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フリーランス、何年続ける?一生続けられる仕事にするには?

何年続けるつもりで、フリーランスは始めるものだろうか。1年、3年、5年、10年?誰しも、よしっ、と心に決めれば、今日からフリーランスを名乗ることができる。僕もそうだった。ただ、それを続けられるかどうか、そして、続けることが正しいのか、というのは人によってマチマチだ。

16年ほど、フリーランスを続けて来た。途中、法人化したこともある。一方で十年来のフリーランス仲間は大分組織の人になった。フリーランスとして経験を積んだ20代30代を経て、企業のマネージャーやシニアプレイヤーとして、40代を迎えている仲間は多い。フリーランスとしての期間は概ね5年〜10年前後が多い、という印象だろうか。

こうしてフリーランス、という立場に居残ってる自分の働き方は、結果的に自分らしい働き方になっている。いや、どちらかというと、フリーランス蟻地獄にはまっているのかも知れない。抜け出したくても抜け出せない、というわけでもなく、抜け出したいと思えない、自分がいる。他の働き方を未だ知らない。

コロナ禍の影響もあり、リモートワーク、副業・複業などが当たり前になって来た。フリーランス社会の到来が米国で予見されていたのは僕が学生の20年ほど前だけれど、ようやく日本でもフリーランスという働き方が市民権を獲得しつつあるように思う。ここでもう一度、自分のキャリアを振り返ることでフリーランスについて考え、noteでの自己紹介の代わりとしたい。

フリーランスを始めた理由

病気です。いきなりなんだが。大学を卒業して、業界でも上位の総合商社に内定をもらい、意気揚々としてるところで、統合失調症という病を患い入院した。幻聴や妄想に苛まれる精神疾患で、数ヶ月入院生活は続き、内定先の産業医の方とも相談して内定は辞退することとなり、退院して、25歳までの3年ほどは療養生活・休息期間を余儀なくされていた。

幸いなことに、学生時代はデザイン会社のアルバイトとしてWebデザインの経験があったので、周囲は僕が仕事をしていたことをよく知っていてくれた。学友の一人から、デザインで困ってる知り合いの社長さんがいるからとご紹介をいただいたのが25歳の時。ある大学の学発ベンチャーで、理系バリバリの専門領域で知らないことだらけだったが、Webデザインだけでなく、スタートアップのブランディングを一通り任せてもらえたのは運が良かった。病気のことも説明したが、受け入れてもらえたのも、その後の自信に繋がったのではないだろうか。

それから一人また一人、「僕のおじさんが」、「私の母親が」と、先輩同期後輩、相談を持って来てくれ、仕事がそれなりに回るようになった。仕事をするにつれ、学生時代の繋がりだけでなく、仕事を通じた繋がりも生まれるようになり、仕事は広がった。実家に厄介になりながら、自室オフィスで7年間、個人事業、Experience Transportersは続いた。よくフリーランスどうやったらうまくいくか、という質問を受けることがあるが、僕の滑り出しは明らかにそれまでの人の縁によるものだった。それまでの自分の人生を肥やしにして、仕事するのがフリーランス、という気がする。

法人化、プロジェクト、組織の人

2011年3月に東日本大震災があり、フリーランスとしての自分の行動力の限界を痛感させられた。そんな影響もあり、家を借りて、法人を始めることにした。株式会社イーティー(ET, Inc.)の誕生だ。とは言え、原則、一人法人のつもりで始めたので、取引先の幅は広がったと思うし、法人としての納税こそしていたけれど、中身はやっぱりフリーランスだったと思う。

イーティー時代はいくつかのプロジェクトに取り組んだ。インタビューサイトをやったり、防災のサイトをやったり。何かテーマと人を組み合わせてコンテキストを作るのが得意で、自社プロジェクトに関しては編集者寄りの役回りが多かったけれど、平常業務に加えて、楽しくできたように思う。今はもう止めてしまったけれど、Webサイトは残っているので、ご参照あれ。

