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私を 想って 第二十話

「もう風邪大丈夫か?」

 いつものようにキッチンで篤人が西瓜を食べている。

「一週間? もっとだっけ?」

 寧々は丁寧に西瓜の種をスプーンでとっていた。
 二人の顔を交互に見る。

「……なんかスッキリした」
 西瓜を一口食べると口の中いっぱいに水分が広がっていく。

「わかる! 熱出るとさ毒素でたーって感じでスッキリするよね」
 寧々の言葉に、だなっと篤人も頷いた。

「鞠毛に連絡しても全然返信がこなかったからさ、すごく心配した」

 寧々は篤人に連絡し、家にも電話をかけてくれたらしい。
 ようやく熱が下がり、寧々に連絡したら「お見舞いに行く!」とすぐにやって来た。
 篤人は毎日のように私の様子を見に来ていたんだぞ、と西瓜を食べながら言っている。

 父と会った日から高熱が出てずっと寝ていた。
 寝ているような起きているような、夢を見ているような変な感覚だった。 昔の記憶が出てきて、父と私は一緒に本を読んだり、映画を観たり、笑い合っていて、とても穏やなのに、少し寂しい気持ちを感じていた。

 涼花さんや妙さんが看病してくれていたことを、うっすらと覚えている。熱で朦朧としている中、もう一人じゃないんだと安心した気持ちになった。

「そうそう、鞠毛が寝てる間に、ちょっと下見してきた。これお見舞い」

 寧々から紙袋を渡され、中を見た。小さな箱が入っている。水色の箱を取り出すと手のひらにすっぽり収まった。箱をゆっくり開ける。中は濃い青色になっていて小さな星がいくつも描かれていた。まるで星空のようだった。

「貸して」

 寧々が箱の下のネジのような物を回すと音楽が流れはじめた。

「オルゴール?」

「そう。可愛いでしょ」

 手に持っていたオルゴールをテーブルに置き、三人でオルゴールを眺めた。

 一週間以上寝ていたのに、次の日も昼近くまで寝ていた。まるで緊張の糸が切れたように体がだるい。
 まだ体が本調子じゃないのか、部屋で頭がぼんやりしたままゴロゴロしている。お昼を食べてしばらくした頃、涼花さんはすぐに帰ってくると言い出かけていった。
 ベッドで横になりながら本を読んでいると、篤人からスマホに着信が入った。

「鞠毛、今から迎えに行くから、すぐに支度をしてくれ。涼花さんに何かあったらしい」

「えっ?」

 すっかり日が落ちていることに気がつき、急速に頭がクリアになっていく。
「オレのお父さんから『鞠毛をつれてすぐに来て』って連絡があったんだ。それだけだったから、詳しい話しを聞こうと思って折り返してみたんだけど。そしたら涼花さんの携帯は電源が入っていないみたいで、お店の方にかけても、誰も出なくて。何かあったのかもしれないから、とにかくすぐに鞠毛に連絡しろって言われた」

「分かった、すぐに支度する」

「五分後には迎えに行くから、また後で」

 手早く身支度をして、戸締まりもする。涼花さんに何かあったらどうしよう。悪い考えばかり頭の中に浮かぶ。
 篤人のお父さんが運転する車はすぐにやってきた。篤人も乗っている。

「とにかく、お店へ行ってみよう」

 涼花さんのカフェは国道のバイパス沿いにあった。ここに越してきたとき、一度だけ父と一緒に行ったことがある。畑の中にぽつんと建っていて、まるで映画で観たようなログハウス風のナチュラルでおしゃれなカフェだった。
 お店に向かう間に、涼花さんの携帯やお店の電話に掛けてみたが、やはりつながらなかった。
 嫌な予感が私の中でどんどん膨れ上がっていく。
 震える身体をどうにかして落ち着かせた頃、お店に着いた。
 広い駐車場には涼花さんの車だけが置いてあり、お店の看板も、店の中も明かりがいっさいついていない。しんっとしていて異様な空気が漂っている。
 どうか涼花さんが無事でありますように。
 私の前から、好きな人がいなくなりませんように。
 祈るような気持ちで車から降りた。

