見たいものしか見ない

タイトルの言葉は、共和政ローマ期の政治家、軍人かつ文筆家のユリウス・カエサルの言葉です。

「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」引用ですが。

この言葉を見たときに直感的に、そうやな〜って漠然と思いました。僕も好きなことだけ考えたいし、出来るだけ嫌なものや辛いものは考えたくもないし直面したくもない。そういうものは出来るだけ避けたいな〜って。

カエサルがこの言葉を発した時、彼はきっと何かしらの危機感を覚えて言ったのではないかと僕は思います。嘆き的な感じで。

改めて考えてみました。そして思いました。自分自身に向き合っていれば必ず見たくない現実や障害というのはつきものなんではないかと。やりたいことをやるためには、自分の道を歩むにはそれなりの棘があるものではないのかと。それは、社会の価値観であったり、人間関係かもしれないし。だからといって、それを見たくない直面したくないといって避けていてはいつまで経っても歩み出すことはできないんじゃないかな。

僕には見たいものがある。だから、見たくないものも見るし、その中にも何かきっかけのようなものがあるかもしれないし、自分の糧になるかもしれないし。

カエサルすごいな〜


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