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さぁ、これがお前の翼だ

こんばんは、幸村です。

ぐっときた芸術noteの片翼はこちら。

今日はもう片翼について。

こないだのは彫刻でしたが、今度は絵画です。



僕の地元はそれはそれは大変治安の悪い地域だった。

小学生の頃から身近な人がいけない薬物や吸引物をやり取りしていたり、学校の廊下を自転車が走っていたり、そんな毎日で僕の心は荒んでいた。

僕も扱いづらい子どもだっただろうけど、少なくとも配られたプリントを紙飛行機にしてライターで火をつけて飛ばしはしなかったし、授業中に彫刻刀で机を彫ることもなかった。

四年生になって初めて使う委員会用の教室が少し狭くて好きで、委員会のときに一番後ろの窓の鍵を開けておいた。

面倒な合同体育の前の休憩時間に抜け出してこっそり忍び込んで窓際の陽だまりに寄り添って大好きな『果てしない物語』を読んだ。装丁が豪華なものを事前に図書室で借りておくという用意周到さ。

内側から窓の鍵は閉めていて、僕を見つけた先生は扉を拳で叩きながら鍵を開けるよう叫んだ。僕はうるさいな、と背を向けてページをめくった。先生が職員室に鍵を取りに戻った隙に窓から抜け出して、ほとんど使われない最上階の渡り廊下で陽光とともに続きを読んだ。

納得できないことは相手が誰であろうと口答えしていたけれど、尊敬していた将棋クラブの顧問には褒めてもらいたくて羽生善治先生の初心者向けの本を図書室に入れてもらって読んでいた。僕の扱いづらさはそのくらいだった。



四年生の頃の担任が大嫌いだった。

児童は何も物事を知らず素直なのが可愛いと思っていたようで、おそらく自分の手で児童を伸ばすのが好きな先生だったのだろう。僕のことを気にいるはずがなかった。

当時の僕は『科学の国のアリス』(という書名だったと思う、子どもに分かりやすいようになぜ空が青いのかなど身近な科学現象を説明してくれている素敵な本)を読んで理科に興味を抱き、夏休みにはmy試験管を抱えて近くの川の水でリトマス紙を赤く染め、とにかく知的好奇心を持て余していた。

今でも僕の悪いところなのだが、相手の話の序盤二割くらいで話の終点が見えると反射でリアクションが出てしまう。話を遮るかたちになるしこれは本当に良くないのだが身体に染み付いているのかなかなか治らない。思考スイッチがオンだとどうしてもこうなってしまう。ふだんはオフにできても仕事中はなかなか難しくて試行錯誤している。

当時の僕ももちろんそうで、先生が疑問提起をしているときに抽象化した話がしたいんだな、最近話してたのと関連づくな、なんて考えていざ先生が「どう思う?」なんて言えば全力で手をあげて当ててもらえたら授業一時間分の話の流れを喋ってしまう。授業妨害だ。先生は二学期から僕の挙手を一度もあてなかった。

これは本当に、先生は悪くないと思ってる。

僕は授業の受け方についてもっと学んでから教室にいるべきだった。早く答えたものが褒められる場ではない。問いの意味を考える協調性も誰かに譲る余裕もなかった。

三年生のときの担任がびっくりするくらい興味を引き出すのが上手な先生で本当に勉強が楽しかったから、その反動で四年生の一年間はかなりきつかった。

授業が楽しくなくて座っているのが苦痛で、初めて小説を書いたのはこの頃だった気がする。授業に参加せずこそこそと内職し、先生は通りすがりに僕の筆箱を落とすくらいで特に咎めなかった。

先生は悪くないし可哀想だったと思うが嫌いだ。もう名前も思い出せないが嫌いだ。




五年生になり、担任が変わった。これは救いだった。

骸骨のように痩せた色白の先生で、一言でいうと変だった。

授業の進捗はいつも他のクラスに遅れを取っていたし、板書は分かりづらくてみんなのノートも乱れがちだった。

だが、面白さと人間味については他の先生とは一線を画していた。

僕はおそらく、初めて先生も人間なのだと理解した。自分の成長もあっただろうが、同じ目線で会話をしてくれたことで彼の面倒くさがりで少しネガティブなところが見えて、彼の言葉に真剣に耳を傾けるようになった。

