見出し画像

普通の大学生がアメリカで成績優秀者になった話 【人生山あり谷あり】(Part1)

新卒2ヶ月でパニック障害を発症し、仕事を辞めたKosukeと申します。

このNoteでは、そんな僕が【アメリカ留学で成績優秀者になった過去】についてお話しします。海外で成績優秀者!?と聞くと、元から英語ができたと思われがちですが、そうではないんです。

どちらかというと英語は苦手、唯一の海外経験は小学校低学年の頃に行った「頬笑みの国」タイ。じゃあどうやって英語を習得して、アメリカで成績優秀者になったの?その疑問にお答えします。

まず言っておきます。「人生山あり谷あり」です!

普通の大学生が留学を目指す

まずは僕の大学時代を振り返ります。

僕が大学に入学したのは、2019年(コロナウイルスが流行する前年)でした。入学した大学は、いわゆるGMARCHと呼ばれる大学のひとつ。学部は文学部史学科でした。

小学生の頃から歴史が好きだった僕の夢は、大学で歴史を学ぶことでした。そのため、希望通りの学部に入れて嬉しかったことを今でも覚えています。

ただ、そこからが問題でした。

僕の大学はリベラルアーツ(専門外の学問を幅広く学ぶという考え方)に力をいれており、大好きな歴史を十分に学ぶことが出来ませんでした。

そこで僕は完全に落ちぶれます。

勉強に打ち込めず、授業に遅刻し、欠席する日々。もちろん成績は悪く、落単も経験しました。そのころは勉強なんてくそくらえ!そう思っていました。

ただ、そんな僕が変わったのが大学2年次。コロナウイルスの流行時期です。

世の中が大変な時期に、大学から1通のメールが届きました。それは、テレビにも沢山出演している教育学のとある先生との座談会への招待でした。

そのメールを受け取った僕は、「有名人と話せたら凄いな〜」と軽い気持ちで応募。皆さんの予想通り、当選の連絡が届きました。後から知ったのですが、多分、100分の1くらいの確立です。この強運が僕の人生を変えたんです。

ーー座談会当日ーー

僕は「衝撃」を受けました。

その「衝撃」は、人生で最も深く鮮烈なものでした。それは、「日本の教育が遅れをとっている」という残酷な事実を知ったことによる衝撃です。

先生は、外国との比較で日本の教育について語っていました。そして、日本を蘇らせる最善の方法は、「若者が海外の風を浴びて日本を変革すること」だと僕らにメッセージを送ってくれたのです。

僕は単純です。この日から留学を目指し始めました。

毎日10時間以上英語を勉強

留学に行くとなったら大学の制度しかない!奨学金ばんざい!

そう思った僕は、大学のウェブサイトを開きました。ところがどっこい拍子抜け、派遣留学ってめちゃくちゃ狭き門ではないですか!

高いGPA(成績を表わす数値)を維持しなければいけないし、なにより英語!TOEFLという激ムズ試験で、めちゃくちゃな高得点を取らなければいけないじゃない…

当時の僕は英語が大の苦手でした。

高校時代は、テストの点数が悪くて先生に呼び出され、大学受験も英語が足を引っ張っていました。

そんな僕がどうやってTOEFLで高得点を取るのか…

その道筋は後々Noteにまとめます。

本当に省略して話すと。
毎日10時間以上の勉強
・その勉強の様子をTwitter(現:X)にアップしてモチベ向上
・勉強開始から6ヶ月でTOEFL81を取得
って感じです。

ついでにTOEICも905点を取得しました。

猛勉強で英語の試験を突破した僕。楽々と留学にいけると思いきや、問題はそこからでした。

3回挫折した留学選考

結論を言うと、僕は留学選考で3回挫折を経験しました。
それぞれ説明していきます。

1回目

正直、これは僕の責任とは言いたくないです。

簡単に言うと、TOEFLの結果が規定の日時を過ぎても返ってこなかったため、留学の申し込みに間に合わなかったんです。

酷い話ですよねこれ。毎日毎日、問い合わせても検討中ですとしか返信が無い。こっちは人生がかかってるんですよ。10時間の勉強の日々は何だったんだと。

で、結局間に合いませんでした。

今となっては良い思い出ですが、当時は酷く落ち込んで自暴自棄になっていましたね。今でも過去の自分には同情したいです。

ただ、努力した僕に2度目のチャンスが回ってきました。

2回目

そのチャンスとは、2次募集。

1次募集で余った留学先が、2次募集先として学生を募集していたんです。これはチャンス!と即決で思い立った僕。その頃にはTOEFLの結果も返ってきていました。

そして…

見事、台湾への留学チケットを手に入れます!

おめでとうKosukeよ。よく耐えた。頑張った。

ただ、ここで待ったを掛けたのが憎きコロナバイオレス。当時の台湾はコロナ対策が世界一と行っても良いほど厳しかったのです。結論、留学に行くことはできませんでした。

3回目

新型コロナで中止になった留学。

僕はめげずに3度目の挑戦をします。今度こそはと選考に挑んだのは大人気のアメリカ。

ふつーに面接で落ちました。

TOEFLの結果が返ってこなかったときよりも、台湾留学がコロナで中止になったときよりも、落ち込みました。今までは他の人の責任転嫁できたのですが、今回は完全に自分自身の失敗。

この出来事は、人生の底だったと言っても過言ではありません。それくらいどん底でした。

4回目

ただ個々で諦めないのが僕の良いところ。合格した方と面接練習を重ねて、いざ4度目の挑戦!

当時4年生だったので、ラストチャンスです。泣いても笑っても残り1回。全てを賭けて臨みました。


見事合格しました!

泣きましたね。もうめちゃくちゃに。大人になるとうれし泣きって少なくなりますが、このときは大号泣。(報われて良かったな!筆者よ!)

アメリカのミネソタ州に留学することが決定しました。

いざ自由の国へ(入国審査にひっかかる)

留学決定と留学の間はすっ飛ばして、留学の話をしましょう。

ここでもまた挫折をします。

本当に本当のファーストステップである入国審査で躓いたのです。経由地のシカゴ空港に到着したはいいものの、窓口までの行列なんと2時間。ぶったおれそうになりながらやっと辿り着いた窓口は救いでもなんでもありませんでした。

気がづきたくなかったのですが、リアルで学校の外部講師以外のネイティブスピーカーと話したことがない。

当然、聞き取れれるはずもなくきょどりまくりました。

その結果、別室送りに…

人生で一番怖かったなぁ。30分ほどで手続きが終わりましたが、日本を飛び出て1日足らずで舞い戻ることになると思いました。

こんな激怖イベントから僕の留学生活は始まりました。

その1日後、なんとか留学先の最寄り空港にたどり着きました。心優しい職員さんが夜遅いのにもかかわらず、迎えに来てくださりました(もちろん、会話になりませんでしたが)。

生きてたどり着いたことに感謝しつつ僕の留学生活は始まりました。

続きはPart 2で…

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?