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【診断結果と落胆】

先月末、発達障がいの専門家の先生(水野先生)に診てもらった診断結果が出た。


この記事を書くまで3日くらい、私はイライラとパニックで自分がどうしていいかわからなくなり、しかし試験前なので仕事は詰まっており、仕事に関しては“must″なので、あらゆる面でパニクっていた。
2ヶ月間毎日投稿していたnoteも、書く気が起こらなくなるほど、全てに追い詰められていた。
相方にも八つ当たりして大喧嘩もした。



今朝、居ても立っても居られなくなり、珍しく朝イチで杉浦先生のところへ行ってきた。



水野先生が出した検査結果をもとに、主治医の杉浦先生が総合的な診断結果を出してくれる。


診断結果は、広汎性発達障害とAD/HD、この2つであった。
広汎性発達障害の中に自閉症スペクトラムも含まれる。アスペルガーもありますか?と聞いたら多少あるね、と。


水野先生のクリニックで全てを数値化した表とグラフをもらった時、1番驚いたのはAD/HDの衝動性がMAXに高い数値で出ていたこと。


自分でも何となく気づいていた“衝動性″とこだわりなどの自分の特性。

・何か起こるとそれしか目に入らなくなり、自分の中で“爆発″すると、これまでは薬を酒で流し込んで寝るODを繰り返していた事

・後先考えず、衝動買いをしてしまう事

・〜せねばならないmust行動

・周りの人に対しても同じことを求めてしまい、モヤモヤして人間関係がダメになる事

・自分が決めた事ができないと『こんな事もロクにできない自分は価値がない』と落ち込み、自己肯定感が低下し、そのまま具合が悪くなる事

・人が言っている事を理解するのに時間がかかり、噛み砕いて説明されないと納得できない、自分の中で納得しないとモヤモヤが残る事

・笑ってはダメなシーンで笑いが止まらなくなる事
(例えば生徒の卒業式で教職員は厳粛にしておかねばならないのに、来賓の髪型がおかしくて気になり、そればかりに気をとられて1人下を向いて吹き出しそうになった事。
祖母の葬儀の最中、祖父の認知症の言動がおかしくお坊さんの読経を聞きながら最前列で笑いが止まらなくなったり。
自身の結婚式でお互いの親族紹介の際、博士の言動で笑いが止まらなくなり、下を向いて1人で吹き出しそうになるのを必死でこらえた…など数えだしたらキリがない)常識的に考えたらどれも不謹慎極まりない。ヒンシュクものである。



最初、自閉症スペクトラムとAD/HDかもしれないと杉浦先生に言われた時、何となくそうかも、と分かっているつもりだった。

しかし水野先生のもとであらゆる検査をし、数値化された表とグラフをもらって説明を聞いた時、ショックを受けた。

ショックを受けたのは、自閉症スペクトラムも含む広範性発達障がいでもなく、AD/HDでもなく、あらゆるものが数値化されたそれぞれのIQの低さ。

IQは1種類ではない。
よく我々が小さい頃知能検査なるものを受けた時、IQを目にする事が人生に一度くらいあったりする。

それではなく、様々な分野に分けたIQが載っていた。
そもそもIQが高いだろうと思った事もない。
ほとんどの項目が平均より下。
ワーキングメモリという項目だけ高め。




やっぱりバカだったんだ…母に国語力がないと言われ続け、人並みの点が取れないなら人の2倍3倍努力しろと言われていた事は、こういう事だったのか。


ワンランク落として行ったつもりの公立高校では、日々の授業について行くのがしんどかった。
進学校に分類される普通科は、それなりに平均以上にできる人ばかりなのは当たり前なのであるが、頑張っても頑張っても、ある一定以上成績は上がらなかった。


中学の頃は考えた事もなかったが、母の超絶スパルタ教育がなければ、きっと進学校に入る事すらできなかっただろう。

“人並み″になるために、できないのなら人の2倍3倍も努力しろ!
この呪いの言葉が、クリニックで、家で、仕事へ行く地下鉄の中で何度となく聞こえた。


それと、自分はもしかして境界知能、いわゆるボーダーとかグレーゾーンと呼ばれるものではないか、もしかして自分は軽度知的障がいなんじゃないかと、気になって気になって夜も眠れなかった。
というのも、小さい頃から『お前はバカだ、頭が足りない』と言われ続けていた。



水野先生も杉浦先生も、それはない、違うと答えた。
私を慰めるための嘘をつかれてるのではないかと思い、しつこく何度も聞いてしまった。



教職員時代、特別支援の二種免許を取ろうとした際、発達障がいやそれにまつわる事は全て勉強した。
免許状を取り、特別支援学級の担任をしたり、補助で授業に入ったりする中で、自分もこの中のどれかに該当しそうだなと思っていた。 

家庭教師もピアノ講師も、仕事をする中でそれらの特性を持ち合わせた生徒にたくさん出会った。


広汎性発達障害の中に自閉症スペクトラムとアスペルガーが含まれる事も、AD/HDやLD(学習障害)などのいわゆる発達障がいと知的障がいが全く別の種類である事も理解していた。
それらの障がいが重複する事も多々ある。

