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音楽から読み解く「シン・ゴジラ」の凄み

 2016年7月末に公開されるや否や、ネット上の口コミを中心に爆発的な人気を博している映画『シン・ゴジラ』。既にプロアマ問わずに様々な方が各自の得意分野に引きつけて熱量高く語っていることからも、この作品が単なる「怪獣映画」というジャンルに留まらないものとして受容されていることが窺い知れる。

 今回は、筆者が専門とするクラシック音楽現代音楽の分野からシン・ゴジラを観たとき、劇中で流れる鷺巣詩郎(1957- )と――ゴジラ音楽のオーソリティーである――故 伊福部昭(1914-2006)の音楽をもとに、どのような情報が読み取れるのかを探っていきたい。

 前半は基本的にネタバレなしだが後半に一部ネタバレを含むので、鑑賞前の方はその点ご容赦のほどを(ネタバレ部分の前には注意書き有り)。

【1】0コンマ単位のこだわりを読み解く

 まずは小手調べに、効果音から読み取れる庵野監督の徹底したこだわりについて。ネタバレというほどではないため遠慮なく書いていくが、シン・ゴジラという映画は、まず東宝のオープニングロゴを映し、続いて1954年の初代ゴジラの冒頭で流れるゴジラの「足音」と「鳴声」の効果音(SE)を引用した後に、物語がスタートする。

 この部分について初代ゴジラがお好きな方は既にお気づきの通り、『初代ゴジラ』では「足音3回→鳴声1回→足音2回→鳴声3回」となっているところ、今回の『シン・ゴジラ』では「足音3回→鳴声1回→足音1回」と、後半4回分の効果音がカットされている。

 ところが『初代ゴジラ』と『シン・ゴジラ』の該当部分を、音声ファイルの波形画像で比較してみると、ただカットされているだけではなく、4番目の効果音(ゴジラの咆哮)が鳴るタイミングを少し後ろにずらしていることが分かる。

【波形比較】
  …『シン・ゴジラ』(2016)のサウンドトラックから抜粋した波形
  …『ゴジラ』(1954)のDVDから抜粋した波形
(※シン・ゴジラの波形の方が大きいのはリマスタリングされているため)

 時間にして、わずか0.15秒ほどのずれ。庵野監督は過去作を単に引用するだけでなく、こうした微に入り細に入りといったところにまでこだわって作っていることが、この点からも窺い知れるだろう。

【2】鷺巣詩郎による伊福部昭リスペクトを読み解く

 さて、いよいよここからが本題である。『シン・ゴジラ』の音楽を担当したのは『ふしぎの海のナディア』(1990-91)以来、庵野秀明と四半世紀以上にわたり仕事をともにしてきた鷺巣詩郎。彼自身が、既に各所でたびたび述べているように、鷺巣の父である漫画家うしおそうじ(1921-2004)は、円谷英二の片腕として働いた経験があり、漫画家への転身後も円谷との交流はずっと続いていたという。

 映画業界と深い繋がりのあった鷺巣の父は息子をかなり頻繁に映画館へ連れて行ったそうだが、当時それらの映画の大部分で音楽を担当していたのが伊福部昭だったというのだから伊福部による映画音楽に人一倍強い思い入れがあるのも納得である。しかし一聴したところ、鷺巣が新たに作曲した楽曲と、引用されている伊福部昭作品とのサウンドが、著しく異なっているのもまた事実だ。

 テイストの著しい違いを非難する論調(例えば、伊福部の引用がなくても良かったのでは?、鷺巣の音楽が良くない等など)も一部では存在するようだが、筆者はそう思わない。何故なら、鷺巣の音楽を注意深く聴いていくと、実際には相当に伊福部昭リスペクトを打ち出した音楽になっていることが分かるからだ。それを理解するために、まずは伊福部昭が初代の『ゴジラ』(1954)の音楽をどのように作曲しているかという点から、順を追って見ていこう。

――伊福部昭と初代ゴジラの音楽

 初代ゴジラのオープニングで流れるのは、後に「ゴジラのテーマ」と呼ばれることになる余りにも有名なあの旋律だ。サウンドトラックでは「メインタイトル」という題名が付いている。〔♪ ⇒ 実際の音を聴く
(※余談だが、自筆スコアの1頁目をこちらのサイトで見ることができる。)

