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私を 想って 第十九話

 コップの表面についた水滴がテーブルに落ちる。
 あれから数分が経ったけど、お父さんはなかなか話そうとしない。涼花さんが「うまく話そう、なんて思わなくていいのよ」とお父さんにアドバイスしてくれたが、父は難しい顔をして固まっている。

 私から話そう。言いたくないけれど、言うしかない。小さく息を吐き、口から無理矢理言葉を出した。

「小さな頃、借家の大家さんにあの人……あの人はあんたの父親じゃないって言われた。本当のお父さんはここで死んだから、代わりにあんたを育ててくれてるんだよって。だからお利口にしてなきゃ駄目だよって」

 私の言葉に父が驚いたように目を見開く。父の顔を見て、大家さんが言った言葉は本当だったんだと確信した。
 まだ小学校に行き始めた頃だった。大家さんが困った顔で私に言ったことを最初は理解できなかった。でも母の写真もないし、私の小さな頃の写真もなかったから、本当のことかもしれないって少しずつ思うようになっていった。

「……本当のお父さんって誰?」

 小さな声が口から漏れた。
 父は口をつぐんだまま下を向いた。肩が小刻みに震えている。
 篤人がいるからなんとか平静を装っているつもりだけど、実際、私もお父さんと同じぐらい緊張している。
 お父さんは何かを決心したように、大きく息を吸うと私を見つめた。

「鞠毛の本当の父親は……俺の、弟の啓汰だ。俺たち兄弟は親に捨てられ施設で育った。身内はいない。啓汰が仕事で北海道に行ったとき、鞠毛のお母さん――早苗さんと出会ってな。お互い一目惚れだったと聞いたよ。早苗さんのうちはご両親が早くに亡くなっていて、おじいさんとおばあさんに大切に育てられたそうだ。二人は啓汰と早苗さんの結婚に反対していた。……俺も啓汰もどこの馬の骨か分からないからな。でもそれを押し切って、結婚したんだ。俺が住んでいた借家の向かいに引っ越してきて。とても仲良く暮らしていたよ。今までより稼がなくちゃって、俺と一緒の会社に入って啓汰も頑張ってたよ。鞠毛が生まれてから、毎日のように顔を見せにきては、鞠毛が笑ったよ、首が据わった、寝返りしたって大騒ぎしてた。俺も頻繁に二人の家に泊まりに行ってた。だだ、早苗さんのおじいさんとおばあさんは鞠毛が生まれても訪ねてはこなかった」

 父が寂しそうに言った。

「それから早苗さんが病気になって。鞠毛がちょうど三歳になる年だった。……本当にあっという間だったよ。啓汰はとても動揺していた。早苗さんの葬儀が終わったあと、おばあさんが訪ねてきたんだ。すごい剣幕だった。『人殺し!』そう言って、啓汰のことを責めていた。……鞠毛に対しても『この疫病神』って叫んで、首を絞めようとした。まだ親が死んだことも理解できないくらい小さな子に。本当に、酷かった」

 その瞬間、首を絞められた感覚がよみがえってきて身震いする。

「あの二人は、本当に啓汰を許せなかったんだろうな。……早苗さんの遺骨も、持っていってしまった。啓汰はどんどん病んでいったよ。『早苗もいないし、生きていてもしょうがない』、『鞠毛と一緒に死ぬ』そう言うようになって。何言ってんだ、そんなの俺たちを捨てた親と変わりないじゃないか。自分の都合だけで子供を振り回すなよって、啓汰に、どうしようもなく頭にきてた。だから言ったんだ。そんなことを言うなら、俺に鞠毛をくれよって」

 父の声に涙がにじむ。涼花さんがそっと父の背中に手を当てるのが見えた。

「……俺のせいで、啓汰は死んだんだ。鞠毛の目の前で……首を……つって。早苗さんが亡くなって四十九日もたっていなかった。遺書はなかったよ。ただ『鞠毛をあげる』……そう本に書き殴ってあった」

 父は下を向いた。
 誰のせいでもない。だからこそ、行き場のない感情が自分の中で暴れる。

「なんであのとき、啓汰と、もっと向き合わなかったんだろう。一緒に悲しんであげられなかったんだろう」

 父は感情を押し殺すように言い、麦茶を一気に飲んだ。荒い呼吸を繰り返して、また話し出す。

「その後しばらく鞠毛はしゃべらなくなって、どうしたらいいのか分からなかった。俺は自分の子として、鞠毛を育てることにしたんだ。いろんなことを忘れていい、と何度も何度も小さかった鞠毛に言い聞かせた」

