褒めてごらん

なぜ人は人を褒めないのか?

先日、下北沢本屋B&Bのイベントにて、金スマ等を手掛けられたバラエティプロデューサー角田陽一郎さんと、噺家でペンプレ130kgの立川談慶さんの対談がありました。

(その様子が気になる方は、こちらの記事にて↓)

そこで、角田さんがこのような趣旨のことを仰っていました。

「たとえ、それが正論だとしても、クリエイターに対して、あーだこーだ批評・批判を行うことは、害悪でしかない。その批評が、クリエイターが良いものを創ることを阻害する」

※詳細は角田さんの以下のtwitter投稿やnoteから読み取れます。

▼なぜ、人は人を褒めない?

角田さんが「褒めてごらんよ」と仰っていて、その論は、ご本人も投稿内で仰るように逆説的だが正論であり、力のある言葉だと思います。

そして僕自身、そりゃあ褒められたいし、皆もそうだろうし、もっと褒める動き、承認欲求の欠乏が起きない状態が広がればいいと共感してます。

だから本記事では、角田さんの「褒め促進」に加えて、人が人を褒めることが行われない阻害要因は何なのか?褒める必然性がなぜ生まれていないのか?という課題着眼的な視点で考えてみて、さらに「褒め促進」を行なっていくことを狙ってみました。

※課題着眼的ではあるものの、MECEに要因分析などをしているワケではござーせん。もっと構造的に、あるいは網羅的に課題を整理する必要性や打ち手を思いつかれた方は、ぜひそのお知恵をコメントなどでご教示くださいませ!🙏

▼褒めるより、批判する方が生き残るから?

「褒める」という行為は、相手の悪い点ではなく、良い点を見つけ、その点を取り上げ、相手に伝える行動と言えると思います。

一方で、褒める行為と反対側の方に「批判する」という行為があろうかと思います。辞書的には ”物事に検討を加えて、判定・評価すること。”とあるので必ずしも、悪い点ばかり責める動詞ではないようですが、便宜上使っておきます。(非難、批評などとの言葉の定義の議論はここでは他に譲ったまま進めさせてください)

褒めない原因を探るのに面白い研究があります。

スタンフォード大学教授で『The Man Who Lies to His Laptop』著者Clifford Nass(クリフォード・ナス)さんは以下のようなことを述べられています。

否定的な感情や批判を忘れようと苦戦した経験は誰にでもあるでしょう。私たちがそれをなかなかできないのは、こうした否定的な感情、批判を細かく検証する傾向にあるからです。それは、同じ「失敗」を繰り返えさないようにしようとする私たちの生存本能にもつながっているのかもしれません。

防衛本能として「悪い状態」をすばやく察知するということなのでしょうね。

実際、ワタシも多種多様な企業の皆さんとワークショップ(テーマは働き方改革、未来のビジョン、創発組織づくりなど様々)を行なっている中で

現状の自組織の「いいね!という点、もったいないね...という点」を自由に出してもらい、参加者全体の共感の大きさを見える化する時間があります。

すると毎回毎回、どんな業界、どんな職種でやっても、おもしろいことに「もったいないね...」の方が全体の共感を集めるのです。
(本当に「いいね!」が上回っている時をこの1.5年で見たことがない...笑)

この体験をとってみても、人は「批判的に」物事や自分たちの状況を捉えていく傾向があると言えそうだなと感じます。

※※この話だけ補足をしておきますと「良いところがなくて、悪いところばかりがある組織なんて、もう最悪じゃん...」と肩を落とす方がいらっしゃるかもしれないのですが「もったいない...」と思うことは、「もっとこうしたい」「本当はこう変えたい」という意思が無いと出てこないと思っています。

例えば、ワタシが今、コロコロ掃除し忘れて埃まみれの半ズボンを履いている現状なのですが、僕にとっては「どうにかしたい」と思えますが、読んでくださっている皆様にとっては「マジどーでもええわ」程度のことで「もったいない」という感情すら起きないと思います。((良い例えぇ〜)

▼批判はダメなのか?褒めてさえいればいいのか?

そうとは思いません。褒める割合が低い場合増やしましょう、とは思いますが「批判してはいけない」とは思いません。なぜなら健全な批判・批評は、建設的な話に必要な要素だと思うからです。

みなさんもきっと感覚的にそう思いますよね。褒め合ってばかりで、誰も「ここおかしいよ」と指摘しない会話って、怖いですよねw

※少し話はそれますが、ここ数年、HR業界のトレンドでもある「心理的安全性 psychological safety」においても「こんなこと言ったら馬鹿にされないか?と心配せずに安心して気兼ねなく話せる状態のチームが、最も生産性の高いチームだ」とGoogle社がプロジェクトアリストテレスという取り組みで論文発表をしたことで有名です。

ただし、例えば、褒め合うばかりでただただ安心していられる状態という意味だけでなく、気兼ねなく改善点のフィードバックを言い合える、ということも重要な意味を持ちます。

▼では、なぜ批判が害悪になるのか?

個人的には「その言い方」に問題があるのでは?と思っています。

発言という行為をざっくり分解すると「内容」と「言い方」になると思いますが

たとえ「健全な批評的な内容」を発言していても「くっそ偉そうで、知った風な口で、見下したような目で、冷たい熱帯魚のような低いテンションで、なんかお前俺に恨みでもあんの?的な姿勢の言い方」で言われたら
そりゃあ言われた方は建設的な会話として受け取ることができないですよね。

上記はちょっと盛り付けましたが

言い方一つで、批判にも、非難にも、アドバイスにも、心の支えにもなるということですね。

▼まとめ 〜 どうやって会話していくか?

今回の記事では「なぜ人は人を褒めないか?」というタイトルでしたが以下の感じがポイントになってきました。

・そもそも褒めるより批判する方が生存戦略として必然的らしい

・褒めるだけでなく、健全な批判も大事

・ただ言い方気をつけないとマジ「褒めない」より心傷つくから気をつけようよ

上記を踏まえて結論としては、それでもやっぱり

「褒めること、もっとしてみようよ」

です。最初の話に戻りますが。

心理学者のマーシャル・ロサダ博士という人が、10年間も業績の良い組織と悪い組織のコミュニケーションを調査されたそうです。すると「業績がいい組織」という定義に入るためには、ネガティブな会話と、前向きでポジティブな会話の割合が最低でも

ネガティブ : ポジティブ = 1 : 2.9013

である必要があったそうです!(割合細かっ!) さらに理想的な割合は、1:6ともおっしゃっています。

なので、多少気恥ずかしくても、やっぱり褒めてみるって大事なんじゃないかなと思います。もちろん業績面で大事、というだけでなく、角田さんの言うように「良いもの作る」ためにも、あるいは「良好な人間関係を作る」ためにも。


おしまい。


おしゃべりな一方、筆不精ですが、がんばって色々書いていきたいと思います。反応の1つ1つが通知で届きますが、励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。