週知らない子と外で遊んでいました。
ピアノ、英会話、スイミング、塾、剣道、
習い事は色んなことをやらせてもらってました。
でも、実はこの中で僕からやりたいと言ったものは1つもなくて。
特に1年生から始めた剣道は嫌で嫌で仕方なく、毎週泣きながら通っていました。
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剣道は3年生で辞めて、4年生はぼんやり過ごしてました。
そんな中、5年生の頃、クラスに転校生がやって来たことがきっかけで、初めて自分が心からやりたいと思えることに出会いました。
それが、「バスケットボール」。
それまで自分から何かを習いたいと言ったことのなかった僕は恐る恐る母に言いました。
「バスケ習ってみたい。」
そんなこんなで5年生、6年生は休みの日は毎日バスケをするくらいハマりました。
あとはちょっぴり恥ずかしいんですが、
2年生で一目惚れした女の子がいて。
6年生までその子のことがずっと好きでした。
6年生で告白したんですが、
「気になってるんだけどもう1人気になってる子がいる」となんとなくぼんやりした返事をもらって。
人生初めての告白終了。
あれは成功?失敗?どっちだったんだろう。
中学校時代
中学校の部活はもちろんバスケ部。
この頃もバスケが大好きで、
学校の休み時間も休みの日も午後から部活の日の午前中までバスケをしてるくらいの文字通り「バスケばか」でした。
夢中になれるものがある。
この頃は毎日がキラキラ輝いていました。
そして、
小学校の初恋のあの子は中学校も同じ学校。
1年生から3年生までほんとに数え切れないくらい告白しました。
...。
みなさん、気づきましたか?
「数え切れないくらい告白した」んです。
つまり、OKを貰えたことは一度もなくて。
その子にも他に好きな人がいました。
僕って何でも1つ夢中になると他のことに目がいかなくなるタイプで。
あの頃は、これから好きになる子はこの子しかいないだろうなと本気で思ってました。
そんな甘酸っぱい青春の思い出は今でも鮮明に残ってます。
その子とは大人になった今でも普通に仲良しで。
たま〜にですが近況報告も込めてご飯を食べに行ったりもしてます。
高校時代
高校は県内のバスケット強豪校に進学。
「バスケをやりたいから」という理由だけでこの学校を選びました。
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そして、
この頃から僕の日常が少しずつ変わり始めます。
それまでキラキラしていた日常がただ目の前のことを淡々とこなすだけの毎日に。
高校のバスケは練習量も多くなかなかハードで。それに加えて、強豪校だったこともあって自分より上手な人が周りにたくさんいて。
あれだけ大好きだったバスケが徐々に苦痛に変わっていきました。
練習に行くのが辛くて、体調を崩すことも多く、怪我をすることも沢山ありました。
正直、何度も何度も辞めようと思いました。
それでも、ここで辞めてしまったらバスケが大好きだったあの頃の思い出が自分の中で無くなっちゃう気がして。
結局バスケ部は最後まで続けました。
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「続けてよかったか?」
と聞かれると今でもよく分かりません。
「続けることが正しい!」とされる世の中ですが、
僕はあまりそうは思わなくて。
1度きりの人生、やりたくないことよりやりたいことをやった方が100倍いい。今はそう思います。
ただ一つ、
この時僕はそれまで一番大好きだった夢中になれるものを失いました。
それからバスケはほとんどしなくなりました。
部活を引退して受験生になりました。
祖父が同志社大学だったこともあり、なんとなく同志社に行こうかなと勉強し始めた僕。
勉強は苦手ではなかったのですが、
現役での大学受験は全落ち。
そのまま、浪人することになりました。
浪人時代
浪人時代もそのまま同志社を目指すことにしました。
大手予備校に通わせてもらい、毎日大阪まで通って1日中勉強していました。
そんな中、1人の女の子と出会いました。
同じ奈良出身だったこともあって直ぐに仲良くなり、その子と付き合うことになりました。
もちろん勉強はしていたんですが、
お祭りに行ったりユニバに行ったり。
楽しかった反面、「こんなことしてていいのかな?」という葛藤を抱えながら毎日を過ごしていました。
やっぱりこのままではダメだなって思い始めて、
その子と話し合ってお別れすることに。
そこからは勉強に専念しました。
でも僕、実は「学校」とか「予備校」が苦手で。
「時間割」があって、それに従って行動するのが窮屈で息苦しくなるんですよね。
何かに縛られることなく「自由」に生きていたい。
これは今までずっと変わっていない僕の大きな特徴です。
そんなこんなで、
途中から大手予備校に行くことなく近くのケンタッキーで朝から晩まで1人で勉強していました。
この頃の僕はプレッシャーに押しつぶされそうで人生のどん底でした。
・前半勉強を疎かにして彼女と遊んでいた
・途中で予備校に通うのをやめた
これで落ちたら、高い授業料を払ってくれていた母と父に顔向けできない。
毎日嗚咽(おえつ)が止まらなくて、勉強のし過ぎで睡眠時間を削っていたこともあり、疲労から血を吐いたこともありました。
それでもなんとか同志社大学に合格。
ここから大学生になり、
僕の人生が大きく変わっていきます。
いやー、長くなりましたね。
ここまで読んでくれたみなさん本当にありがとうございます。
ですが!
これでまだ前半です!笑
この続きは「こたの物語②」で!
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