現在では、この旋律がゴジラを表すものとして一人歩きしているが、初代ゴジラの映画内においてはそのように機能はしていない[脚註1]。むしろこの旋律が果たしている役割は、映画のなかで流れる大部分の音楽を統一することであるように思われるのだ。

 オープニングに「メインタイトル(ゴジラのテーマ)」と共にスタッフクレジットが流れた後、最初に映しだされるのは航海中の栄光丸(『シン・ゴジラ』冒頭のGLORY MARUの引用元)だ。船上ではハーモニカとギターによる音楽が演奏されている(サウンドトラックの「栄光丸の沈没」前半部分)。〔♪ ⇒ 実際の音を聴く

驚くべきことに、実はこのハーモニカのメロディも「メインタイトル」と同じ「ドシラ」の音ではじまるのだ(赤い線で囲った部分)[脚註2]。これが偶然だとは言い難い。

 続く「栄光丸の沈没」の後半部分でパニックに陥る状況を描写した旋律は、「ドシラ」を移調した「ファミレ」で始まるだけでなく、「メインタイトル(ゴジラのテーマ)」の譜例(下記に再掲載)で赤い矢印を使って示したような、狭い音域を跳躍せずに、なだらかに下がったり上がったりする音型という点で共通しているのだ。

 実は、この後に続いてゆく音楽の大部分で「①3つ(ないしはそれ以上)の音が順番に下行する音型」と「②狭い音域を下がったり上がったりする音型」というメインタイトルの特徴が共有されているのだ。言い換えれば「メインタイトル」の旋律(ドシラ ドシラ ドシラソラシドシラ )を変形させることで、他の音楽を作っていっているとも捉えられる。

 これは主題(テーマ)に含まれる音型を動機(モティーフ)として取り扱って様々な楽曲に発展させていくという、クラシック音楽では基本的な作曲技法である(※こうした手法が形づくられた歴史的な流れとその意義については、拙稿の『様々なポピュラー音楽をより深く理解するための基礎教養として「クラシック音楽の正体」を教えます』を参照されたし)。

 伊福部は初代ゴジラにおいてこうした手法を用いることにより、映画全体の楽曲に統一感をもたせようとしていたのだと推測できるだろう(※ただし全ての楽曲がそのように作られているわけではなく、「大戸島の神楽」や「船上のダンスパーティー」等はメインタイトルのモティーフとの関連が薄いようだ)。他にもいくつか例を挙げていこう。

上記の譜例のうち、「ゴジラ上陸「ゴジラ」/ 進化」は『シン・ゴジラ』で引用されている音楽だが、この楽曲においても前述したメインタイトルのモティーフとの関係は明らかである。1段目は半音階にこそなっているが「①3つ(ないしはそれ以上)の音が順番に下行する音型」であるし、♯が4つ調号に付いた2~3段目は「②狭い音域を下がったり上がったりする音型」となっているからだ。〔♪ ⇒ 実際の音を聴く

そして驚くべきことに鷺巣本人が意識してか、無意識のうちにかは不明だが――後で引用するCDジャーナルでのインタビューを読む限りは無意識で――、鷺巣が作曲した楽曲においてもそれと気づかれないような形で伊福部的な旋律の作り方が徹底されているのだ。

――鷺巣詩郎とシン・ゴジラの音楽

 劇中で最初に流れる音楽「Persecution of the masses / 上陸」では、「ソ」の連打音のなか、「ミ♭レドレミ♭ファ」という旋律線が浮き出てくる。

このラインの最初の部分「ミ♭レド」は、ゴジラのテーマの「ドシラ」の部分を移調したものと捉えることができる。つまり「①3つ(ないしはそれ以上)の音が順番に下行する音型」だということだ。加えて「②狭い音域を下がったり上がったりする音型」という点も当てはまる。

 なお、鷺巣自身はこの曲について、次のように述べている。

〔ゴジラ・〕ファンの中にはあの曲の中に伊福部昭さんのメロディを感じた方もいるようで、そこまで深読みしてくれるのかと嬉しくなりましたね。あの曲はかなり初期に庵野さんに投げたもので、僕自身は意識していなかったのですが、無意識に伊福部さんのメロディを感じていたのかもしれません。

(雑誌「CDジャーナル」2016年8月号に掲載されたインタビューより引用)

