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見つかったエロ本とチョコレート戦争

2か月間複雑骨折をして入院していた母が退院となった。複雑骨折の原因をつくってしまった祖父は、母に1番上等なフランスベットを買った。それがせめてもの償いだったのだろう。

退院したと言っても両脇に松葉杖で、マンションの階段を3階まで上がるのにとても苦労した。『そんな事になるから2階にしておけと言ったのに…』と母を骨折させた祖父が言う。私は心の中で、どの口が言ってんだ!と内心怒っていた。

母は3階まで20分くらいかけて上がりきったら部屋に入り、新しいフランスベットの上に腰かけ、そこから動かなくなった。退院初日から私は母の代わりに食事の用意から家事全て、隣のスーパーで買い物をする事になり、自由だった2か月間の生活はついに終わりを告げた。
3階から1階まで降りるのは通院の日だけ、経理の仕事は自宅のパソコンでしていた。母は例の宗教の集会にも行けない、一日中家にいるわけだ。

普通の家ならお母さんが家にいるのは嬉しい事なのかもしれないが、私にとっては地獄のような生活が待っていた。
母は会社の人に色々書類を持ってきてもらったり、市川姉妹や色んな兄弟姉妹たちが心配してお見舞いにきてくれた時はとても機嫌が良い。しかし誰もいなくなると、一日中家に居て松葉杖で生活する事になった母のストレスは日増しに溜まっていく。今の時代のようにネットもない、大好きなデパートにも行けない。矛先は私しかいない。

母は私を下女のようにこき使った。というより下女だ。機嫌が悪いとベットの上から怒鳴り散らし、時には松葉杖で私を殴ってくる。掃除も洗濯して、ご飯作って!私はこの足のせいで動けないんだからアンタがやるのが当たり前と言い、私に対する監視の目も更に厳しくなった。ピアノの練習時間も長くなり、ちょっとでも間違えたりすると容赦なしに怒号が飛んでくる。

家にいる事に耐えきれなくなると、『ちょっと夕飯の買い物してくるわ』と、隣のスーパーに避難し、時間を潰した。母から毎日渡される数千円の中から数百円ずつ抜いては、同時に私もストレス発散として新作のリップクリームや香りの良いシャンプーばかり買っていた。
制服のポケットの中がリップクリームだらけになった。

ある日部活を終えて帰宅すると、母がいきなり怒鳴り散らしてきた。
『何だこれは!お前はこんな物を読んでるのか、気持ちが悪い!誰に教わったんだ!』
見ると男子から借りていたエロ本と、当時母に内緒で買っていた“エルティーン”という当時思春期の女子向けの同人誌(ティーンエージャーたちの性体験などを赤裸々に書いている雑紙)を私に目がけて投げてきた。

しまった!奥に隠してたのに、この人暇だから私の部屋のもの漁ったんだ。
頭の中が真っ白になり、言い訳を色々考えた。

『部活の先輩が貸してくれたけど、興味ないから読んでない(大嘘)』と無表情に母に答え、コレ、先輩のだから明日返してくるわ!と言って翌日速攻男子にエロ本を返却し、エルティーンはその場で母に当てつけるようにゴミ袋に捨てた。

母は“聖書の教え“抜きでも普段から下ネタなどをものすごく嫌う、ラブシーンが出てきたら速攻チャンネルを変えるような生真面目なところがあった。男子の話も、母の前、いや祖父母宅でも一切話した事はない、いわゆる“真面目ちゃん”を私は演じていた。
いつの間にか、自分が大嘘つき野郎になっていることに気づいた。学校でのふざけた下ネタだらけの自分、母の前で演じる“ピアノを上手に弾き親の言いつけをよく守るお嬢様風”、祖父だけでない、私も明らかに別人の顔を持つ二面性を知らず知らずのうちに身につけていた。

まさか自分の娘が、まさかこんなふしだらな物を読んでいるとは思いもしなかったんだろう、半狂乱になって怒り狂い(この時幸いにも松葉杖で足がつけなかったので、私が殴り飛ばされる事はなかった)あらゆる罵詈雑言を私に言い放った。