「篤人、お前は鞠毛ちゃんと一緒に店の中を見てくれ、父さんは裏を見てくる」

 篤人のお父さんはお店の裏口の方へまわっていった。
 篤人とお店の入り口に近づく。明かりがついていない以外、ドアなど壊されたような様子はない。特に目立つような汚れも見当たらなかった。
 国道のバイパスなのに、この辺りは街頭が設置されていない。道路を走る車のヘッドライトが、時々このあたりををうっすらと照らす以外に、明かりはなかった。
 篤人がそっとドアを押す。鍵は掛けられていないようだ。
 ドアに取り付けられたドアベル代わりの金属が、軽やかな乾いた音を立てる。
 暗い店内から、ハーブの香りが漂ってきた。料理のいい香りもする。たった今まで、ここで食事をしていたかのように。
 用心しながらお店の中へ入る。暗がりの中だから、ハッキリとは分からないが、強盗が入ったようには見えない。篤人が私の前を歩きながら「気をつけて」と小声で声をかけてくれた。
 さらに奥へ足を進める。争ったり、暴れたりしたような形跡も見当たらなかった。
 パパン!
 パン!パン!
 突然大きな音が店内に鳴り響く。火薬の匂いが立ちこめると同時に、店内に明かりがついた。

「お誕生日おめでとう!」

 テーブルと椅子の影から、涼花さんが立ち上がった。その横に寧々がいる。店の奥から篤人のお父さんが出てきた。篤人のお母さんと妙さんもいる。

「まーねーちゃんおめでとう」

 と篤人の弟と妹もいた。
 私の横で「何これ?」と篤人も驚いている。

「サプライズ大成功!」

 なにこれ? 何が起こったのか、まだ上手く状況が把握できていない。

「鞠毛さん、誕生日おめでとう。さあ、こっちに来て座って」

 三つのテーブルをくっつけ、一つの大きなテーブルにしてあった。
 そのテーブルには、湯気がふわふわしている料理がたくさん並べられている。
「時間調整が難しかったんだからね」

 寧々が得意げに笑っている。楽しい雰囲気の中で、私は少し戸惑った。

「……こういうの、ちょっと」

 そう言うのが精一杯だった。
 どんな顔をしていいのかわからない。
 扉を開けて店を出た。店内の明かりが外をうっすら照らしている。
 涼花さんがなんともなくてよかったとか、今日自分の誕生日なんて忘れていたとか、そういえばお父さんが誕生日にはご飯を食べに連れて行ってくれたとか。
 いろんな思いが胸に押し寄せてきて、その場にしゃがみ込み膝に顔を埋めた。

「鞠毛か?」

 頭上から声がしたので見上げると、父が驚いたような顔で私を見ていた。

「えっ? ……なんでここにいるの?」

「鞠毛の誕生日だから」

「……そんなこと忘れてた」

 父は私の横にゆっくりと座った。

「俺は覚えてるよ。鞠毛が生まれてきてくれて、啓汰と早苗さんと三人で大喜びしたことを」

 父は財布から何かを取り出した。

「ごめんな。ずっと隠していて」

 そう言って、私に一枚の写真を渡した。そこには笑顔の母と父とお父さんが私を真ん中にして笑っていた。本当の父は、こんな顔をしていたんだ。横にいるお父さんに目元がそっくりだった。私の涼しい目元はお母さんに似たんだ。
 写真を見ていたら喉の奥がひりひりと熱くなり下を向いた。

「おーい、鞠毛いるか? オレがみんなに怒っといたからさ。ほんと、デリカシーないよな」

 篤人がお店から出てくる。後ろから寧々もやってきた。

「お店に戻ろう」

 と、暖色の明かりのついたお店の中へ、寧々に連れて行かれた。

「驚かそうと思って、内緒にしていたの。鞠毛さんの気持ちも考えないで……ごめんね」

 涼花さんが頭を下げ申し訳なさそうに小さくなっている。いいえ、って言いたいのに喉が熱く声にならない。顔を見られたくなくて目を伏せ頭を下げた。突然ぐっと熱い手が顎に添えられ、
「ひどいじゃん、その顔。今日誕生日なのに汗だくだし。目、真っ赤だし。主役なんだから」
 寧々は自分のハンカチを取り出してごしごしと私の顔を拭きだした。
「え、ちょっと、いいよ」
 逃げようとする私の肩を篤人がつかみ
「顔洗おうぜ。涼花さんや寧々はパーティーの準備、仕切り直しお願いします」
 そう言って私を連れて行った。

 厨房のステンレスの流しに勢いよく水を流す。
「今日、誕生日って知らなかった。おめでとう」
 いつもの口調で篤人が言った。
「……ありがとう」
 何度も何度も顔を洗った。
 頭に登っていた熱が急速に下がり、格好悪くてなんだか疲れたけれど、どうしてか、サッパリとした気分だった。
 
