「ママ」 掌編小説
わたしはママと遊ぶのが大好き。
ママにくっつくと甘くていい匂いがする。
優しく笑った顔も大好き。ママにはお友達がたくさんいる。よく家に大勢の人が遊びに来る。
でもわたしのママが一番きれいですてき。
「エリちゃん、素敵なレディーになるにはルールがあるのよ」
ある日ママがわたしに言った。
「背筋を伸ばすこと」
ママがわたしの背中をさする。わたしがピンと背中を伸ばすと、ママは「いい子ね」と言ってくれた。
「お客様などには突然話しかけないこと」
ママが可愛く人差し指を立てる。シーっと言ったそのしぐさが、とても可愛いらしいくて、思わずママに抱き着いた。
「あらあら、レディーは感情をあらわにしてはダメよ」
声は厳しかったけれど、わたしを優しく抱きしめてくれた。
ママは世界でいちばんやさしくて美しいの。わたしは誇らしい気持ちになった。
「素敵なレディーになるためには、無駄話しはしないほうがいいわね。ニコッとほほ笑んで、相槌を打つくらい。少し、ミステリアスな感じがする方が素敵でしょ」
ママはふんわりとしたスカートをひらひらさせ、わたしから離れた。ママは何をしても素敵だ。
ママの後を追った。
「いい子ね。エリちゃんは本当にいい子。ママは騒がしい子は嫌いなの。ママのそばにいていいのは静かな子だけよ。エリちゃんはいい子だから、できるわよね」
うん、もちろんだよママ。わたしは絶対に騒いだりしないよ!
家に知らない人が来ても騒がない。近寄らない。ママに呼ばれない限り、おとなしくしている。
わたしはママから言われたルールを守った。ママの言う、素敵なレディーになるんだ。
お客さんが来ても騒がずにじっと待っていると、ママは「さすが私のエリちゃん。本当にいい子ね。大好き」と、抱きしめてすごく褒めてくれる。
今日も知らない人が家に来たけど。わたしはちゃんとルールを守った。その人が帰るまで隣の部屋でじっと待っていた。
夕方になって、暗くなった。そろそろご飯の時間だ。
お客さんはとっくに帰っている。それなのに、今日はまだママに呼ばれない。でもママならきっと「素敵なレディーになるためには、お腹が空いても、騒いだりしないのよ」というと思う。だから、わたしは暗がりでじっと待っていた。
……。
……。
……やっぱり我慢できなくなった。
ママに叱られてもいいから、ママに会いたくなった。……こんなわたしじゃ、素敵なレディーになれないかな?
リビングに行くと、ママはぐっすり寝ていた。
そうか、疲れて寝ちゃったんだ。もしわたしが騒いで起こしたら、きっとママはがっかりする。でも、ママに寄り添って一緒に寝るくらいなら、いいよね?
ママならきっと、
「まぁ、さみしかったのね。それなのにママを起こさずに一緒に寝てくれるなんて、本当にあなたはいい子ね。素敵なレディーになるわね」
って頭をなでてくれると思うから。
ママにくっつく。安心する。お腹は空いているけど、大丈夫。
ママ、大好き。
***
「ねぇ聞いた? 先週あった、資産家女性強盗殺人事件って、エリちゃんのママのことなんですって」
「ええ! そうなの!? 知らなかった。テレビで名前出ていたけど、私はいつもエリちゃんのママって呼んでいたから、名前知らなくて」
「私もよ。エリちゃんのママって、心臓を一突きされて、そのまま倒れていたんでしょ?」
「そうみたいね。エリちゃんは、言うことをよく聞くお利口なワンちゃんだったから、きっとその事件の日も、いつもみたいに、おとなしくしていたんじゃないのかなぁ」
「しっかりしつけされていたことが、アダになるなんて、本当やりきれないわよね」
「エリちゃんはあの通り、大型の猟犬でしょ。もし、エリちゃんが飛びかかったら、それこそ犯人は無事じゃ済まなかったでしょうにね」
「そうよね。犯人が一目でもエリちゃんの姿を見ていたら、逃げ出したに違いないもの」
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