また、NPOのプロジェクトを実行委員として手伝ったり、ITベンチャーに席をもらってUXデザイナーをしたりもした。フリーランスとして基本的には独りで仕事をして来たので、テンポラリーながらも組織の一員として動くのは新鮮だった。同時期、クラブラグビーの大会の実行委員長もしていたので、なんか仕事もプライベートもてんやわんやだったけれども。

会社を畳んだ理由

病気です。またかよ、という話だけれども。学生時代と違い、仕事が走っている中で徐々に崩れて最後いかんともし難い感じだったので、周囲へのご迷惑も含めて大変で、仕事を続けて会社を回すにはちょっと収拾つかない状態。3ヶ月ほどの入院後、半年くらいは療養し、その後、今に続く個人事業主としての再出発をする。これが加藤康祐企画設計。八王子で開業して、今3年目というのが現在地。

スケールさせずに、働き続ける

というわけで、2回、事件が起こっているのだけれども、概ね順調にフリーランス続けて来れており、お取引のあったクライアントも100社を超え、今年で16年目を迎えている。緩やかな成長や減衰の中にいて、良くも悪くもマイペースだ。

僕がフリーランスやってて原則にしてることに「人を雇わず、金を借りず」というのがあって、それじゃビジネスがスケールしないじゃないかということなのだが、ビジネスのスケールを志向していないのだ。これは先述の病気によるところが大きくて、なんか、雇用を抱えたり、借金を抱えたりすること、病気と相性悪そう。そこまで貪欲に稼ぎたい名誉を得たいという気持ちもないので、スケールさせずにいかに緩やかにサステイナブルな成長、いや成長というよりはむしろ「持続」ということなのかな、と思う。そしてそれを楽しんでいけるかという。

フリーランスを何年続ける?

最初の「フリーランス、何年続ける?」という問いだけれども、ほとんどの人は一生続けないんじゃないかなあと思う。やりたいことを突き詰めていくと、より大きなリソースが必要になったり、特定の環境が必要だったりして、法人化したり、組織に所属するタイミング、というのが出て来てむしろ自然だからだ。家族のこともあるだろうし、家を買うのにローン組むかも知れないし。フリーランスを延々と続けない、というのは、むしろ普通のことかも知れない。中には僕のようにフリーランス蟻地獄にはまる人もいるかも知れないけれど、一生涯、というのは、これからも少数派なのではないかなと思う。

それからこれからの時代はキャリアの出口がフリーランスの人ではなく、キャリアの入口がフリーランスの人が、相対的に増えるのかも知れない。歳を取って組織内で経験を積んでからではなく、若いうちに組織外の経験を積むという。一長一短だと思うけれど、僕はネイティブ・フリーランスの人たちも応援したいなと思うのと、僕もその一員であろうのだろうということと、特殊な事情がない人であれば、再度就職するチャンスもあるだろうと思う。

フリーランスを一生続ける?

そんなわけで、僕のゴールイメージは例えば「仙人」だ(唐突)。修練を積んで霞を食って生きる、みたいな。まだ道半ばだけれども、歳を経るごとに、自分の練度や社会との距離感を制御できている気がして(コロナ禍の影響もある)、最終的に、いくつかの社会との細く丈夫な糸を練磨できれば、大きな群れの中に身を置かなくても、それなりに瑞々しい生き方ができるのではないかと思っている。そういうんでいいかな、という気がしているし、そういう生き方を可能にするのは、フリーランスという働き方ではないか、という気もしている。

なんかそうやって、自分の練度に合わせて、社会との間合いを調整しながら、適量の仕事を走らせていくのが、キャリアを走り切るまでの持続可能な設計、ということになるのだと思う。41歳、キャリアの折り返し地点くらいだから、まだまだ先は長いけれど、フリーランスが一生続く働き方になると良いのだけれども。

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