このインタビューを読む限り、意識的に寄せたつもりはないが、伊福部の音楽に寄っていると捉えられることは望むところであるようだ。

 このような例は、細かく見ていけばシン・ゴジラの音楽の全編にわたって驚くほど沢山あるのだが、次に例示するのは予告編やTVCMなどでも用いられ、本編最大の見せ場のひとつである「あのシーン」で流れる「Who will know / 悲劇」にしよう。

上記の譜例に掲載された旋律がこの曲では何度も繰り返されるのだが、この旋律も「①3つ(ないしはそれ以上)の音が順番に下行する音型」をずらしながら繰り返す(ゼクエンツと呼ばれる手法)ことで、「②狭い音域を下がったり上がったりする音型」が作られていることがお分かりいただけだろう。

更に、この後に続く場面「報道2」において流れる旋律は、上記「悲劇」の旋律を変形させたものと考えることができる。「悲劇」においては、V字状に動く刺繍音を順番に下行させていくのに対し、「報道2」では刺繍音を順番に上行させているだけだからだ。

このように、初代ゴジラ「メインタイトル」モティーフとの関係も見事なものだが、連続する楽曲の繋がりや変奏の仕方も実に鮮やかだ。他にもタバ作戦シーン前半の音楽「Black Angels (Feb_10_1211) / 作戦準備」とシーン後半の音楽「Fob_01 / タバ作戦」においても音型を共有することで、ドラマの流れをスムーズに繋げている。(またこの音型は「①3つ(ないしはそれ以上)の音が順番に下行する音型」でもあることは言うまでもない。)

 おそらく第一印象でサウンドの違いに耳がいってしまうのは、引用される過去の伊福部音楽が過去の録音を引用しているせいもある。だが、ここまで見てきたように、本作における鷺巣の旋律線の作り方からは、伊福部昭(特に初代ゴジラ)の音楽の精神を間違いなくきちんと継ぎつつ、そこから新たな音楽を紡ぎ出そうとしていることが感じられるのだ。

【3】引用楽曲を読み解く

※ここからは、大きなネタバレを含むため、まだ『シン・ゴジラ』本編を観ていない方はご覧にならないことをお薦めする。

サウンドトラックの曲目を見れば分かるように、劇中で引用される伊福部昭の手による音楽は3曲(※効果音は除く)、エンドロールでは4曲が、それぞれ引用されている。まずは、劇中の方から見ていくことにしよう。

――劇中での引用

ゴジラ』(1954)
 ⇒ ゴジラが第2形態から第3形態に進化するシーンで引用

キングコング対ゴジラ』(1962)
 ⇒ 相模湾から再び現れたことが伝えられたシーンの後で引用

メカゴジラの逆襲』(1975)
 ⇒ 続けて、ゴジラが第4形態に進化していると宣言したシーンの後で引用

 ここで特に注目すべきは後ろふたつ、『キングコング対ゴジラ』と『メカゴジラの逆襲』から引用されている部分についてだ。何故ならば、いずれも現在広く知られているバージョン(『シン・ゴジラ』でも、エンドロールにて流れる)とは少し音が違うからである[脚註3]。まずは『キングコング対ゴジラ』の方から見ていこう。

 この音型は、現在では「ゴジラのライトモティーフ」あるいは、もうひとつの「ゴジラのテーマ」として知られているものだが、この旋律に類するものが初めて登場するのが、国内ゴジラ全29作のうち第3作目となる、この『キングコング対ゴジラ』(1962)なのである。

 ところがこの時点では一部の音が現在知られているバージョンとは異なっているのだ。現在知られているのは『キングコング対ゴジラ』の2年後に撮られた『三大怪獣・地球最大の決戦』 (1964)からだ(そしてエンドロールで引用されているのは、この1964年のバージョンである)。ふたつのバージョンを比べてみると下記の通りとなる(赤い印をつけた箇所が、現在知られているバージョンと違う部分)。〔♪ ⇒ 実際の音を聴く

 同様に、『メカゴジラの逆襲』から引用される音楽(初代ゴジラの「メインタイトル」とほぼ同じもの)も、現在よく知られているバージョンとは少し音が異なっている。〔♪ ⇒ 実際の音を聴く

 ここまで何度も述べているように、エンドロールでは現在よく知られているバージョンが引用されていることからも、劇中にあえて異なるバージョンをあてたのには意図があると考えた方が自然だろう。[補遺1]

