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時間が"とける"かんかく。

歩いてるときにふとおもう。
じぶんの時間がとけている。

なくなるともちがう。
とける。
わかるないけど、失う感覚ではない。

どちらかというと「馴染む」に近い。


生きていると、時間は「失う」か「過ぎる」という認識が強かったようにおもうけれど、最近はそうではない。あっという間に、気づけば後ろにあるようなものは、実は自分の中に溶け込んでいて血肉のように記憶される。

好きな人との思い出。
楽しく感じていた学生時代。
ちょっと照れくさく感じた母の日/父の日。

いずれもすぎたように思うけど、記憶と共に巻き戻したりできる。これは、溶ける感覚があるからなのかな?と思うようになってきた。

きっかけは、アイスを食べたから。

アイスは気づいたら溶けている。
カップの中を見てみると、溶けた液体が視界に入ってくる。
口にすると少し甘いから、アイスを食べる本質を理解する。

アイスを食べたいという時には、
「甘さ」「冷たさ」「口溶け」などの要素が重要でそれを求めて口にする。

溶けたアイスを食べると、
「甘さ」「若干の冷たさ」「トロッとした液体感」ぐらいは味わえる。

溶けていたとしても、アイスを食べた気になる。


これを時間として捉えてみると、
断片的に思い出される記憶のようになる。
失っているのではなく、なんとなく溶けている。

だから、時間は決してなくなってないと思うことは、人生を「少しだけ前向きに生きる」ための要素として認識していくことは悪くないことなのかもしれない。


平日の、ちょっとしたアイス時間。


この、リッチなひとときにだって


人生のヒントが隠れてる。



時間だけじゃなくて、人間関係だってそうだ。


少し疎遠になった人とも、一時的に「溶けている間柄」になっているだけかもしれない。少しだけお互いのことを、理解するように努めたり、歩み寄る気概が自分の方にあれば、また、一からリセットした関係にだって戻れるかもしれない。


失った関係性などない。


そんな、希薄なものじゃない。



仲良くなって、濃い関係の人ほど、案外うまくいくかもね。



そういえば、ぼくもフォトグラファーとなり新たなスタートをしてみたら、歩み寄るきっかけができたみたいで関係がリセットされる人たちが沢山いた。


時間がとけているだけと、認識できるぼくは、
この雪解けした関係をこれまでより早く、直せる上に、
しっかりとかためて良い関係性を構築できると思う。



こんどはその友人たちと、



カフェやお菓子屋さんでアイスでもつまんで。


少し前に、また、一歩すすめる。




おれ、がんばれ。

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