それと同時に隠していたCDも見つかった。ドリカムと米米クラブは何故かスルーされた。チャゲアスの“SAY YES”の歌詞が気に入らない、こんなもの誰から教わった!こんなもの中学生が聴くもんじゃない!
ジュリアナ東京は別の場所に隠していたのでセーフだった。

それからは前にも増して母の“検閲”が厳しくなった。

祖母に事情を話し、“母にも祖父にも絶対見つからない場所”を2人で考え、母が気に入らないであろうCDや雑紙、漫画などは全て祖父母宅のとある場所に隠してもらった。祖母は優しい人だった。私の事を影になり日向になりいつでも庇ってくれた。

母は2か月くらい家の中だけで生活した。地獄だった。仕事は経理の仕事だから家ですると祖父に言い、祖父もそれを許していた。(骨折させたのは祖父なのだから仕方がないだろう)

私の生活は、まさに天国から地獄へだ。ありとあらゆる自由が奪われ、母の行き場のない八つ当たりの捌け口になった。早く会社に行ってくれないかな…そんな事しか覚えてない。

家で居場所がなくなった私は、学校で友だちと過ごす時間が唯一の居場所になった。少々悪口を言われようが、部活で山根先生にこっ酷く叱り飛ばされようが、家での下女家事労働+母のストレスの捌け口に比べたらなんて事ない。

学校では相変わらず、いつもふざけた事ばかり言う下ネタスピーカー女子で、ミッちゃんの事ばかり考え空想にふけるようになった。

そろそろバレンタインの季節だった。
実は小学校1年生の頃から、毎年誰かに欠かさず男子にチョコレートを渡していた。好きな人がいない年は、友だちに『恥ずかしいからレナちゃんついて来て』と言われ、友だちは本命、私は義理チョコでという設定で2人で同じ男子の家に持っていったりもした。小4の時は、生徒会長だった小6の先輩に憧れ、その先輩の家が祖父母宅から近かった事もあり、自宅まで渡しに行った。先輩は、あなた誰?というような顔をしていたが、『ありがとうございます』と丁寧にお礼を言って受け取ってくれた(VIVA!生徒会長!知らない女子にも礼儀正しい)当然どこの誰だかわからない女子から貰ったチョコにお返しなんてなかったが、私はそれでも満足だった。
自分が好きな人に勇気を出してチョコを渡しに行く!という偉業を成し遂げる事で自分に自信をつけた。

ミッちゃんにチョコを渡す事ばかり考え、たまたまミッちゃんの近所に住んでいた同じ部活の女子と仲良くなり、リサーチしまくった。
何でもミッちゃんの家は毎年チョコを持ってくる女の子が何人もいるから、ミッちゃんのお母さんはバレンタイン前になると、玄関や庭を綺麗にして『今年な何人女の子が来るかしら〜』なんて言っている事、家の庭でニワトリを飼っている事、ライバルのテニス部の“綾”はどうやら手づくりチョコを渡すらしい、ファンクラブ代表の松田さん(ピアノが上手かったのでよく覚えていた)もミッちゃんの家に渡しに行く予定との事…
後で考えると、よくもまぁ中1でそこまで調べまくったと感心するくらい、とにかく自分の“放送部メンバーの人脈”ともっこりーず男子&バスケ部男子情報網を最大限フル活用し、バレンタイン当日の作戦を練った。
中1で初めてだから手づくりは重いだろうと考え、市販の1000円のチョコを購入し、ミッちゃんの好きなNIKEのスポーツタオルを1500円で購入した。しめて計2500円!全てお小遣いから捻出し、中1にしては豪華だったと思う。チョコ+プレゼント付きだ。手紙は書かない事にした。

バレンタイン前はドリカムの“決戦は金曜日”を夜ヘッドフォンにして聴きまくり、当日をイメージする。私にとってバレンタインというものは、ピアノのコンクールよりも“崇高な一大イベント”だった。(それは高3まで続くのだが…)