 人それぞれ異なる解釈の仕方があると思うが、筆者の推測ではあまり聴き慣れていない、いわば手垢にまみれていないバージョンを本編に用いることで、シン・ゴジラの異形さをサブリミナルな領域で強調したかったのではないかということだ。事実、これまで語ってきたような過去作との関係性について深い読み込みがない状態でも、普段聞き慣れたバージョンと少し違うものが劇中に付けられることで「シン・ゴジラが、ゴジラであって、今までのゴジラとは違う」という印象を音楽上で見事に表現しているように筆者には感じられた。

 加えて、何度も述べているように、エンドロールでは現在よく知られたバージョン(つまりは平成ゴジラ以降に固定化されていったゴジラ音楽のイメージ)と同型のものが流れるのだが、これにより本編では「異形感」を強調しつつも、エンドロールにてゴジラの伝統を引き継いでいるという「王道感」を演出しているように思われる。

 過去の音楽を引用することで、過去の遺産に寄りかかろうとするのではなく、これまであまり顧みられなかったといえるバージョンを取りあげた上、新たな価値を生み出していることに、クリエイターとしての高い矜持を感じるのだ。

――エンドロールでの引用

 今度はエンドロールで引用される4つの楽曲についてみていこう。

『ゴジラ』(1954)
『三大怪獣・地球最大の決戦』(1964)
『怪獣大戦争』(1965)
『ゴジラVSメカゴジラ』(1993)

前半2つ(『ゴジラ』『三大怪獣・地球最大の決戦』)からの引用については既に触れているため、ここでは後半2つの音楽について探っていこう。

 ゴジラを表す音楽がふたつ続いたあと、登場するのは本編のヤシオリ作戦で使われた、いわゆる「宇宙大戦争マーチ」。この旋律自体は初代ゴジラをはじめ、それ以前にも伊福部の吹奏楽曲『古典風軍楽「吉志舞」』(1943)でも使われているものだ。

 もし、これがゴジラに対して善戦を繰り広げる音楽として引用されており、エンドロールにおける音楽引用の流れがストーリーに対応するものだと仮定したら、問題となるのはこのあとに続く音楽となる。平成ゴジラで唯一引用される『ゴジラVSメカゴジラ』の音楽が、何故いきなり登場するのか?

 この『ゴジラVSメカゴジラ』(1993)の物語では――ラドンのせいで復活してしまうとはいえ――、人間だけの力でゴジラを瀕死(活動停止)の状態まで一旦追い込んでいる。こうした物語のコンテクストを引用してきているとすれば、『シン・ゴジラ』の物語に対応したものだとある程度説明がつくだろう。

 しかし、だとすればもう一点気になる問題が生じる。『ゴジラVSメカゴジラ』には卵から孵化するベビーゴジラ(ゴジラサウルス)が登場するのだ。『シン・ゴジラ』の物語に対応するものだと引き続き仮定するならば、ラストシーンにおける人型の(巨神兵らしき)シルエットが、無生殖による子孫誕生をほのめかしているという、幾分うがった視座まで見据えることができる。

【4】みんなで読み解く

 続いては、筆者もまだ明確な回答を得られていない問題について提示してみたい。取り扱うのは、下記2つのシーンで流れる音楽だ。

自衛隊のヘリが最初にゴジラと対峙するシーン
⇒ ♪11174_rhythm+melody_demo / 対峙

経口剤を投与するシーン
⇒ ♪Under a Burning Sky (11174_battle) / 特殊建機第1小隊
⇒ ♪Under a Burning Sky (11174_orchestra) / 特殊建機第2・3小隊

何故、これらの音楽に着目するのかといえば、その理由はタイトルにある。サウンドトラックにおける曲名を確認すると、共通する「11174」というタイトルが付けられていることからも分かるように実際、「特殊建機小隊」の音楽は「対峙」の音楽を発展させたものなのだ。よくよく聴いてみると、同じ素材が共有されていることが分かるだろう。

 ところが、ここで大きな疑問が生じる。このふたつのシーンには、どのような関係があるのだろうかという問題だ。単なるゴジラとの戦闘シーンという意味では「タバ作戦」の時や「ヤシオリ作戦」で異なる音楽が用いられていることが説明できないのだ。今のところ、筆者もこの件について明確な答えを持ちあわせていない。どのような解釈が可能であるか、我こそはという名案があれば是非ともコメント欄にご意見を寄せていただきたい。

