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名古屋市有松の歴史的町並み #1

    今回紹介する歴史的町並みは、有松(ありまつ)です。有松は愛知県名古屋市にある商家町(絞染問屋群)です。旧東海道の池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)と鳴海宿(なるみしゅく)の間にあります。有松は東海道五十三次にかぞえられる宿場町ではありませんが、東海道沿いに残る大規模な歴史的町並みとしては三重県の関宿とここ有松だけであり、貴重な歴史的町並みであると言えます。

 と、ここまできて中部地方最大の都市・名古屋市に歴史的町並みがあるとは少し想像しにくいかもしれません。名古屋市の中心地、栄から見ると、有松は南南東の名古屋市緑区。豊明市に接する名古屋市の端にあります。実は、日本の歴史上でも重要な、織田信長が今川義元を奇襲で破った桶狭間の戦いが行われた桶狭間古戦場がすぐ近くにあり、歴史の舞台でもある地域です。

 有松は江戸時代の1608年に尾張藩によって開かれた村で、竹田庄九郎によって始められた絞り染めである有松絞の生産と販売で発展しました。天命四(1784)年の大火で全村が焼失したことをきっかけに、瓦葺の屋根、塗籠の壁、卯建を設けて防火的配慮を重ねた豪壮な商家が立ち並ぶ町並みに発展しました。
 明治以降、東海道の往来が大きく減ったことから有松絞は著しく衰退しましたが、その後、新たな意匠や製法の開発、卸売販売へ業務転換を図ったことから再興し、明治後期から昭和初期にかけてもっとも繁栄したそうです。

 有松を訪れたのは、2017年9月。この日は、小雨の降る中でした。名鉄名古屋本線と並行しながら緩やかに曲がった旧東海道約800mに渡って歴史的町並みが続いています。有松は大きく西町、中町、東町に分かれており、有松天満社秋季大祭の際、それぞれの町の山車が有松の町並みを曳行します。
 名鉄有松駅から歩き始めると、すぐに町並みの中央に近い中町交差点にたどり着き、そこからまず西端へ向かい、東に向かって町並みを歩き始めます。


西町の町並み

 町並みの西の端は有松一里塚を経て、町並みの西端にある祇園寺と西町山車庫から始まりまります。

 祇園寺は、1755年に鳴海の円道寺より移設し建立された曹洞宗の寺で、江戸時代には寺子屋としても使われていました。有松の人々の菩提寺として大切にされています。その向かいに立つのが西町山車庫。西町の山車は、神功皇后車と呼ばれています。

小塚家住宅

 最初に見えてくるのは、平入の主屋と切妻の土蔵からなる小塚家住宅(名古屋市指定有形文化財)です。小塚家は寛文年間(1661~1673)に居を構えたと言われる歴史ある商家。主屋は1862(文久2)年頃の建造といわれています。

 有松の商家には数少ない「卯建(うだつ)」の上がる家。また、出入口脇には海鼠(なまこ)壁の装飾が施されています。

岡家住宅

 次に見えてくるのが、岡家住宅(名古屋市指定有形文化財)。平入の主屋は一階に格子をはめ、二階の軒裏は波型になっており、虫籠窓とあわせて細部まで作りこまれています。江戸時代末期の主屋の特徴をよく表しているそうです。そして小塚家とは異なるパターンの海鼠壁が施されています。

竹田家住宅

 西町の核心ともいうべきなのが、竹田家住宅(名古屋市指定有形文化財)。有松の中でも最も大規模な絞商家の一つで、平入の主屋、妻入の土蔵の外、茶室、書院座敷、洋間、門塀が現存し、有力絞商の屋敷構えの典型と言えます。

 黒塗りの主屋や土蔵は、重厚さを感じさせる一方、土蔵を囲む塀は薄黄色の壁と茶色の板塀で構成され、落ち着きの中にも雅さを感じさせます。

 一階の格子と海鼠壁、二階のつくりなどが江戸末期の様式を伝えています。さらに、竹田家住宅1階の庇屋根には、ガス灯が設置されていました。明治期のもので、竹田家当主は新しいものを取り入れる粋な方だったのでしょう。

 竹田家から、歩きて来た西町を望むと、このように緩やかに曲がる街道の両側に商家が立ち並びます。それぞれの商家に意匠がありながらも、平入の主屋が並ぶことで、統一感の中にリズムを感じる町並みを形成していることがわかります。

 ここからさらに東へ進むと中町に入っていきますが、この記事はここまで。次の記事で中町の町並みを紹介していきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

名古屋市有松(愛知県の商家町、絞染問屋群・重要伝統的建造物群保存地区)

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