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ピカピカのマンション

私の住む小さな町に初めてマンションというものが建つらしい、しかも祖父母の家から徒歩3分の場所に。
当時はまだマンションという建物はなく、一軒家の子以外は大きな団地の県住か市営住宅、それかお父さんたちが勤務する社宅というところに住んでいる子が多かったと記憶している。

私の住んでいた県住から小学校まで徒歩約25分、祖父母の家は小学校から歩いて約10分以内。
地方の田舎町だったが、大きな工業地帯があり、転入、転校の割とある中規模の公立小学校に通っていた。祖父母の家は、地方の田舎町の中の都会、分かりやすく言えばとても利便性の良い場所にあった。市役所から徒歩5分、警察署も消防署も近くにあり何かあればすぐ救急車がすぐ来てくれる!(これが1番嬉しい)


何とあのボロボロのゴキブリアパートから、祖父母宅の近所に建つ三階建てのマンションに私たち親子が引っ越せるかもしれない。

理由は単純だ。祖父が祖母に暴力をふるった時に逃げれる場所が近所にできる、祖父母もまた私たち親子が徒歩3分の場所に引っ越してきたら、いろんな面で安心する。ここなら障がい者の佳子ちゃんも遊びに来れる。即決だった。

ただ大家さんが同級生の男子の家の人だ。


マンションの入居審査の時、母の勤務先も年収も保証人もきちんと書いているのに、『母子家庭のあなたがウチの家賃を払っていけるのか?』と大家に皮肉を言われたらしい。
何て失礼な人たちだ、と母は憤慨していたが世間とはそんなものだ。私たち親子がそのマンションに引っ越す事は、直前まで誰にも言ってはいけないと私にも通達された。

当時3LDKの間取りで3階建ての3階の角部屋、駐車場一台込みで家賃は月額55,000円だった。(県住の家賃は確か12,000円だった、家賃は世帯所得によって変動する)マンションの1階は全てテナントで、地元の開業医と自然食品の店が入った。
マンションの隣は大型スーパーがあり、目の前は市民体育館と市民プール、申し分ない立地だった。

小3のある日、引っ越しが終わり晴れて私たち親子は県住のゴキブリアパートから、新築マンションの住人になった。

当時地元に初めてできたマンションだ。祖父母宅の近所の人たちも、学校のクラスメイトも『あんな綺麗なマンションにどんな人が住むんだろう』と皆噂していた。

私たち親子が(しかも母子家庭のレナちゃんちが)マンションに入居した事は、瞬く間に噂になり、それまで『ボロアパートに住んでるレナちゃん』とわざわざ呼んでいた同級生の女子たちは何も言わなくなった。


逆に『レナちゃんが住んでいるマンションってどんなおうちなの?』と多くの同級生が不思議がり、今まで私をいじめてきた女友達もまた、他の友だちと一緒に我が家を『家庭訪問』しに多く訪れた。
母は友だちが家に遊びに来ると大層喜び、当時母が集めていた色んな洋食器の中からお揃いのカップアンドソーサーに茶葉から出した紅茶をいれ、小さなピーターラビットの小皿にレモンを乗せてケーキと一緒に出して友だちをもてなした。
同級生の友だちは非常に驚き、『レナちゃん家に行ったら喫茶店みたいなコップに入った紅茶が出てきた!ケーキが毎回出てくる!』と噂になり、それを目当てに遊びに来る子も居たほどだ。

特に窓際の洋室は、アップライトピアノを置き、母のお気に入りの絵画をいくつも飾り、レースのカーテン、いかにもお嬢様らしい部屋に仕上がった。角部屋だったのでちょっとした出窓があり、そこには素敵なフリルのついたカーテンと私が図工の時間に作ったステンドグラスもどきを貼り、その一角だけ何だか教会の一部をくり抜いたような美しい空間ができた。

祖父母もそのマンションを大変気に入り、桜まつりの時やひな祭りの時は、佳子ちゃんを連れてマンションに遊びに来るようになった。

ただひとつ、佳子がいるのになんで2階にしなかったんだ!と祖父はいつも来るたびに母を怒鳴った。佳子ちゃんは小さい大人くらいの背丈があるので、祖父がいつもおんぶしてマンションの階段をゆっくり上がらなければならない。

後々3階にした事を母自身が後悔する事件が起きる。

そしてもう一つの誤算が、夏になると新築のマンションなのに、なぜかゴキブリが出てくるのだ。私はゴキブリを見るのも嫌で逃げ回っていたのだが、どうやら県住のゴキブリアパートから引っ越す時、電化製品に思いっきりくっついて、ゴキブリも一緒にお引っ越ししてきたようだった。

後に私が一人暮らしを始めて、再々引っ越す事になるのだが、ゴキブリの引っ越しだけは絶対しないよう、徹底した対策をとるようにしている。



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https://note.com/kota1124/n/na9ad57c8d3d4

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