「もう一人の父」 短編小説
私には父が二人いる。
一人は生物学的な父。もう一人は、心情的な父。DNAや戸籍でつながっていない、気持ちの上での父だ。その人のことを父だと思っていることは、誰にも伝えていない。
大森さん。
それがもう一人の父の名前。
毎年、年末になると、家族揃って大森さんの家に行く。餅つきをするためだ。
大森さんは、自宅の敷地内に店舗を構え、焼き鳥屋を経営している。お店のお客さんたちが集まり、みんなで餅つきをする。私の家族は焼き鳥屋の客ではなかったが、餅つきの仲間に加えてもらっていた。
その日は、いつもより早起きして大森さんの家に向かう。餅つきに必要な臼も杵も、他の道具も全部準備されている。持っていくのは、自分たちがつきたい分の餅米だけだ。餅米は、前日の夜からバケツに張った水につけたものを、ザルにあげて持っていく。
大森さんの家に着くと、持ってきた米を奥さんに渡す。庭に設置されたかまどに木をくべて火をおこし、羽釜でたくさんの湯を沸かす。頃合いを見て、せいろで餅米を順番に蒸していく。
集まった人の中には、餅つきの日なのに餅をつかない人もいる。かまどとは別に、七輪が用意され炭に火が入れられる。炭火焼きを楽しみに来る人達だ。そのためかなり賑やかな集まりになる。
毎回来る漁師の人は、新鮮な牡蠣を発砲スチロールのケースいっぱいに持って来る。その牡蠣を炭火で焼いて食べる。大森さんが用意してくれる大量のカルビとホルモンも、好き勝手に焼いて食べる。
寿司職人だったおじいさんが来たときは、その場で魚をさばいてお寿司を握ってくれた。自宅で作った煮物を持ってくる人、漬け物を持ってくる人もいた。
その人達が手にするコップには、朝からビールやお酒が注がれる。
そのうちに餅米が蒸し上がり、餅つきが始まる。餅つきに来ている人たちは何組もいるので、二段のせいろはフル回転。杵をふるう人も、息を切らせてフル回転する。
自分たちの餅は自分たちでつく。が基本。
夫は子供の頃自宅で餅をついていたらしいが、私の家では餅つきはしたことがなかった。
それでも餅つきが楽しめるのは、餅つき師匠と呼ばれるおじさんがいるからだ。餅を返す合いの手は、師匠がやってくれる。師匠も焼き鳥屋のお客さんの一人だ。
初めて餅つきに行ったとき、娘はまだ幼稚園だった。子供用の小さな杵でも、大きすぎるくらいだった。師匠は、よたよたと杵でつく私と娘に笑顔で指導してくれた。餅つきはスピードが命だと知ったのは、だいぶ後になってからだった。
大森さんは父の友人の一人。
「今度、焼き鳥屋で餅つきするっていうけど、来るか?」
我が家の年末餅つきは、父の一言から始まった。そのお陰で、私にはもう一人の父ができた。
大森さんは私のことを名前で呼ばずに「娘」と呼ぶ。
「おい娘! こっちこい」
「おい娘! これ焼けてるぞ」
「おい娘! ちょっと手伝え」
大森さんが私を呼ぶときは、いつも嬉しそうだ。呼ばれた私は「はいはい」と本当の娘のように振る舞う。
いくら火をおこしていても、やはり冬の外作業は寒い。餅つきの順番待ちをしていると、体の芯まで冷えてくる。
「おい娘、寒いだろ。家の中でこたつ入っていろ。孫と息子も一緒に行け」
あるとき、私の唇が紫色になっているのを見かねたのだろう。大森さんが玄関を指さした。孫は娘のことで、息子は夫のことだ。家族みんなで大森さんの家にあがる。こたつの温かさに、ほっと体も心も緩む。
ぬくぬくと暖まっていると、大森さんと奥さんが来た。
「おまえ酒飲めるか」
「飲めますよ-、もう大人ですから」
「何言ってる。そんなこと見ればわかるわ」
