見出し画像

母と娘 二人で楽しく病んでます

「学校に行きたいのに……身体がしんどくて行けない」
そう言って娘が夫と私の前で泣き出した。
「行かなくていいよ。大丈夫」
私と夫は娘を抱きしめた。

娘は小さな頃からよく寝る子だった。
車に乗るとすぐ寝る。
昼寝もする。
夜も寝る。
寝る子は育つ!って言うし。
私もよく遊びよく眠るというか、寝ることが大好きだったので、きっと私に体質が似たんだなぁと、のんきに思っていた。私の母も貧血持ち虚弱体質。いつも身体によいことを探しては取り入れていて、健康オタク選手権があったら上位にいけるくらいに健康に気を付けていた。私も同じようにいつも貧血気味だったので、娘には食べ物など気をつかっていたのだが、ちょっと動くだけで疲れて寝てしまうことは大きくなっても変わらないままだった。
小学校高学年になると疲れに加えて微熱が出るようになり、病院へ行くと貧血が酷いと伝えられ薬を飲むようになる。
その頃、私も筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群の症状が酷くて、痛みや倦怠感で自分のことでいっぱいいっぱいだった。

もともと勉強も進んでやるタイプの娘は成績も良い方だったし、勉強は面白い!と言い、体調が悪くても自宅で勉強をしていた。
中学に入っていろんなことにチャレンジしたいとバスケ部に入ったのだが帰宅すると顔が真っ白になるくらいに疲労困憊していてぐったりする娘を見て、これただの貧血なのかな?と不安になった。病院に相談すると、無理しない方がいいと言われ部活を辞めることになった。身体を酷使しないような美術部とか文化部があればよかったのだけれど、娘の通う学校はなかったのが残念だった。
「部活をする代わりに何か出来ることを探すんだ」と娘は笑顔だったけれど、内心はとても寂しかったと思う。バスケのボールを買って夫が帰宅した後に練習が出来る公園まで行きドリブルの練習をしていたことを私は知っている。
なんでも真面目に向き合う子だったから、もう少しゆるくてもいいんだぞーと、思いながら私は娘を見守った。

中学2年生になっても熱がでたり身体がだるく学校を休むことがあった。
でもテストだけは絶対受ける!と熱があっても自宅で勉強し、身体がしんどくてもテストを受けに行き、学校の先生に「体調悪いのにテスト受けに来るなんて!私だったら休んじゃうよ」と言われたそうだ。
娘はどうにか踏ん張って学校に行こうとしていたのをひしひしと感じた。

娘は学校であった出来事を毎日、楽しいことは楽しそうに、悲しいときは悲しそうに話してくれた。私が元気だった頃も、私が病気でほぼ寝たきりになってからも、それは変わらない習慣だった。

「すっごく疲れる。っていうか疲れがとれなくて朝起きられない」
と言うようになり、これ貧血だけじゃないんじゃない?と思うようになった。娘の通う病院では「貧血も大きくなってきたら治るよ」と言っていたけれど、一向に体調は良くなっている気配はしない。薬のおかげで貧血は治まっているけれど……。もしや、私と同じ病気だったら……。と、ものすごく怖くなった。
私も母も身体が丈夫じゃないため、娘にも体質が受け継がれたとしたら、そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
娘にも体質が似てしまったのかも、ごめんね。と伝えると
「えー!全然気にしてないよ。私は私で満足してる」って笑顔で言ってハグしてくれた。

親バカとか、親のひいき目ではなく、
娘は素敵な人だ。
自分の娘だけれど私は彼女のことを尊敬している。とても優しいのだが、しっかり自分を持っているし、悪いことを悪い、と言える強さも持っている。
小学生の時、二者面談で「どうしたらこのような子に育つのですか?秘訣があったら教えてください」と娘の担任の先生に質問された。(担任教師も娘さんを育てているので参考にしたいと言っていた)
「本人の性格だと思います」
と返事をしたこともあった。
知らないことを知る、学ぶ、人と出会う、そういったことが大好きな娘が、本当に身体がしんどくて泣いて告げた言葉が冒頭の言葉だった。

娘は小学校の頃から行きたかった高校があり、楽しい未来を思い描きそこに向かってコツコツ努力していた。のに、どうこもうも身体が思うように動かなくなってしまった。

私は自分を責めた。
私が病気だから娘に迷惑をかけてしまったのではないか?
ヤングケアラーにしてしまったのではないか?
私が健康だったら娘の体調をもっと気にかけてあげられたのではないか? 
そんなつらい状態、私が変わってあげたい。と親なら誰でも思うようなことを思い、後悔し、懺悔した。
でも、そんなことばかり思って考えていても仕方がないので、私は娘が抱えている症状を診てくれる病気を探し始めたのだった。

