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できない、私なんて。なんて思わないで。言葉の力を舐めるなよ。自分の最大の味方は、自分自身。自分が一番の応援者。

謙遜の意味もあるのかもしれないが、あまりにも自分のことを卑下してしまっている人、自分のことを下に下に表現している人がいる。

「いやいや、私にはとてもできませんよ。」

「いや、私なんて、ゴミみたいな存在ですから。」

腰が低いを通り越して、地べたに顔をこすりつけているような勢いだ。

そんな言葉を、日常で、当たりであるかのように、無意識に使っている。もう習慣化して、自分には気づけないレベルにいるのだろう。私には、異常な光景過ぎて、違和感でしかない。

だって、人のことは傷つけてはいけないと言っておきながら、自分のことは平気で傷つけているのだから。

自分自身も一人の人間である。人である。傷つけていいはずがない。

自分だったら、傷つけていい。そんなバカな話はない。



自分を卑下ばかりしている人の特徴として

・否定することが多い  「ない」をよく使う

・背中が丸まっている。目線が下に向きがち。

・筋肉が柔らかくなく、硬くなり、循環が悪くなってしまっている

・声に覇気がない。上っ面の声。

と感じている。

身体的にも、精神的にも、「苦しい」状態が私なんです。となってしまっている気がする。そうさせてしまっている気がする。人生下向きみたいになっている。


その状態が、本当のあなたであるはずがない!それは自分を守り、抑え込み、我慢して、その過程の中で創り上げられたモノであり、本当のあなたではない。

本当の自分自身を知り、表現し、一度きりの人生を喜びにあふれる人が一人でも多くなってほしいと願っている。



過去のわたしも、謙虚と卑下を履き違えて、自分のことを卑下ばかりしていた。どうせ自分の人生はこんなもんなんだ。自分にはできっこない。わからない。できない。やりたくない。いらいら。

(書いているだけで、気分が悪くなってきた。・・・)

それだけ、言葉の力ってすさまじい。

他者に言われるよりも、自分に言われるほうがより強烈で、身に沁みやすい感覚がある。

自分の中には、もう一人の自分がいて、その子にどんな言葉をかけているのか、どんな関わり方をしているのか、というのが人生を豊かにする上では重要だ。インナーチャイルドというやつだ。

あなたは、自分が子どもだったころ、どんな関わり方をされたら嬉しかったですか?

自分の気持ちに寄り添ってくれて、話を聞いてくれて、認めてくれて、わかってくれて、大事にしてくれる。

もし、否定され続け、ひどい言葉を投げつけられたら、どんな反応をしていたでしょうか?

今の自分は、自分に対してどんな関わりをしているでしょうか?

人は誰しも

・認めてほしい

・聞いてほしい

・わかってほしい

・大事にしてほしい

という想いを心の底に抱えているといわれています。

その想いを自分には与えずに、周りにばかり求める。そして、周りからは与えられずに、どうせ私なんて。と自分を卑下しだす。


他者は変えられないけど、自分自身は変えられる。自分自身が変われば、おのずと他者が変わり、身の回りに起こる出来事が変わる。

これはこの世の真実なのだろう。なぜなら、わたしが身を持って経験してきたことだから。


自分の一番の味方は、自分自身。そして、自分の一番の応援者も自分自身。

自分の想い、自分のことだけは、否定せずに、ただ寄り添って、認めて、聞いてあげてほしい。~したかったんだね。~と想ったんだね。と。子どもをあやすように。


自分自身との関係性がより良くなれば、周りとの関係性もより良くなっていく。

わたしも、寝る前は、「今日も1日ありがとう、愛してるよ。」と言葉をかけるようにしている。

そして、人は一人だけど、決して一人ではないということも心にとめておいてほしい。

無駄なことなんて何一つない。全て糧になる。一度きりの人生をより良いものに。


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