 
「あのさ、変な空気だと鞠毛もつらいんで、普通にしようよ」

 篤人の言葉にみんなも緊張がほどけたようで
「お料理あたためなきゃ。寧々ちゃん手伝ってくれる?」
 涼花さんがいつものように言うとみんな一斉に動き始めた。

 父だけが扉の近くにいて、まるで昔学校で群れから外れていた私のようだった。なんて声をかけていいのかわからずにいると、篤人と篤人のお父さんが父を席に連れてきて椅子に座らせた。いつも篤人のしなやかさに驚きと憧れを抱いてしまう。

 私の目の前に父がいる。

「さあ、準備が出来た。あらためて鞠毛さん、お誕生日おめでとう」

 涼花さんの合図にみんなが、おめでとうと言う。不思議な光景だった。こんなこと生まれてはじめてだったから。口の中で消えそうなありがとうを言うのが精一杯で、でも
「上出来じゃん」
 と言って横で笑う篤人を見たら、何も恥ずかしいことではないんだって思えた。料理が美味しいと人は話が弾むって何かで読んだことがある。本当だったんだな。
 私が落ち着くまで時間がかかった為、料理は温めなおすことになってしまったがそれでも、涼花さんの料理はすごく美味しかった。
 店の中は笑い声や穏やかな話し声でいっぱいになっている。父もその中に加わっていた。
 父は将来、涼花さんと一緒にこのお店で仕事をしたいと思っていると言った。相変わらずゆっくりボソボソしゃべっているけれど、時々私を見て頷いていた。
「養鶏所の仕事も面白いから手伝いに来てくださいよ」
 篤人のお父さんが父の話を聞き、嬉しそうに言っている。
 サラダを口の中に入れると、爽やかな青い味が口の中に広がった。どの料理にもハーブが使われているのだろう。少しずつ頭が冷静になったのはハーブのおかげかも知れない。料理を口にするたび、畑でいい香りのするハーブたちに囲まれて作業をしていたことを思い出し、すこし口角があがった。
 ハーブの香るソーセージをもぐもぐしながら、寂しかったとか、悲しかったとか、嬉しかったとか、いろんな気持ちを噛みしめた。

 私の誕生日に合わせてサプライズ演出をしようと提案したのは涼花さんで、一番気がかりだったのは、父がしっかり時間に合わせて帰ってこられるのか、だったそうだ。
 
「私はここのお店が大好きでよく来てたの。涼花さんが鞠毛のお母さんって知っていたし。で、誕生日会のことも聞いて参加しちゃった。はい! これ私と色違い。実はアクセ作り趣味なんだ」

 寧々はキラキラとしたブルーの花がついたストラップをくれた。

「ビーズで作ったの。スマホにでもつけてよ」

 嬉しくて頷く私を寧々はじっと見つめてニコニコしている。その笑顔を見ていると、胸のあたりがあたたかくなった。こんな時の気持ちをどう表現したらいいのだろう。とにかく感謝の気持ちを伝えたくて口を開く。

「ありがとう」

 寧々は私の言葉に

「こちらこそ! わたし誰かとオソロするの初めてで、それが鞠毛で嬉しいよ」
 ふふっと笑いながら自分の席へ戻って行く姿が可愛いな、と笑顔になる。
 食事をしながら、ふと、お店の中を見回した。お父さん、涼花さん、他のみんな。
 私が好きな人は、誰一人、いなくなったりしていなかった。
 今いる状況が夢のようで何度も瞬きをしてみる。
 篤人とおじさんはなにやら熱く語り合っているし、涼花さんと妙さんはお料理について何か話している。篤人のお母さんと弟妹は賑やかに料理を食べていた。寧々と父もお店の雑貨を見ながら笑いあっている。
「いつも篤人の世話、ありがとね」
 篤人のお母さんが騒いでいる子供達に「ちゃんと座って食べなさい」と声をかけながら私に微笑んでいた。
「私の方が、篤人、くんにお世話になっています」
 そう言って頭を下げた。
 体中が熱くなり、少し泣きそうになってしまい店の中をもう一度見渡す。
 みんなが楽しそうに笑っていた。
 あたたかい雰囲気は続いている。その空気を感じながら、空のような青色のハーブティーを飲んだ。

 空になったお皿を重ね、厨房に運ぶと涼花さんがデザートの用意をしていた。
「前に正臣さんが教えてくれたんだけど、鞠毛さんの名前の由来、知ってる?」
「知りません」
「早苗さんが名前を考えたんですって。正臣さんから聞いたの」
 音の「まりも」は、父と母が出会った思い出の場所から。
 漢字の鞠は、養う、育てる、より合わせるの意。
 ずっと嫌だった毛が意味するのは、草木や穀物、植物の総称。
 そこから、どんな環境でも、強く生きていく植物のように、育って欲しい。そう思いを込めて、私は名付けられた。と涼花さんが丁寧に教えてくれた。
 自分の名前は、いつだか篤人が言っていた親からもらった最初のプレゼントという言葉を思い出した。