だから娘の前で謝った。
「ごめんね。母ちゃんの体質に似てしまったかもしれない」
娘は一瞬つらそうな顔をして
「謝らないでほしい。謝られるとつらい。私は今の私を大好きだから。母ちゃんがつらいと私もつらい。だからごめんね、は、なしでいこう」
と、はっきり言われた。

自分が病気になったとき、医師の診断があやふやで病状が悪化し、今もぐったり酷い身体になってしまったので、一日でも早く娘によい病院を見つけてあげたかった。誰かのためなら頑張れる!とよく言うけれど、可愛い娘の為ならなんでもできる!っていうかやる!と、私は痛い身体でうすらボンヤリしている頭をフル回転させ病状を診てくれそうな病院を探し当てた。
私は病気のため一緒に行けないので夫に気持ちを託して娘を病院に連れて行ってもらった。そこの病院で「起立性調節障害」と娘は診断されたのだった。
起立性調節障害!?何それ?さっそく調べてみると
【起立の時に脳血流が低下するために、立ちくらみ、めまい、ふらつき、頭痛、気分不良、倦怠感があり、さらに動悸、腹痛、食欲不振、朝起きられない、夜寝つけない、時には失神発作をおこしてしまう。また、遺伝的な体質や精神面のストレスがかかりやすさに影響する】
と書いてあった。
やっぱ、やっぱり!体質も関係しているんだ!私も中3の時、入院手術をしたり熱ばかりだしてたし。きっと私の虚弱体質が遺伝したんだろうな……。
私が病気になってしまい、娘にストレスをめちゃくちゃかけてしまったんだろうな……。
つらい気持ちでいっぱいになった……のだが、一番つらいのは娘じゃんか!!と下がった気持ちをグンっと持ち上げた。

「私の遺伝子とか、私が病気になって迷惑かけちゃったりとか、すごくストレスになってるよね。ごめんね」
娘に頭を下げると
「全然そんなことない! 私は母ちゃんの娘でよかったし、自分で満足している」
と娘は力強く言ってくれた。

起立性調節障害はすぐに治る病気じゃない。軽度なら数ヶ月で改善されるようだが、1年後、または2~3年かけて改善していくケースが多いとのこと。
夫と私と娘で「今後りぃり(娘)はどうしていきたいか」という議題で、家族会議をした。
我が家では毎週家族会議を開いていたので、スムーズに話し合いができた。
学校には行きたいけれど、行くだけで疲れてしまう。(熱が出たり寝込んでしまう)
勉強は自宅にいてもできる。
でも学校に行かないと出席日数が足らなくて行きたい高校に行けない。
そもそも高校に通える体力はあるのか? 
高校生になれば病気は治っているのか? 
娘の思いをゆっくり聞いた。
「今の体調のままでは学校に通うこともできない。でもいろんなことを学びたい。身体をよくしていきたい。父ちゃん、母ちゃんには迷惑をかけてしまうけれどごめんね。よろしくお願いいたします」と娘は頭を下げた。
「こっちこそごめんだよー!私が病気で役立たずで、本当に申し訳ない」と私も頭を下げた。

一度だけ、娘がつらそうに
「起立性調節障害を調べてみたら、その病気の子の親が、『普通と違うからしんどい』『学校に行って欲しい』『家にいるのが迷惑』って書いてあって。なんかそっか、ってつらくなった」と伝えてくれた。

「多分、そのお母さん達はきっとはけ口なかったんじゃないかな?そういう人もいるよ。人それぞれだから。でも私はそんなこと、ちっとも思わないよ!病気のプロ!病気の先輩だしね」
そう娘に答えた。
今思い返しても、この人大丈夫か?って返事だ。

「学校行けるとか、いい学校行くからいい子で自慢じゃなくて、私はりぃりが娘で嬉しいし自慢だし幸せなの。何をしても何があっても、りぃりが大好きなんだよ」
ハッキリキッパリ娘に伝えた。

私も病気になって、病気になった人しかわからないしんどさや辛さを、今も身を持って感じ日々を過ごしている。
所詮健康な人にはこのつらさはわからない、と。
私も健康で元気ハツラツだったら病気のつらさを想像はできても、心の底からしんどさを理解できなかったかもしれない。
娘は15歳で自分の身体と、将来について前向きに向きあおうとしている。
親としてはめちゃくちゃ応援するに決まっているから!と私は鼻息が荒くなった。

