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ボーカルと評定

バレンタインも終わり、3学期とは早いもので音楽の授業の“創作活動の発表の時間″が2学期同様行なわれた。

今回はジュディマリの『クラシック』を友美がドラム、しおりんがエレキギターパートをシンセサイザー、ベースをみっきー、人数は2人減ったが本来のジュディマリの構成に近い。 

練習時間は短かったが、2学期の『そばかす』に比べるとバンド部分も易しく、ボーカルの私を除けば何とか仕上がっていた。

吹奏楽部を強制退部になった私たちは大型のアンプから1番小さいアンプに変えるよう元顧問教諭から言われていたのだが、それも仕方がない。
2学期は何も言われなかったのに、元顧問からの『音がうるさい』という理由だけで、ほぼ嫌がらせみたいなモンだったが、1番小さなアンプに繋ぎ、練習した。


人生で一度でいいからボーカルをやってみたい!(と思った事がある方も割と居られるのだはないだろうか?)と思って練習をしていた私だが、元々声量があまりない&緊張する、当日は紅白歌合戦の昔の演歌歌手同様、フッと記憶が飛んだ時のため、手のひらに小さく不安な部分の歌詞だけを書いていた、何かあったらチラ見すればいい。


カラオケで歌うのは大好き、中学校までは歌のテストを1人で独唱する事も大好きであったが、生バンドでエコーがかからない“生うた″を歌うのに苦戦した。
カラオケはエコーの効果があるし室内も暗い、メンバーはいつも決まったグループの女子であり、緊張もしない。

歌のテストは中学校までは、1人ずつ音楽の先生の横に立って独唱スタイルだったが、文部省唱歌がほとんどで、皆恥ずかしがっていたが、小学校の時の合唱部のスタイルをそのまま貫き通せば良い。『上手く歌うより、音程をきちんと取り、できるだけきちんとした発声で一生懸命に歌う』事を意識すれば、それなりに評価された。

しかしポップスの歌い方は、それとは全く別モノであり、ボイストレーニングにも行った事がないので、そのまま自力で歌うしかない。


何よりボーカルというものは、クラスメイトたちの前で一気に視線を浴びる(しかも音楽室なので至近距離)が1番不安でもあり、自分に自信がなかった私にとってやはり緊張するものであり、それを消し去るために“自分の世界に入り込んで歌う″のが1番だと思った。

自分の世界に入り込む…とは、まさに目をつぶって耳の辺りに手を当て、バンドの音を聴きながら、マイク片手に“入り込む″作業だった。

『クラシック』は、しおりんの弾くシンセサイザーの4音を聴いたら即、歌に入らなければならない。

めちゃくちゃ緊張した。緊張し過ぎてほとんど目をつぶったまま歌い続けた。音に集中するんだ、この高音パートは外さないように丁寧に…


『今アツイ 今アツイキセキが〜♪』


間奏の時目を開け全体を見渡したが、2学期のとき、学年の人気女子聖ちゃん&メグちゃんが2人組ボーカルでやった時のようなノリは全くどこからも伝わって来ない、皆それぞれのパートをジーッと凝視しているという雰囲気だった。

また目をつぶって自分の世界に入り込み歌って何とか終了。拍手も普通。
2学期の時のような高揚感は、同級生の誰からも感じられなかった。

これぞ自己満足!!


後で仲の良い男友達に聞くと、高い声のところしかハッキリ聴こえなかったよ、と言われ図星をつかれた。


おそらくだが『なんでハッシーがボーカルしてるんだろう?そういうキャラだったっけ?』という顔をしている者もいた。


そして中学の部活の放送部で、練習中自分の顔がテレビ画面に映ったときのあの落胆…


やっぱりバンドのボーカルって、声量があって歌が上手い素質がある人、もしくは歌唱力をカバーできるだけの容姿、カリスマ性が必要なんだ、これだわ!


まぁ想像通りだ。
自己満足。カラオケでもステージでもなく、音楽室という狭い空間で、皆の前で歌えただけでもよかろう!


そして思い出した…音大の教授を紹介してくれた、リエママの姉であるソプラノ歌手のお姉さま、色んなバンドのボーカルたち…
すごいなぁ…ピアノはお客さんから見ると横を向いて弾く、歌は皆の方角向いて歌わなきゃならないもんなぁ…ゆるぎない自信が必要だ…。


私はと言えば、自分の世界に入り込むため、片手で耳を塞ぎ、目をつぶり、、その数年後に出てきた宇多田ヒカルの『Automatic』のPV同様、中腰で歌っていた。

おそらく滑稽に見えただろうな…と1人にやけながら、それはそれで面白いかな…なんて。
友美たちとダッシュでドラムやアンプの片付けをした。

何はともあれ人生で1度だけだが、ボーカルの気分を味わえただけ、友に感謝しかない。


これからはバンドを組む事があっても、ドラムやギター、そちら方面にいこう、ボーカルは私には向いていない…。


さて、3学期の評定…これまでずーっと音楽だけは、5段階評定のうち5しか取った事がなかった。
初めて見る“4“という数字。



やっぱりな…当てつけだ。
学校に1人しか居ない音楽の教諭は、私たちに吹奏楽部を強制退部の紙を渡してきた張本人だ。
音楽の授業だけは、他の誰よりも真面目に受け、テストも90点以上しか取った事もない。


音大に進学する者が、それがどれほど影響してくるのか、教諭本人が1番分かっているはずだ。


私だけでなく、友美やその他強制退部になった子は、皆1段階ずつ評定が下がっていたと話していた。



ま、吹奏楽部を強制退部になったのは仕方ないが…『授業と部活を公私混同するな!』


先生も人の子である。
納得がいかなくても仕方ない。


3年生になっても4から5に上がることは2度とないだろう。
こうして、先生の機嫌ひとつで評定が変わるんだな…このやり方は卑怯だと思ったが仕方ない。


というより、もう1教科稼げる科目をつくらなければ…思いついた。アレしかない。


数学で足を引っ張らないよう、何とか努力をし、3年生になったらアレに全力を尽くそう、と心に決めた。


意外なことに、社会科はこの頃日本史であったのに4がついていた。
大学生になってから、それまでに小論文を書く癖を生徒につけさせるためと、その先生は一問一答や記号問題ではなく、記述式の問題が多かった。

文の書き方はおばあちゃんに感謝だ。


そんなわけで高2は終わろうとしていた。



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