バレンタイン当日、期末テスト前で部活動停止期間なので、皆早く帰宅する。私は友だちに聞いていた住所を片手に45分ほど歩いてやっとミッちゃんの家を見つけた。同じ名字が近所にたくさんあって迷ったが、友だちの情報通り庭にニワトリがいたのでココで間違いない!ニワトリにも感謝!
いざ、決戦だ。緊張してピンポンを押すと、ミッちゃんのお母さんではなく、いきなりミッちゃん本人が出てきた、これは想定外だ。
『あ、あの…コレ…』しか言えなかった。
ミッちゃんとは同じクラスだったが数回しか口を聞いたことがなかった。ミッちゃんが女子とほとんど口をきかないクールなタイプだったのと、普段は下ネタ大好きお喋り女子の私は、他の男子となら下ネタでも何でもいくらでも話せるのに、本当に好きな男子には恥ずかしくて話しかける事もできない、shyガールだったのだ!(小声)

ミッちゃんは、まさか同じクラスのうるさい女子の私がチョコを持ってくると思っていなかったのだろう、大きい目を余計見開いて、キョトンとした顔をしていた。5秒くらいお互い無言になって沈黙が流れる…我にかえったミッちゃんは『ありがとう』とボソッと言ってくれた。
恥ずかしくて何も言えなかった。逃げるようにミッちゃんの家を後にし、45分かけて帰る道の間色々考えた。チョコ安っぽくなかったかな?プレゼントのNIKEのスポーツタオルは気に入ってくれたかな、果たして使ってくれるだろうか…悶々としながら祖父母宅に帰宅した。

母には勿論、祖父母にもミッちゃんの家にチョコを渡しに行った事は黙っていた。

祖父には祖母と一緒に選んだウィスキーボンボンをあげた。祖父の棚の上には、接待で使う“飲み屋のママたちからの高級チョコ”が山のように積まれていた。祖父は飲み屋のママたちからの高級チョコは私たちに好きに食べていいと雑に渡してきた。どれも見るからに高級そうなチョコばかりだったが、それらは全て私と祖母と佳子ちゃんの口の中に入った。
私と祖母があげた1000円のウィスキーボンボンは俺が食べると大切そうに棚に直した。

翌日、ドキドキしながら学校へ行くと、男子の一部が教室の隅にかたまり、何やら楽しそうに話している。
どうやら昨日のバレンタインは何個もらった、誰からもらった、と自慢し合う”モテる男子たち”の報告会らしい。そこにミッちゃんの姿はなかった。
ミッちゃんも勿論当時学年でモテる男子のトップ10いや、トップ5には入っていただろうが、そういったモテ自慢をする男子と違って一切そういう事を漏らすタイプではなかった。(そこがまたクールでカッコいい!)
私と目が合っても、昨日起きた事はなかったかのように目を逸らされた。(くぅ〜!ミッちゃんカッコ良すぎて死ぬ!)それで良かった。

ミッちゃんからホワイトデーのお返しはなかった。ちょっとだけ残念だった。たくさんチョコをもらうモテる男子はいちいちお返しなどしないのだろうか。それとも本命の女の子だけに返していたのか未だにわからない。

結果的に“フラれた”事になるのだが、自分の気持ちをきちんと言葉にはできなかったけれど、家までわざわざ届けに行けたことで気持ちは伝わったであろう。それで満足だ。

毎年バレンタインの時期になると胸の中がザワザワする。
思春期の女子にとってバレンタインは(最近はそういう風潮が減ってきて友チョコとやらに変化しているらしいが)まさに一世一代の大イベントであり、ライバルたちと牽制し合ったりする、まさに“戦争”なのだ。少なくとも私の時代の周囲の女子たちの話であるが。

そんなこんなで甘酸っぱい中1は終わり、中2ではミッちゃんとは離れたクラスになってしまった。



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