「病気になってさ、ただでさえ楽しい気分じゃないし身体しんどいわけじゃん。病気の人ほど楽しんだり笑ったりするのが大切だと思うんだよね」
夫は優しく笑って私と娘に言った。
そうだよ。そうなんだよ! 楽しく病んでやろう!!
私は娘の手をぎゅっと握って
「自宅留学生ってやつ? 身体に合わせて勉強していこう!」
と大きな声で言うと娘も笑顔で頷いた。

そこから行動は早かった。
私は起立性調節障害のことを調べ、起立性調節障害についての講演会を見つけ夫に聞きに行ってもらったり、同じような病気の子達はどうしているのか調べ、夫や娘に伝えた。
私がお世話になっている鍼灸の先生も起立性調節障害について知っていて身体によいツボを教えてくれた。
朝、なるべく早く起きて鉄瓶で入れたお白湯をいただく。
ヨガなど身体に負担のない動きをする。
自分のペースで勉強をする。
めまいが辛いつきやしんどいときは無理して起きない。
足湯、お灸、ツボ押しをする。
バランスのいい食事をする。
深い呼吸を意識する。
日に当たる。
アーシングをする。
夜は早めにベッドに入る。
娘の一日の流れはこんな感じ。
病院でいただいた漢方薬を試しながら、上記のようなことをして生活をしていくことになった。
また高校へ通うのが難しいので通信制高校を調べ、夫と娘でいろんな学校の体験会に行き、口コミも見て娘が行きたい学校を決めた。その学校は在学生の声や保護者の声をZOOMでリアルタイムに見せていただけたことも安心できた。
「病気の身体でも自宅で勉強できるなんて嬉しい!少しずつ体調がよくなってきたら通学コースに変更できるし。スゴイ楽しみ!」
娘が嬉しそうで私もよかったなぁと笑顔になった。

「私も娘も病気になっちゃって迷惑かけてるよ。ごめんね」
夫に謝った。家族の中に二人も病人がいるって大変だもん……。夫に申し訳なく思っていると
「え? 何も迷惑じゃないし! オレのできることがあったら何でも言ってよ。二人の役に立てることがオレの幸せなんで」
と、男前のことを言った。(実際ステキな夫なのだ)心が広い夫にいつも支えられている。
数学や理科は夫が得意なので教えてくれるし、社会はみんなで地図を見たり、大河ドラマを見たり、本や教科書から学んでいる。「小野妹子が芋食ってプーって学校で流行っていた」とか「家康がお饅頭盗んで逃げた」とか、全然勉強と関係ないことを言って私が邪魔をしていることも多々あった。(反省しています)
私も娘と一緒に勉強して新たな発見をしたりして大人になっても勉強面白い!と騒いでいる。
英語はYouTubeで勉強し(最近は韓国語やイタリア語も勉強している)美術は一緒に絵を描き雑貨を作りオンラインショップで販売する準備をしている。
さまざまな国のこと、日本でもいろんな人がいることをドキュメンタリーを見て「どう思った?」と語り合う道徳の時間も取り入れている。
家庭科は私がレシピを教えたりして夫と娘とみんなで料理を作って大騒ぎしているのだ。
なるべく休日は外に出てウォーキングをしたり、外の空気を感じてもらっている。
病状が酷くならない程度に人に会ったりお出かけしたり、今の身体でも楽しめることをどんどん実行して、どのくらいなら疲れないかを娘自身で体感してもらって記録にしてもらっている。

私は娘がどこに行こうが何になろうが全力で応援しているし、成長して離れていくのは嬉しいことでさびしく思わないのだが(いや、さびしいけども)、こうして娘と長い時間を一緒に過ごせていてとても嬉しい!と思っている(娘には申し訳ないのだけれど)。
あの小さな赤ちゃんが大きく育ったもんだ、と幸福な気持ちで娘を眺める時間が多くて、親として得しているなぁと思う。

学校に通えなくなった娘が他の子と違うし、学校に通えないからと、不安になったことは一切ない。
娘の生きる力を信じているから。
でも、病気に早く気がついてあげられなくてごめんね、という気持ちは今も消えない。
だって、自分の大切な大切な子供なんだよ。苦しんでいたら助けるのは当たり前だし、誰よりも幸せでいて欲しいと私は思っている。
きっと同じ病で苦しんでいるお子さんの親御さんも同じ気持ちだと思う。