Mr.Childrenとの出会いはこの先生の紹介だった。

ある日の帰りの会で先生がギターを持ってきて、CROSS ROADを弾き語りしてくれたのだ。

普段反抗してばかりのつけまつげをしている女の子たちや火の煌めきに心を奪われている男の子たちも、みんなこの曲を口ずさむようになった。

それから先生は帰りの会で定期的に弾き語りをしてくれるようになり、みんな先生の人間としての一面に魅せられていた。



ある日、先生はギターの代わりに大きな額縁を持って教室にきた。

大きな布で覆われているそれはとても重たそうだった。先生の座高と変わらないくらいの高さがあった。

「今日は僕の一番好きな絵を見てほしいんだ」

先生は黒板の下にあるひな壇に腰掛ける。みんな席を立って先生を囲むように集まって座った。

広がる熱とざわめき。白くて長い人差し指が先生の口元で静寂を求めてきて、みな言葉を飲んだ。

「絵を見たらまずは言葉にせずに、感想を胸の中で熟成させるんだよ」

さっと布が取り払われた。


広がる曇天と荒れた海、少しだけ明るく光の差した水平線。

そして鳥のかたちに切り取られた青空が絵の中心で羽ばたいている。


ぐっと、こらえた。

すごい。力強くて穏やかで、希望があって優しい。


三十人の生徒たちが魅入られた。静寂が溶かしきれないほどのさまざまな感情が渦巻く。


どれほど時間が経っただろうか。先生はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「これはね、ルネ・マグリットという人の大家族という絵なんだよ。俺は何度もこの絵に励まされた」

いつもと違う一人称、過去を見つめる細められた目。

もう連絡を取る術はないけれど、僕はこの先生が大好きだった。




その後僕は順当に扱いづらい子どもとして成長し、大人を敵対視してみたり縋ってみたりを繰り返しながら高校を卒業した。

県外で一人暮らしをしていた大学生のとある夏、どのような経緯だったか覚えていないが京都でルネ・マグリット展が行われることを知った。

これは行かねばと早朝五時に家を出る。財布の中が空っぽで、これでは新幹線に乗れない。僕が使っていた地方銀行のATMもまだ使えない。

道端でどうしようかと思案しているとコンビニ夜勤明けの友人が現れ三万円貸してくれた。土産は茶団子を指定された。

そのとき京都で他に何をしたのかは覚えていない。二泊くらいしたと思うが、初日の美術館しか記憶にない。

美術館で順番に絵と説明文を見て、いちいち関心を奪われながら時間をかけて順路通り歩いた。

そして最後の通路を歩いていて、はっと息を飲んだ。

一番最後に、大きく、青空の鳥が翼を広げていた。

幼い頃心を奪われたこの絵に会いにくることができるくらいに大人になれた喜びと、改めて感じる絵の素晴らしさと、実物の油絵としての迫力とで胸が苦しかった。

苦しさを逃すように息を吐く。安らぎに似た涙が溢れる。

あの頃の僕に教えてやりたい。いつかその絵の実物を見ることができるよ。好きだったものを追いかけられる自分になれるよ。

絵の向かい側の壁際に寄り人の流れを避け、どのくらい見つめていただろう。

数歩先にいた出口を案内してくれる女性も案内の声を止め、僕をそっとしておいてくれた。柔らかい時間の流れ方だった。




幸せにも希望にも様々なかたちがあって、だからこそ追い求めるのが難しい。

それを自覚できないまま暗闇の淵にいた当時の僕に、一羽の青い鳥を見せてくれた先生には感謝してもしきれない。

H先生に伝わるといいな。先生、本当にありがとう。





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01/09 前編のリンク漏れを修正しました。



大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。