「素敵な名前よね」
 涼花さんの言葉に「はい」と心から答えることができた。

「なんか手伝うことある?」
 厨房に入ってきた妙さんが、穏やかな顔で私たち二人に話しかけてきた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「そう。和姉さんも喜んでると思うよ。あなた達があの家に来てくれてよかった」
 妙さんの言葉に涼花さんが静かに頷いた。

 寧々と妙さんは涼花さんが乗せてきて、篤人のお母さんと弟妹は篤人のおじさんが先に連れてきていたそうだ。
 父と涼花さんは妙さんを送っていった後、もう少し片付けをしたいと言っていたので、行きにはいなかった寧々もこっちの車に乗っていた。篤人の弟妹は車の中でうとうとしている。
 帰りの車の中、篤人が大きくため息をついた。

「鞠毛と同じでサプライズパーティーのこと、オレも知らなかったんだぜ。どうしてオレだけのけ者扱いなんだよ」

「それは篤人が全部顔に出ちゃうからじゃないの?」

「そうかなぁ。結構ポーカーフェイスだと思っているんだけど」

「私が知っているのは高校に入ってからの篤人だけど、その間、ポーカーフェイスだったことは一度もみたことないな」

「寧々の発言、なにげに傷つくわ」

 篤人と寧々の会話に笑みがこぼれた。
寧々の家に着き
「じゃあね。オルゴール館の計画たてようね」
 バイバーイと寧々が大きく手を振っていたので、私も手を振り返した。

 窓の外の景色を眺める。真っ暗な山道を抜けるとぽつんぽつんと家の明かりが見えはじめた。田んぼや畑を通り過ぎ、見慣れた景色が目の前にあらわれる。
「さ、着いたぞ」
 篤人のお父さんが車を止めた。
 後ろの席で篤人の弟妹が寝息を立てていたので、小さな声で「ありがとうございます」と言った。
 篤人のお父さんとお母さんは、私と篤人、それから、明日の朝食用に持ち帰ってきた料理を私に渡すと、先に家に帰っていった。一人じゃ心配だからと、涼花さんたちが戻るまで篤人がそばにいてくれることになった。
 少し離れて家を見る。
 なんだか久しぶりに帰ってきたように感じた。
 鍵を開けて中へ入る。
 ここが私の住む家なんだ。
 たとえ一人で過ごす時間が増えたとしても、今はもう寂しくない。
 窓を開け縁側から空を見上げると、満天の星が広がっていた。
 ここに越してきたときも、夜空を見上げて驚いたことを思い出した。

「鞠毛のおじさんのこと、結局のところ謎でも失踪でもなかったんだよな。よかった。本当によかった! でも、オレの初小説、最初から書き直しだよ。あーあ、もうこうなったら、鞠毛には責任取ってもらわないとな。夏休みを過ぎても、ネタ探しにつきあってよ」
「……何それ?」
「あ~、う~ん、つきあってください、かな」
「どういうこと?」
 篤人を見つめる。
 うーん、と困った顔をして「ま、いっか」と篤人は笑った。
 その横顔を見て、篤人はいつも隣にいたことに気がついた。

 好きな人がいなくなる呪い。
 そんなものは存在しなかったんだ。

 高校初日。自己紹介のあと立ち上がった篤人の顔を見た瞬間少しだけ、ちょっといいなって思った。
 このことは、白谷のおばばにも言えない私だけの秘密だ。

 その後すぐに父と涼花さんが帰ってきた。もう遅いからと父が篤人を送っていこうとしたら「近いから大丈夫です。家族で誕生日の続きをしてください」と走って帰っていった。
 持って帰ってきた料理を冷蔵庫にしまった後、涼花さんがお義母さんに挨拶しましょうと言ったので、三人で和さんの写真の前に並んだ。まぁちゃん、と呼ぶ声を思い出し寂しくなる。
「お義母さんがいなくなって、本当に、さみしい。いろいろとごめんなさい。……この家を、大切にしていきます」
 涼花さんの声は震えていたけれど、まっすぐ写真を見つめる目は穏やかだった。
 写真の中で和さんと仁史さんが私たちを見つめている。その表情は幸せそうな笑顔で溢れていた。





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