何があっても私の自慢の娘に変わりはない。
我が家に生まれてきてくれて本当にありがとう!と、今も変わらずに毎日思っている。
親にさせていただき娘には感謝をしている。娘のおかげで心も生活もカラフルになったし、無条件にこんな風に私を愛してくれる存在って他にいる?っと娘からてんこ盛りの愛情をいただいた。
笑っていても泣いていても可愛い!と娘のおかげで幸せな時間をたくさんいただいた。
子供を産んだとき、これからこの子が生きていく世の中が良い方へ進むといいな。私ができることを精一杯頑張ろう。大人が生きていくことの楽しさを見本で見せてあげるのが一番いいと思った。

でも、私は病気になり、死にたくなったり弱音を吐いて駄目な姿を娘にたくさん見せてしまった。
そのおかけで大人でも人生につまずくんだよ。だけど、周りの人の優しさとか、自分を信じる力でしんどいことも乗り越える力を持っているから。と、めちゃくちゃ泥臭く娘に伝えることができた。
だから娘もしんどいときはしんどいって休んでいいし、時には逃げてもいい。だけど、そんな自分を駄目だって思うことをしなくていい。しっかり身体をよくすることを考えて今できることをやっていきながら、この経験を悪いことではなく、つらかったけどよく頑張ったっと思って欲しい。
いつか全ての経験が自分の力になる。って私は娘に伝えてある。
人生は伏線回収の連続だ!って自分の人生を振り返り思っているから。

そもそもみんなと同じだから幸せで大丈夫な保証なんてどこにあるんだろう?
自分をしっかり生きて、生きていく力を身につけて欲しい。みんなと同じだから大丈夫ではなく、自分の考えで決断し、その行動が自分にとって良かった、と思えるように進んでいけばいいと思う。娘より私の方が歳は上で経験値は多いので伝えること、教えることはたくさんある。
だけど娘から教わることも凄く多い。
私が間違うこともあるから、そのときは言って欲しいし、自分の考えを曲げなくてもいい。とも伝えてある。
今はいろんな選択肢がある。有り難い世の中になったもんだ!と昭和生まれの私は思っている。 
実際には関わったことがない方々が様々な思いと形で世の中を変えていこうとしていて、こうして自宅でも勉強ができることも浸透してきている。画面越しに友達もできる。そう思うと世の中の人に感謝の気持ちでいっぱいになる!
私は自分の病気のことを本にもしているので自分のことを書くのは平気だったが、娘のことはプライバシーがあるから書かないようにしていた。
でも、娘が
「私も母ちゃんみたいに自分の病気のことエッセイで書こうと思う。私と同じように病気で苦しんでいる子や、その親のお役に立てたらいいなって思って」
と言い、エッセイを書いていたので、私の気持ちも書くことにした。投稿するかは娘に判断してもらおうと娘に一番先にこの文章を読んでいただいた。
「書いてくれてありがとう!父ちゃんや母ちゃんのおかげで私すごく幸せな不登校児だった!」
と笑いながらハグされた。
「今もさ、この病気で苦しんでいる子がいたり、私みたいに急に病気になってどうしていいかわからない子もいると思う。だから私が発信していくことでいろんな選択肢があるって少しでも心が楽になってくれたら嬉しいな。だから私ができることをこれからも頑張っていくんだ」
そう言った娘の言葉を聞いて今度は私が娘にハグをした。

去年は娘にとって本当に苦しく大変な一年だったと思う。
 
4月から娘は高校生になって、自宅でしっかり勉強をしながら、ワークショップを受けたり、スクーリングに行ったり、いろんなミーティングをしたり学校生活を楽しんでいる。
友達も出来た。
友人や親戚から高校入学おめでとうと言われ、体のことを伝え通信制の高校に行ってるよ、と伝えると
「友達の子も通信制だよ」とか、「うちの子も通信制に行っている」と周りにも通信制の高校に行っている人が多くて、どこでどんな風に勉強していくのも選べる時代なんだと感じた。
ワークショップでは、今の時代に必要なことをいろんな講師の方から話を聞けたり、私にも役に立っていて本当に有り難く思う。
自分が病気になってから学校へ行ったり三者面談に行くことができなかったので、画面越しに先生と話したり娘の進路等相談できることが、本当にとても嬉しかった。

「私、やりたいことたくさんあるんだー!毎日楽しいし、これからもっと楽しくなっていく気がする」
娘が日光浴をしながら言う。
私もまだまだ野望がある。やったる!と思っているよ。
もっといろんな人に会いたいし、いろんな物を見たり聴いたりしたい。
家族と楽しい時間をこれからも過ごしていきたい。

私も娘も病んでいるけれど、
今日も笑いならが楽しみながら、
自分を信じて生きている。

「自分の人生を楽しんで味わって生きていくぞー!」
大声で宣言し、青空の下二人で笑い合った。

いいなと思ったら応援しよう!