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厄年しんどい

僕は1979年2月に広島で生まれた。42歳なので今年はついに大厄ということになる。前厄だった昨年は、大切な撮影の前日にふと思い立ち、厄払いに行ったのだった。

そこは東京の有名な神社で、神聖な感じのする森を抜けた奥にある受付で厄払いの手続きをした。神様の遣い的な衣装を着た人に、「初穂料をお納めください」と言われ、はてな顔をしている僕に彼は「5000円からです」と言った。僕が「では5000円で」というと今度は、「5000円だと札にお名前入りませんがよろしいですか?」と言う。むむ、なんだかご利益減りそうだな、ここはかっこよく1万か。と僕はうまく乗せられて1万円を納め、30分弱の厳かな笑ってはいけない儀式に参加したのだった。


僕はもともと神様に対する不信感は大きい方で、しかもそれは年々増している。世界に神様は溢れているはず(八百万どころか、、)なのに、悲しい災害や争いごとは続くし、昨年の初穂料の件も、お札に名前が入らなかったらどうなるんでしょうか?とは聞けなかったけどなんだか不明瞭だし、信じるものは救われる(誰かを信じられないくらい強い悲しみを抱く人ほど救うべきなのでは?)とか、参道の真ん中は神様の通り道だから端っこ歩きなさい(え?神様ちっちゃ!)とか、ここは女の神様だからカップルでお参りしたら嫉妬してよくないよ(え?やっぱちっちゃ!)とか、とにかく神様まわりには、神様ちっちゃいエピソードのオンパレードで、ここまでくると逆にかわいいと感じてしまうほどだ。僕は初詣などで神社に行っておみくじを引く時も、大吉が出るまで何度でも引く。お金払って凶とか言われてそのまま帰ってたまるか!と思っている。でもなんとなく神社は好きで、お守りなんかも時々買ってはカメラバッグに忍ばせていたりもする。うまく説明できないけれど、そんな感じ。

ただ今年、それも6月以降の日々の調子がどうもおかしい。忙しさのせいもあるのだけれど、おかしすぎる。
引越しやコロナ関連の手続きで、何度か先方のミスがあり無駄なやり取りを繰り返すことが増えたり、Macの写真アプリ(旧iPhoto)に大切に溜めてあった10年以上分の思い出写真が消えたり、後ずさりしながら撮影中に躓いて転んだり、肺から血が出て、血だらけの咳が止まらなくなったり(これは病院で見てもらっているのでご心配なく)。
とにかく不幸が畳み掛けてきた。厄年。。。いよいよ本厄がパワー見せつけてきた。

人に相談すると、お前は不信心だからオンライン厄払いくらいでいいよ(本当にあるらしい)とか言われつつ、仕方なく今年も同じ神社へ厄払いに行った。今年は負けずに5000円で押し切り、名前の入ってないお札をいただき、清々しい気持ちで表へ出ると、僕と同じ回で自動車の厄払いに来ていたアメ車が、ブオンブオン爆音を轟かせながら境内をゆっくり案内されていた。神様、節操ないね。。。とりあえず、厄は祓われたのでもう大丈夫かな。


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