音大教授のお宅訪問&レッスン
夏休み、リエママのお姉さんであるソプラノ歌手の先生から、“とても信頼できる教授″を紹介しましょうと言われ、ついにその日がやってきた。
地方だろうが何だろうが音大は音大だ。
母と新幹線に乗り、私は高校の制服を着用し、楽譜一式と、母は手土産をたくさん用意していた。
大学の教授の家ってどんなんだろう…夏休みに行ったソプラノ歌手の先生も東京の有名な音大声楽科の教授だった。すごいマンションだったな…どうしよう、ドキドキする。
ソプラノ歌手の先生が先に手を回して、私たち親子を紹介したい事など色々と話してくれていたようだ。
新幹線の駅を降りて在来線で2駅、観光地で有名な街だった。駅前に三越がある…良かった…地元より都会だ…第一印象がそれだ。
教授宅への行き方は、母が電話で聞いていた。駅から徒歩10分、マンションが見えてきた、ココだ。
ピンポンを鳴らしオートロックをあけてもらい、ドアの前でもう一度ピンポンを鳴らすと、作曲家のビゼーそっくりの背の高い教授と、飼っているマルチーズが飛び出てきて驚いた。
母も私も教授と面識は一切ない。
ただソプラノ歌手の先生の紹介、というだけで遠路はるばるここまでやって来たのだ。
丁寧に挨拶をし、ソファにかけるよう言われた。
目の前の洋室にはグランドピアノが2台並べて置いてある。テレビでしか見た事のない光景だ。しかも右側のピアノはスタインウェイだった。
教授は挨拶もそこそこに『なんであの先生とお知り合いなんですか?』と母に尋ねた。そんな事、ソプラノ歌手の先生から聞いていたのだろうが、『どんなご縁でお知り合いなんですか?』と再度聞かれた。
どうもそこが気になって仕方ないらしい。
母は『元々妹さんの方(リエママ)と同級生で、あの先生のご一家がたまたま今私たちが住んでいる所に数年間住まわれていて…』とつらつらと述べている。
教授はどうも“腑に落ちない″という顔をしている。
『そうですか…。僕は基本、短大の生徒は門下に取らないんです。でもあの先生のご紹介でしたらね…』とビゼーが生やしているような髭を触りながら教授は答えた。(以下ビゼー教授と呼ぶ)
ビゼー教授は犬と暮らしている様子だった。
とりあえず何はともあれ、持って来た曲を弾いてみろと言われた。私が使用するのはもちろん左側のYAMAHAのグランドピアノの方だ。
弾き終えて教授がひと言、『コレいつ弾く予定なの?』と私に聞く。
『年末にある発表会です』
ビゼー教授は、何かとても言いた気な表情をしている。急に怖くなった。
『…スケルツォね…君にはまだ早いと思うよ…でも発表会で弾くんなら、とりあえずみましょうか…』
そう言われ急に恥ずかしくなった。
スケルツォ2番、最初の4小節の入り方、弾き方だけで1時間経った。
いかに自分がいい加減に、適当になんとなく弾いていたか思い知らされた。
高校生なので1時間1万円でいいですよ、と母に話していた。東京の有名な音大の教授の中には1時間のレッスン料金が3,4万するとも聞いていた。それに比べたら良心的だと母は言っていた。
とりあえずまだ高2なので不定期で2カ月に1回、高3になったら月1回レッスンに通うよう言われた。
レッスンに通う=毎月新幹線に乗って先生のお宅まで習いに行くという事。5万弱かかる。
次回は2カ月後だ。
音大のピアノ科で特定の教授に師事したいと思う者は、あらゆる手段を使って“入試までに″コネクションを築いておくんだ。
入ってからでは遅い。
どの先生でも良いと思う人は、入学してから色んな先生に振り分けられる。ただ教授クラスの門下生になるというのは、非常に狭き門である事は分かった。各学年から毎年7人しか取らないとビゼー教授は話していた。なので短大からは本来門下生はとらないと。
そのため高校生、もっと前からその教授に師事し、遠い者は飛行機で毎月レッスンに行く。
毎月のレッスンにかかる費用、1時間1万円+往復の新幹線代。
地元の先生にも同時並行でみてもらう。
こりゃ大変な事だ…特に地方から東京の有名私立音大に入り、特定の教授に師事したいと考える人は、入学するまでに1年間の学費分くらい余裕でふっ飛ぶ。資産家じゃないと地方から東京の有名私立音大なんてハナから無理だ。
私立の音大の学費は、医学部のおよそ3分の1の、美大も同じくらいかかる。一般私立大のおよそ2倍の学費、防音つきのマンション、グランドピアノ、楽器、生活費…とても贅沢な事なんだ。
このビゼー教授もソプラノ歌手の先生も母より少し年上である。2人とも一流の音大を出てヨーロッパに留学し…考えただけでめまいがするほどお金持ちの人たちなんだ。
ビゼー教授はまず地元の国立大学に4年行き、卒業してから東京の有名私立の音大に入り直したと聞いた。その後に院、留学コースだ。
地方出身の3人兄弟の末っ子のボンボンであった。
私の初めての音大教授のお宅訪問&レッスンは、こちらの身辺調査と大学に入るまでのレッスンの計画、スケルツォ2番の4小節で終了した。
とても緊張したし、今まで会った事のない人種の人だった。
後々のレッスンで、曲の入り口、4小節、8小節だけで1時間のレッスンが終わることはよくある事だった。
姿勢、手の置き方、曲に入る間の取り方、1音1音の弾き方から、教授の思い通りの音になるまで繰り返し繰り返し行われる。
それと次回のレッスンから“先生用の楽譜″をコピーしてテープでとめて一枚につなぎ、レッスンの最初に渡す事を教わった。そこに色えんぴつで教授のチェックが入ってゆく。
教授は忙しい、多くの門下生やお弟子さんを抱えている。それもある一定以上の難しい曲ばかり。なので一人ひとりにそうするよう躾けていたのだ。
それはビゼー教授だけでなく、他の教授や厳しいと言われる先生にも共通する常識であった。
新幹線で帰宅し、母は早速リエママに報告とお礼の電話をしていた。ソプラノ歌手のお姉さまの方には後日、お礼の手紙と贈り物を手配していた。
高2の2学期くらいになると、だいたい皆がどこの大学を希望しているのか、なんとなく分かってくる。
音大を志望していたのは私と隣のクラスのチューバの女子のみであった。
音大というものは、入ってからも大変だが、入るまでも大変だ。
当時母が信仰していた宗教は、大学進学をとても反対していた。
理由は『この世の知恵がつくから、サタンの罠にはまるから』。進学校でとても成績が良く、国公立大学でも余裕で入れそうな子でも、親の考えひとつで高卒のまま就職せずに、“その道″に入り込む人も多くいた。
母は自身が祖父母に東京の私立四年制大学に行かせてもらい、大学生活でしか得られないものを自身で体験していたので、私の大学進学には反対しなかった。むしろ女性でもきちんと高等教育を受けるべきだと言う派の人間であった。
会衆の中では少なかったかもしれない。
そこは母の眼はとても開けていたんだろう。
親の考えひとつで子どもの進路先が変わるのは今も昔も同じである。そういう意味では母にも祖父母にもとても感謝している。
教育というものは身につけておいて損はない。
とりあえず『スケルツォ2番は君にはまだ早い』と言われたが、それなりに頑張ってみよう。高3になると、好きな曲や弾いてみたい曲など選んでいる時間も余裕もないのだから。