知的レベルに問題はないが、何らかの特性を持ち、集団生活に馴染めず生きづらいこと、不登校になったり、引きこもったり、自傷行為をしたり、数えきれないくらい転職を繰り返したり、普通の人ならしないであろう突拍子もないことをする、というのをこの目でたくさん見てきた。


自分もいくつか該当する事があるのも自覚済みだ。




私は今更この年になって、自閉症スペクトラムを含む広汎性発達障害とAD/HDの診断が降りた事にショックを受けたわけではない。

元々の自分の“能力の低さ″にショックを受けたのだ。専門医の元で検査を受け、数値化されているので科学的に証明されたわけだ。


今朝、杉浦先生のクリニックに朝イチで駆け込むまで、イライラしてはパニックを起こしかけ、それらに自分がほとほと疲れては1人で涙した。


先日、水野先生から表をもらい、夕方からの仕事に行くまでの間、居ても立っても居られなくなり、近所のスーパーに寄ってブランデーの小瓶を手に取り、今から帰ってコレと薬を一気飲みしてODをして寝て忘れよう!
今日の授業はキャンセルだ!!と1人で怒り心頭し、ブランデーの小瓶をレジに持って行きかけたとき、


『コレだ!きっとこの事だ!これが私の衝動性なんだ…』とやっと気づいた。 

何もかも投げ出して家に帰ってアルコールと一緒にODして眠ってしまえば、いくらか頭はボーッとするが眠る事が1番の薬になる事を自分自身が1番よく分かっていた。

でもダメだ、これが私の衝動性なんだ…これをやったら今までの私だ、その後にくる壮絶な後悔の念、自己嫌悪と闘わねばならない。
悔しいが、生まれて初めてブランデーの小瓶を元の棚に戻した。




何故ここまで落ち込んでショックを受けたかと言うと、現在の仕事、特に家庭教師は中学生に勉強を教える仕事であり、主に英語がメインだが、テスト前になると5教科+サービスで音楽もみることにしている。

生徒の中には、何もしなくても国語がとてもでき、英語だけ大嫌い、国語力が抜群に良い者もいる。


要するに、私みたいなのが生徒に勉強を教える事自体、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
それも高額案件ばかり。
(過去記事:音楽では食っていけない厳しさ&家庭教師の仕事参照)

こんな私が高額案件の仕事を請けてもいいのだろうか?

地頭の良くない先生に教えられて、生徒がかわいそうじゃないか?

何より保護者は、通常より高いお金を出して、大学生のバイトではなく社会人プロ案件を会社に依頼しているのに、私みたいなポンコツ講師が行っている事を保護者が知ったらどんなにガッカリするだろう…。

私が勉強を教える事が果たして適正なのかどうか…一気に自信をなくした。

これまで地道に一つひとつ積み上げてきた大きな積み木が、私の中で大きな音を立てて雪崩を起こした。


『中学生に英語教えれるなんてすごいね!頭いいんだねー!』→

『いや、長年やってたら毎年同じことの繰り返し、誰でもできる。
私より英語ができる人なんて世の中に数えきれないほどいる。ネイティヴ英語は喋れないし、英会話はできない、話せてもカタコトだよ。
単に母の超絶スパルタ教育を受けたから、何故ここがこうなる?っていう“分からないところが分かる″だけ。
中学で習う英文法なんて基本的に40年前とほぼ変わらない。
中1はbe動詞と一般動詞の使い分け、3単現のs、ちょろっと助動詞、3学期に過去形、中2は過去形と未来を含む助動詞、不定詞に比較、受け身、中3は現在完了…。
全部決まった法則のルーティンなんだよ。
毎年同じ事の繰り返しだから嫌でも覚えるの。
それを事細かに説明してるだけ。
それも英語がスペシャルに嫌い!っていう子が私の主な生徒さん。難しい英語は教えれない。
中1英語のアルファベットからまず書かせるの、筆順から。そこからスタートだよ?
元々良い成績を更に上げるための家庭教師とは全く別モノなの。だから私じゃなくても、英語が嫌いでなければ誰でもできるの。』


これまで何百人か忘れたが、皆同じ質問をするので同じ事を答え続けた。

全部ルーティンなの、それだけ。
小さい子どもに説明するように、ゆっくりと細かく噛み砕いて教える、それだけ。

自分が中学生だった頃の点数と、自分が持っている生徒たちの点数を見て、驚いた事は何度もある。

高校時代のミナのように、国語や古典が抜群にできる生徒もいる。私が教えれる事なんて何もない。

中学英語と公民、政経倫理、その分野だけまぁ何とか教えれるってくらい。
それもやらなかったら忘れてしまう。

理数ができる人の方が、私からするとよっぽどすごい。
私は基本的な問題までしかできない。
証明や二次関数とかになると、家でしこたま予習して勉強して行かなきゃ教えれない、無理。
分からなかったら叔父の博士の家に行き、習い直す。


