言葉が空気にふれるまで
ポップコーンの香り、人混みとざわめき、鮮やかな言葉の踊るポスター。
映画館の何が好きかと言われると「全て」と答えてしまうのだが、因数分解しようとするとどこまでも小さく分けられる気がして素数が遠く感じる。
本気でその道を志した人々が細部まで突き詰めて技術を総動員した作品をたった二千円ほどで見られるのだ。映画館には存続してもらわねばならないので今回は軽い夕食を兼ねて、いつものドリンクに追加でホットドッグも注文することにした。
「いや、久々だな映画館」
「そうだね、十月以来かな」
「師も完走目前だよ。今年早かったな」
「師はマラソンしてたのか。元号変わったのもあってなおさら短く感じたな」
「たしかに、元号の変わり目は年末年始に似た雰囲気があった」
友人と仕事終わりに映画館で落ち合うのも何度目になるだろうか。大学の同期だった彼とは別々の会社で働いているが、月に二度はこうして映画を観る仲だ。
お洒落で賢くてムードメーカーの彼と、内向的で友人の少なかった僕。
どうして一緒にいるのか今でも分からないくらい似ていない二人だった。
観たい映画の入場まで少し時間があるから、ロビーでホットドッグを食べることにした。カウンター席は椅子が少し高いし背もたれがなくて落ち着かない。でもそれがまたいい、凡人にとってお洒落とは背伸びをすることなのだ。
「昨日職場で先輩にあだ名をつけられたんだ、ミスターメルヘン」
彼は困ったように眉間にしわを寄せ、頬張ったホットドッグを飲み込んだ。
「おお、それはまたなんというか可愛いあだ名だな。お前何したの」
「すごくお洒落な先輩で、長い髪も綺麗にくるくるしてる先輩なんだけど、なんか爪に塗ってるなって気になってたんだ」
「ネイルしてる人はオイル塗ってるよな」
「そうそれ。その先輩が使ってたやつがお花が中に入ってたから、『いつも塗ってるお花の蜜みたいなやつってどんな効果があるんですか』って聞いた」
花の蜜、と復唱して目元を手のひらで隠す。笑っている口元は隠せていない。
「ネイルしてると乾燥しやすくて、この季節は特に大変だから塗るんだって。お花は飾りだそうです」
「花の蜜……」
「乾燥対策かぁ、って話してその日は終わったんだけど、今朝その先輩がはちみつ成分入りのリップくれた」
「お、良かった良かった。可愛がられてんな」
「メンズ向けの化粧品とか美容液もいろいろあるよって教えてもらいました」
「暖房の乾燥やばいもんなー、GATSBYの化粧水だばだば使ってるわ」
「へー、いいの?」
「コスパが最強だから冬は気兼ねなく使いやすいかな、お前はニベアが似合うなイメージ的に」
「ニベアね。見てみようかな」
「せっかくならその先輩と一緒に選んでもらえば?」
えー、と返事してホットドッグを食べる。マスタードが効いていて美味しい。
「お前が話しかけるくらいならある程度仲いいんじゃないの」
やたらぐいぐいくるなと頬張りながら答えると、だって珍しいし、と彼はコーラを飲む。
「特別仲がいいわけではないけどコミニュケーションって大切だな、と思って話しかけてみたんだよ」
「へぇ、なんでまた」
君のコミニュケーション能力が優れているから影響を受けたんだよ、とは言いたくない。
「僕は脳みそから口までが遠いから訓練しようと思って」
彼の冷たい目が少し見開かれる。君はこういう言い回しが好きなんだろう、知っているさ。意見を聞かせてくれ。アドバイスをくれ。
「思ったことを言葉にするのに時間がかかるってこと?どの工程に時間がかかってると感じるの?」
「んー、このタイミングでこの発言はどう思うだろうおかしくないかな、のステップでまず一分かかって、一分の間に状況が変わっているから悩んだ通りそのタイミングでその発言はおかしいものになってしまって結局声にならず終わる」
「発言をどう思われるかまで操作するのは欲張りな気もするな」
「欲張り?」
「俺の発言をお前がどう思うかはお前の自由だろ。俺はそこまで介入したいとは考えてない、って思ったけど、なんか少し違う気がするな。なんだろうな」
「あー、自分がどう思われるかというより、相手が不快な思いをしないかに近いかな」
「俺はそうそう不快になることないけどな。うーん、年末年始の過ごし方を聞かれるとめんどくせえなとは思う、『家族に顔見せないと寂しがるよーあなたの親は可哀想』とか言ってくる人なんなのまじで、俺が顔出した方が空気悪くなるんだよって言う」
「え、言うの」
「言うよ。俺の恋人に変なこと言ったから大げんかしたんです〜言い返したら親は俺を殴りましたし、俺は親を殴り返してあげませんでした。俺の親はたしかに可哀想ですね、って」
つよい、と呟くと彼はコーラが弾けるように笑った。
「メンタル強いのってストレス受け取った上で本当に強い人と、俺みたいに配慮がないというか気にしない人間と分かれるじゃん。お前と俺は違うタイプだろうな」
「君は配慮がないというより、敵判定したら容赦ないの方がしっくりくるな」
「あー、傷つけられたら牙をむけ、ってね」
「お、殴りに行くのか」
行かねーよ、と彼はもう一度弾けるように笑った。
「なんというか、君にとっての年末年始の話題みたいに人それぞれ触れられたくない話題ってあるじゃん。僕はそれを考えて発言したいけどすごく時間がかかる」
「ある程度相手のことを知っていけば話題選びも楽になっていくんだろうな」
「そうだね。そのためには会話するのが一番だよなぁ」
「相手を観察する、とかも興味の示し方でしょうよ」
なるほど。観察はあまり考えたことがなかった。大切なのは相手への興味なのかもしれない。
「まぁでもお前は素でも優しいからそんなに気にしすぎなくていいよ。少なくとも俺はお前に何言われてもそこまで不愉快にはならないし」
「それは君が僕の言葉を待ってくれるから、ゆっくり話させてくれるからであって」
「お、入場だ」
ここで僕たちの観る作品についてのアナウンス。
僕が優しいんじゃなくて、君がのろまな僕を待ってくれるから優しい言葉を選べるんだよ。どうしてここで待ってくれないんだ。
彼は僕の彼に対する言葉に興味がないのかもしれない。彼は彼自身に興味が薄い。そういうさっぱりしたところも彼が人気な所以なのだろうか。
「……楽しみだね」
「絶対面白いだろ、やべー、テンション上がってきた」
すたすた歩いて行ってしまう彼を追いながら、食べ終わったホットドッグの包み紙を折りたたんだ。
***
CHAGE and ASKA『YAH YAH YAH』作詞・飛鳥涼
先日他県の大きな映画館に行きました。メニューがお洒落でびっくりした、ポップコーンが凝ってたしカクテル各種勢揃いでした。
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『君と僕との酸欠日記』シリーズ更新日でしたが年末年始にあたり更新の入れ替えを行っております。
普段は水曜19時と土曜10時の更新ですが、年末年始は曜日に関わらず朝10時更新に変更予定です。
『酸欠日記』シリーズについては年内に1話、年始に1話更新で調整中です。
大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。