 父が私を見つめる。その瞳は真っ暗な穴のようだった。

「そうしたら、だんだん鞠毛はもとのようにしゃべるようになった。でも今度は自分が苦しくなった。鞠毛を見ていると思い出すんだ。啓汰や早苗さんのことを。ああ、啓汰も小っちゃい頃はこんな感じだったな、とか。笑顔が早苗さんに似てきたな、とか。どれも嬉しい成長のはずなのに、俺にはすごく……苦しかった。だから仕事を理由に鞠毛から離れた」

 やっぱり、私を遠ざけていたんだ。そう思ってしまう気持ちはどうしても拭えない。それでも、父が真剣に私のことを考えてくれていることは分かった。

「たまに鞠毛が寝言で言うんだよ。『お父さん』って。そういうとき、俺はどうしようもなく辛くて……。いつかは本当の親のこと――啓汰と早苗さんのことを話さなくちゃいけない。分かってるけど、怖かったんだ。……俺は、親、失格だ」

「そんなことないですよ。親子に本物も偽物もないっていうか、血なんて関係ないし。一緒にご飯食べて話をしてそばにいて、大事に思えば家族だと思います」

 この場所に合わないような明るい声で篤人が言った。でもその表情は少し緊張しているみたいだった。

「篤人くん、ありがとう。少しだけ、私も話していい?」

 涼花さんの声に無言で頷いた。

「正臣さん、遺族会に何度も足を運んでいたけれど、会場にはいつも入れなかったらしくてね。あの日、声をかけてよかったって思ってる。正臣さん、もう限界って顔してた。だから、私も、夫を……仁史さんと、お腹にいた大切な子を亡くしているって。辛くて死んでしまいたかったって。正臣さんに話したの。それから、お互いにいろんなことを話すようになったわ。
正臣さん、鞠毛さんに本当のことを話したいってずっと思っていたけど、大切な人を二人亡くして、その気持ちが整理できないままでいたの。とにかく鞠毛さんのことが優先で、自分自身を癒やす時間がなかったのよね。だから私、そういった心のケアをしっかり見てくれる病院を知っていたから紹介したの。この家に越してきて、時間も金銭的なことも少し余裕があるから時間をかけて治療をすることにしようって二人で話し合った。治療が終わって落ち着いたら、ちゃんと自分の口で話したいから鞠毛さんには内緒にして欲しいって言われて。……鞠毛さん、隠していてごめんなさい」

 涼花さんは頭を下げた。
 いろんなことを聞きたかった。でも急に知りすぎて、何をどう答えていいのかわからない。

「このままじゃ、いけないって思ったんだ。治療を受けるようになって、鞠毛から逃げる行為はネグレストとか虐待にあたることも知った。本当にすまなかった。もう少ししたらちゃんと戻ってくる。今はまだ……やり残したこともあるから」

 お父さんはテーブルの下にあった鞄から何かを取り出した。

「これ」

 ぼろぼろになった紙切れだった。折りたたんである紙をゆっくり開くと、さっき言っていた本当の父が書いた言葉があった。この紙は、あの魔法の絵本のちぎれた部分だと気がついた。

「鞠毛はおじさんに似て無口なんだな。おじさんも、もっとこれからは思ったこと話せばいいよ。言わないとわかんないよなぁ。もし変なこと言っちゃったら謝ればいいじゃん」
 な! と篤人は言った。
「そっか、ようするに和ばあちゃんが亡くなって、鞠毛がいろんなこと思い出すかもって心配になって一時帰宅したってことだよね?」

 篤人の言葉に、父は頷きながら

「鞠毛が心配だった。それだけじゃなく、和さんにも会いたかったし、涼花さんのことも心配だった」

 確かめるように言った。

「やっぱり。オレってミステリー作家向きだな」
 篤人の場違いな言葉におかしくなったのに、なぜだか目が熱くて視界が滲んだ。

「留守にしてすまない。もう少しだけ待っていて欲しい」

 父は頭を下げて静かに玄関から出て行った。突然の出来事に気持ちが追いついてこないまま、ぼんやり父の背中を見つめた。
 篤人も「またな。何かあったらいつでも連絡くれよ」と帰って行く。

「鞠毛さん、本当にごめんなさい。ちゃんとした母親になりたいって思っていたけれど、鞠毛さんの気持ちを知ろうとしていなかったよね。正臣さんがね、鞠毛さんも自分と同じように辛い思いをしてきたから、話しをたくさん聞いてやって欲しいって言われてたのに」

 涼花さんはまた、ごめんね、と謝った。
 そんなこと、大丈夫ですと言いたかったけれど、首を横に振ることしか出来なかった。




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