 そして最後にもうひとつ、ヤシオリ作戦成功後のシーンに流れる音楽を深読みしてみたい。それまでの音楽とは毛色の異なる電子音のような音響ではじまる「Omni_00 / 終局」という楽曲なのだが、ここで話題にしたいのはひとしきり盛り上がった後に登場する、弦楽器を中心とした後半部分だ。そこで何度も繰り返されるのが、下記の音型である。

 この部分が深読みの欲求を催させるのは、シとラに♭が付いているとはいえ「ドシラ」という「ゴジラのテーマ(初代ゴジラのメインタイトル)」らしき音型が存在しているからだ。映画を観た方なら分かるように、あの映画はゴジラを核で滅却するのではなく、活動停止にはするものの共存の道を結論として選んだのだから、もしこれが深読みのし過ぎではなければ音楽も単なるハッピーエンドではないということになる。

 ヤシオリ作戦成功後の矢口が、まず赤坂と、続いてカヨコと話すシーンにまたがって流れるこの音楽に、実際はゴジラを暗示する要素が含まれているとしたら……あのシーンをまた違った視点で眺めることができるだろう。だが、これは深読みのしすぎであろうか? その是非は各自で考えてみてほしい。

【脚註】

[] 本作の時点においてこの旋律は必ずしも怪獣ゴジラと直接的に結び付けられたものではない。オープニングで流れた後には、初代ゴジラの映画本編では防衛隊(本作では自衛隊という呼称は用いられていない)が対ゴジラ作戦をすすめるシーンで主に用いられている。映画内で、直接的に怪獣ゴジラと結び付けられているのはゴジラ伝説が言い伝えられている「大戸島」のテーマに関連付けられた旋律である。〔♪ ⇒ 実際の音を聴く


[] 半音高く聴こえるかもしれないが、これはサウンドトラック全体にわたって再生のピッチ(音程)が高いためである。伊福部の弟子である和田薫が残された楽譜などを元にして新しく録音し直したバージョンでは、本来のピッチで聴くことが出来る。

[] 追って更新予定(※2016年8月19日 17時時点)。


【補遺】

[] Twitter上で海野螢さんという方から、下記に【修正前】として掲載していた部分が、誤りなのではないかというご指摘を受けた。改めて内容を精査した上で修正を施したが、取り消し線などの機能がnoteでは使用できないため、修正前の文言を下記に残しておく(※2016年8月20日)。

【修正前】
そもそも何故、伊福部は途中で音を変えたのだろうか? 『キングコング対ゴジラ』については最初に書いたものが気に入らなくなり、後で変更したバージョンが定着したという推測もできるが、『メカゴジラの逆襲』の方はそれで説明がつかない。しかしこの『メカゴジラの逆襲』の謎を解くヒントは、伊福部昭へのインタビュー(1975年)にある。

――「メカゴジラの逆襲」(一九七五年)の音楽はどうでしたか?
 メカゴジラはゴジラになられちゃ困るということでね、ゴジラなんか主題を覚えている方がいるんで、それにメカニックな感じもしなくちゃならんという事でいくらか感じを変えるようにやるにはやったんです。どういう風に皆さんに聞こえたか、わかんないですね。

※元々は、開田裕治・編「衝撃波Q 4号」(「宙」関西支部「セブンスター」刊、同人雑誌、1975年10月)所収のインタビューだが、現在は文庫版の伊福部昭著『音楽入門』(角川ソフィア文庫、2016年6月)内に採録されている。

このように述べていることから、ゴジラの偽物ということを音楽で表現するために音を変えたのだと推測できるのだ。

 しかし、そうなるともう一つの疑問が生じる。このインタビューは、伊福部昭著「音楽入門」の文庫版(2016年6月出版)に収録されたものだが、本書の解説を寄せているのが鷺巣詩郎であるため、この事実を鷺巣が知らないわけがないはずなのだ。だとしたら、庵野秀明の判断とはいえ、何故「偽ゴジラ」に付けられた音楽を本編で引用しているのだろうか? 前述したようにエンドロールでは、反対に現在よく知られているバージョンが引用されていることからも、そこには意図があると考えた方が自然だろう。

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