だから診断が降りた今、とても混乱し、果たして自分がその仕事を請けていいのかさえ分からなくなった。生徒に、保護者に申し訳ない気持ちで心が張り裂けそうになった。

昨日なんか、家庭教師協会に電話して、『自分はこのような診断がおり、IQも平均より低い、生徒さんに申し訳ないから辞めます』と電話をしそうになった。

それくらい自信を喪失し、元々低い自己肯定感が更に低くなった。


今朝、杉浦先生とのカウンセリングで、薬の一部が変更された。
AD/HDの衝動性やイライラを抑える薬を朝と夕に2錠ずつ、プラス睡眠薬はこれまで通り。

私の鬱っぽさや気分変調、不眠は、幼少期から繰り返された暴力やトラウマによる2次的なものだと言われた。

新しい薬に慣れるまで、副作用でムカムカしたり気持ち悪くなる、ちょうど痩せようとしていたところだ、食べれないくらいでちょうどいい。
なので最初は軽めから、徐々に量を増やして行こうねと言われた。



noteを書きはじめてから約2ヶ月経ったが、ビューが1.3万くらいまで増えた。


これを教えてくれたミレイちゃんに
『私国語力ないんだよねー』と話したとき、

『国語力と“読ませる力″は違うんです、だから自信を持って書いてください』と言ってくれた。

ミレイちゃんは心の根っこが優しい。
私より遥かに年下の彼女を最初見たとき、自分と同じ種類の人間かもしれない、若い頃の私によく似ている…と勝手に思い、私から声をかけた。

うまく言葉にできないが、ミレイちゃんとは同じニオイがした。感覚がすごく似ているようにも感じた。
生い立ちも少しばかりだが、似ていた。初めて自分に妹ができた気分になり、私は嬉しくてすぐに相方に話した。
今月は仕事が忙しく東京に行けなかったので、来月ミレイちゃんに会いに行こう。


また、中学、高校、大学時代の友だちも私のnoteによく登場するので連絡をとり、皆忙しい中読んでくれている子もいる。
それらの友だちや、ピアノ界隈で知り合った“博識ハルキスト″くんに、言われて気づいた。

『よくそんな細かい事まで覚えてるね…日記とかつけてたの?記憶力いいね…』

いや、日記なんて遊びで書いた事はあるが、日記を書く習慣はない。


私はnoteで過去の自分を書くとき、その当時聴いていた曲を流していると、記憶が蘇ってくる。
皆もそんなことはないだろうか。

この時こんな感情だったな、この人がこんな事を言ったな…良い事も思いだしたくない過去も、全て音楽とリンクして、当時の記憶が映像としてそのまま頭の中に流れてくる。

夜中に当時流行っていた曲や、自分が好きだった曲を聴くようにすると、あれも書かなきゃ!コレも書かなきゃ!と一時が万事そんな状態になる。
すべては音楽とセットだ。

その記憶力が、検査結果で出ていたワーキングメモリというやつに関係していると聞いた。


IQはその人の本来の素質を表す単なる数字であり、IQが高くても努力をしなければ落ちこぼれる。
叔父の博士は、教科書や地図は一度見たら大概覚えると言っていた。そういう特殊能力みたいなのを持つ人もいる。
博士は実家が貧しく、男三兄弟とも自力で国立大学に行った。工事現場や解体作業、清掃のアルバイトをしながら学費を払った。家に勉強机がないので、ミカン箱をひっくり返して勉強した。

貧しくてもへこたれず、努力し続けて研究官になった。その代わりお喋りは大の苦手だ。
適材適所というのが1番しっくりくるような人だ。



元々運動神経が良い人は、そこまで努力しなくてもひと通りの競技はできちゃったりする。

音感が良かったら、ソルフェージュを習わなくても耳コピができたりする。感覚のセンスがあれば音楽的表現もそう難しい事ではない。

私の専門分野で言うと、曲を弾くときのルバート(緩急)のかけ方。
誰に習ったわけでもなく、ここはこう弾いた方がいいだろう、ペダルはココで踏み替えた方が綺麗だろう、勿論習った事もたくさんあるが、ほとんど感覚でやってきた。

IQも全く同じ。数値が高い人がいきなり外国語を話せるようになれるわけではない。

運動神経が良い人がいきなりサッカー選手になれるわけでもないし、音感がいいだけでピアニストになれるわけではない。


だから、人よりちょっとできる部分があるからと、その能力に甘えてはならない。
努力が99パーセントとはよく言ったものだ。


こうしてつらつらと書いていくうちに、少しだけ気分が落ちついてきた。
今朝まであった焦燥感は今は消えている。
新しい薬が効いているのかまだ分からないが、昨日とは大違いだ。


やはりnoteがあって良かった。杉浦先生が言うように、記憶の整理と自浄作用、気持ちの捌け口になっているんだろう。


いつも書いているうちに、ついつい長くなり、長すぎる!と先日叔母に言われてしまった。
これを読んで下さっている皆さんの中にも同じように感じている人も多いだろう。


ここまでお付き合いいただいた皆さまに感謝申し上げます。


次からはもうちょい短めに書こうかな。
あまりに長いと、読みにくいし、疲れちゃうもんね。


あまり悲観的に考えないようにしよう。
できるかな…。



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