作ること作れること

橋を見るたび通るたび、高3のときとなりの席だった子のことを思い出す

進路について話をしていたときに、町を繋ぐ橋を作りたい、と話していた子

その時の私は、橋はあって当たり前で、自分で作るとか考えたこともなかったから、
とっても驚いた

こないだ別の子が、
どういう教育をしたら世の中に立派に作られているものを自分で作れると思えるか、ということについて話をしていて、
それは集団とか、組織とか、もそうなのだけど、

そもそも私は何を作れると思っているかなと振り返った

父がなんでも直したり作る人だったこともあってか、特にパソコンや機械類は、(私は全く理系じゃないのに)、
作れる、と変な自信をもっている

家具や家も、作る過程は想像できるし、道路も、町もなんとなく、こんなかんじかな、みたいなのはある

逆に苦手なのは、体を動かすこと
ダンスとか、どうしたらああいう動きができるのか、検討もつかない
どこになにを聞けば出来るようになるかもわからない

作れるは、実際に作れるレベルの前に、作れる気がするのレベルがあって、
気がするかどうかは、以下かなと

1 なんとなく類似を作る経験をしたことがある

2 身近で作る見聞きをしたことがある

これにより、ブラックボックスの中身がなんとなく親近感のあるものになり、
いまはできなくとも知識を手に入れればと、
そんな気になるのかな

作りたいと思うかは、別の話

橋を作る話に戻ると、
いま、私は川の近くにすんでいて、
橋を渡るために迂回したり混雑したりすることを
とても嫌だなと思っている

でも、やっばりまだ、誰かが作るものであって、
私ではない

そもそも、橋がなんで壊れないのか(流されない強度を保てるのか)よくわからないし、
たまにある空高いアーチの部分の役割もよくわからない

これからのプログラミング教育が、
作れるを楽しめるものになりますように

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