大森さんが笑った。みんなも笑った。言葉使いは荒いのに、そこにはいつも優しさが含まれている。娘を思う父の言葉って、こんな感じなのかな。
そう思ったからなのか、気がついたら、大森さんは私の心の中で父親になっていた。
私は娘が生まれてから、お酒はほとんど飲まなくなった。若い頃は浴びるようにお酒を飲んでいた。飲み過ぎて失敗している友達がたくさんいたし、私も失敗を重ねてきた。コンパで出会った馴れ馴れしい医大生を、思いっきりグーで殴りつけたこともある。
まだお酒のかげんもわからなかったし、お酒の美味しい飲み方を教えてくれる人もいなかった。
「これな、庭のプラムをつけたプラム酒だ。身体にいいぞ。あったまるから飲め」
出された小さなグラスには、黄金色のプラム酒。「いただきます」と一口含む。まろやかな甘みがふんわり広がる。
「美味しいです!」
「本当に美味しい」
隣の夫も目を大きくしていた。
「孫はな、オレンジジュースだ」
「おもちゃん、ありがとう」
娘は大森さんを、おもちゃんと呼んでいた。
大森さんが娘の頭を優しく撫でた。すごく嬉しそうな笑顔だった。
「餅も食えよ。煮物もあるからな」
奥さんに声をかけ、料理を持ってきてくれた。
プラム酒をおかわりして、煮物に箸をつけた。あたたかい空間で飲むお酒が美味しかった。若い頃に飲んでいたお酒とは違った。あの頃のお酒は、味わうことより、刺激だけを求めていたような気がする。
お酒を味わって飲んだのは、そのときが初めてだったかもしれない。
「あいつ飲み過ぎちゃうから、俺はいつも見張ってる。本当になぁ。まぁ沢山飲んでくれれば、店が儲かるんだけど。お酒はよ、心地よく楽しく飲むのが一番だからな」
大森さんは、大酒飲みの父の事を心配してくれている。父が病気をしてからは、医者からお酒を控えるように言われていた。それを知っているから、余計に心配なんだと思う。
「プラムの実がなったら取りに来いよ。そんでプラム酒作って飲め。顔色良くしろよ」
どうやら私の事も心配してくれているようだ。
「ありがとうございます」
体がじんわり暖かくなったのは、プラム酒を飲んだからだけじゃないと思う。妙に照れくさくなって、また一口プラム酒に口をつけた。
その後もたわいない話しをしながら、ちびちびとプラム酒を飲んだ。普段お酒をあまり飲まない夫も、めずらしくグラスを重ねていた。楽しくて穏やかな時間だった。子供がいない大森さんの家族になったみたいだった。
窓の外を見たら、笑顔でビールの缶を手にした人達がいた。父もその中にいた。笑顔だった。
いいお酒の飲み方は、人それぞれに違ってる。だけど、お酒にはどんな人にも、心を朗らかにする力があるんだなと感じた。
あの日の事を思い出すと、自然と笑顔になる。
今、我が家の冷蔵庫には、プラム酒が入っている。大森さんの家へ行き、夫が脚立に登って抱えきれないほど採ってきたプラムを、ブランデーにつけたものだ。私のとっておきのお酒。年を重ねる毎に、味わいがどんどんマイルドになっている。
娘が寝てから、グラスを二つリビングのテーブルに並べた。とっておきのプラム酒を注ぐ。
大森さんも父も、もうこの世にいない。
「おいしいね」
「優しい味だね」
あの日のように夫とプラム酒を飲む。大森さんを思い出す。体と一緒に心も暖まる。
もし「お父さん」と大森さんを呼んだなら、どんな顔をしたんだろう。
今も、大森さんのプラム酒は、幸せで心がぽかぽかになる大切な存在だ。
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